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foundation  作者: なみさや
騒擾
46/81

弥生一日、騒擾にて

三月一日早暁。

真紀は御所にいた。

建礼門近くにある凝華洞ぎょうかどうは最初会津藩控屋敷として与えられたが、国事参与が新設されてからは会津・伊与・土佐・薩摩の控屋敷として共有されている。慌ただしく行き交う者の甲冑が擦れ合う音が絶え間なく響き、控え屋敷は騒然としていた。容保は他の参与たちと帝の側に詰めている。代わりに四藩の家老格が大広間で待機していた。古式夕雅こしきゆかしい甲冑姿の家老格の中で羽織袴の真紀の姿は、異様に見えた。

一度は修理が声をかけた。

『御方さま、甲冑ならば用意がごぜえますが』

『ん?私が着ても何の用にもならないでしょう?このままでいいわ』

普段から刀をくこともいとう真紀が重い甲冑を大人しく着てくれる筈もないことを修理は分かっていたから大人しく引き下がったが、やはり他藩の家老格には奇妙に見えたらしく、

「会津のもんはこの事態をなんと心得ておるやら」

声高に揶揄やゆする物言いを制したのは意外にも、後から入ってきた西郷だった。

「相手は洋式銃で固めとうとのこっですから、甲冑では突き抜けうやもしれもはん。ならば、軽装の方が動きやすか」

そういう西郷も羽織袴ではないが、それなりの軽装の武装だ。それを咎められると、

「馬が重かば、動きもはん」

と穏やかに切り返す。

その時、バタバタと足音を立てながら駆け込んで来る者があり、広間の手前で、

「御一同様、御注進!」

「なじょした!」

田中土佐が応えれば、薩摩藩家紋を腕に巻いた藩士が広間の入り口で膝をつき、声を張り上げた。

蛤門前はまぐりもんまえにて、藩属不明なもんが集結しておりもす」

「数は?」

西郷の問いに、報せの藩士は答える。

「百五十。数は増えておりもす」

「他は?」

誰何(すいか)にも一切応えずとのこと」





賊の決起日は弥生一日やよいついたちではないか。

真紀が容保に伝えた時、既にその日まで数日という日だった。

「何ゆえに、一日と?」

「御所では毎年弥生一日に観桜の宴が開かれます。今年もその予定でしたが、此度のことで中止になった筈です」

「確かに。しかし何を根拠に」

「知らせて参った者が言うには、賊の一人が醍醐の桜が咲き始めたらと申したそうです。観桜の宴では醍醐寺の桜が献上されることが通例です」

「ふむ……あり得る話だ。参与がたにも知らせておこう」

そして今日、騒擾そうじょうは始まったのだ。

注進は次々と入った。

それらによれば蛤門の前に集まった藩籍不明の者たちは二百五十を越えた頃、一人が整然と並ぶ彼らの前に進み出て、斬奸状(ざんかんじょう)を読み上げた。

国事参与と参議に奸物(かんぶつ)あり、帝の叡慮を畏れ多くもねじ曲げ、偽勅を以て世を惑わす。我等一同、一命を以てこの者達を斬奸し、世に帝の叡慮を正しく伝えんと欲す。

注進が届いた頃、地鳴りが響いた。広間にいた真紀と西郷以外が慌てて立ち上がる。

「な、何ごとじゃ!」

「大筒のようでございます!」

真紀は座したまま、表情を曇らせ呟いた。

「まだあったか」

長崎で小型とは言え臼砲(きゅうほう)と呼ばれる大筒を仕入れているらしい話を見廻組と新撰組に伝えていたが、一昨晩偶然にも新撰組が隠されていた大筒を押収できた。だが二門だけで、まだ数はあると予想されていたが、斬奸状を読み上げた先から大筒を放ったとあれば、複数持っているから出来る技だ。

大筒の命中率はそれほど高くない。そう言ったのは山本覚馬だった。

臼砲とは何かと容保に下問されて、覚馬は淀みなく応えた。

『臼砲は命中率の低さが問題でやす。だけんじょ、洋式銃一辺倒の我が国にあっては、大筒を持っていること自体が、威力になりやしょう。命中率が低かとも、目の前の門塀を撃ち壊すには充分にて。約六町(600メートル)ほどは届きましょう』

「届くか……」

「届きもすか?」

自分の独白に答えが返ったことでようやく真紀は自分の傍らに西郷が立っていることに気付く。

「届きもすか?御所まで」

それだけで西郷の問いを理解して、真紀は頷く。

「あるいは」

「わかりもした。蛤門は水戸の御警護。薩摩が出張るのは筋違いなれど、致し方なし」

西郷の体躯(たいく)が一段と大きく見えた。

「水戸の御家中の方は?」

それがしがと声を挙げた家老格と西郷が姿を消す。真紀は田中土佐を見つけて声をかける。

「二条城には知らせた?」

「先程使いを向かわせやしたが、気になりやすか?」

「幾らか数が少ない気がする。杞憂(きゆう)に越したことはないけれども、こちらが別動隊ならば」

土佐は険しい表情を浮かべ、

「ならば、二条城に兵ば割くべきではありやせんか?」

「……昨日、配置を福井どのに確認して、別動の恐れありと伝えてあるけれども」

再びの砲声に真紀は僅かに肩を竦めた。

外講(げこう)である九門と、内講(ないこう)である六門で最も距離が近いのが九門の蛤門と、内講の建礼門。会津と京都所司代・淀藩が警護する建礼門を抜ければ、帝や容保たちのいる小御所はすぐそこにある。

凝華洞は建礼門のすぐ近くなので、集まった家老格たちは凝華洞を出て、建礼門前で警護をすべきか、顔を付き合わせているが、頼母が声を挙げた。

「余りの兵ばおるなら兎も角、本来の門警護から離れて建礼門警護に回されるならば、待機でおられよ!蛤門の水戸さまが崩れることは、今はまだありやせん。建礼門に軍場(いくさば)が移らばまた注進が参ろう」

土佐も矢継ぎ早に使いを出す。

「ええか、蛤門の様子、些細なことも漏らさず建礼門に報告せい。神保さまは建礼門じゃな?」

「はい、小御所には如何に御報告を」

「同じじゃ。子細に報告申し上げよ」





じりじりと痛みを伝える左掌を、握りしめることで容保は痛みを無視する。不意に真紀の言葉を思い出した。

『痛みに捕らわれては、身体が動かなくなります』

そうだ。無視すればいい。それに、あの時真紀が受けた刀傷と痛みほどのことはない。

敵方が小型の大筒を持ち込み、撃ちかけているとの知らせはあった。最初は遠くに聞こえていた合戦の声、続いた砲声だけだったが、少し前に小御所近くに落ちたのだろう、建物が揺れ、何処かに隠れているのだろう女官たちの悲鳴とともに、幾分薄暗い部屋に置かれていた幾つかの行灯がぐらりと倒れ火皿の油が畳に広がり、畳に火があっという間に零れた。参内していた参議たちから、女官のそれとと似た悲鳴が上がる。

容保は迷うことなく、甲冑のまま参議たちの前に駆け込み、畳に広がる火を左掌で何度も叩いて消した。

すぐに参与たちも陣羽織を脱ぎ、容保のように陣羽織の上から手で叩いたために、火は畳を焦がしただけで済んだ。

「会津中将、手当しや」

関白・二条斉敬にじょうなりあきの言葉も、容保は火急の折故、後にと返したが、やはりじりじりと火傷の痛みが左掌からせり上がってくるのを感じていた。

やがて砲声が止み、注進が蛤門前にてほぼ撃退し、残った賊たちは逃走しつつあると知らせた後、続いた注進にその場にいた全員が瞠目する注進が入った。

「二条城に、六十あまりの賊兵が攻めこみもした!」

「なに!」

「祐宮は!?」

御簾の奥からの声に注進に来た薩摩藩士は慌てて平伏しながら、

「み、宮さまは公方さまが御守り申し上げ、賊はその」

「なんじゃ、早う申し上げよ」

久光の声に、緊張からか注進の声が裏返る。

「数名、広間近くまで入り込みもしたが、既に撃退したとか」

安堵の溜め息が誰からともなく漏れた。

「も、申し上げます!」

続く注進に、参与たちも腰を浮かせた。

「市中より、火の手が上がっておりやす! 確認できただけで、南に一ヶ所、東に二ヶ所、北に二ヶ所」

「火付けか?」





小御所に注進が届くより僅かに速く、凝華洞にも同時多発の火事の知らせは届いた。

「火事だと?」

「藩邸より知らせが参りもした。あちらこちらから火の手が上がっているように見受けられると」

「御方さま」

頼母の呼び掛けに、真紀は固い表情で頷いた。

「まだ潜む者があると思われやすか」

「大筒は兎も角、洋式銃を持ったまま逃走した者もいると聞きます。ならば、その者たちの仕業である可能性はあるでしょう。しかし」

真紀は数瞬考えて、

「頼母どの、建礼門で警護についていた者はいかほど」

「三百名ほど。割きやすか」

「百ほど残して、火消しと避難の誘導に。所司代どのが火事の陣頭指揮を取る筈です。淀藩から依頼を受けた形を申し合わせなさい。あと、賊が何処に潜むか分かりません。警戒を怠らぬようにと。必要であれば、私も出ます」





「申し上げやす、殿」

ちらりと見れば修理が目線だけで容保を呼んでいた。

御簾の向こうに一礼して、容保が部屋を出た。

「如何した」

「先程、凝華洞から御方さまが出られたそうです。どうやら守護職屋敷も火事とのことで、火消しの陣頭指揮に向かわれやした」

「そうか。では先程聞いた通り、各藩ともに火消しに藩兵を向かわせたのだな」

「はい。西郷さま、田中さま、他の御家老格方も父を残して出られたとか。御方さまは二十ほど率いて向かわれた由」

「そうか……」

その時、容保の胸が微かに痛んだ。左掌の痛みほどではない。だがその小さな痛みに容保は眉をひそめ、甲冑の胸板に手を当てた。修理が見咎める。

「殿?」

「いや、何でもないが……」

「会津どの」

廊下にいた容保に同じく出てきた春嶽が声をかけた。

「帝が手当てをして参れと仰せだ」

「……は」

そこに至って、修理は容保の左掌が赤黒く(ただ)れているのを認める。

「と、殿。手当てをさせてくだせえ」

「……そうだな」

容保は自分の左掌を見る。確かに爛れて変色しているけれど、痛みは然程(さほど)気にならない。寧ろ小さな、そして一瞬だった胸の痛みが容保には気になった。





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