帝の御前にて
その部屋の襖を、真紀と同じ装束の女性が真紀を認めると黙って開け、真紀から蝋燭立てを受け取った。三人が入れば、静かに襖が閉まる。
薄い絹の几帳越しに幾つも置かれた行灯と蝋燭と、人影が見えた。
「宮さま、参りましたよ」
「入りゃ」
短い答えは尹宮のもので、真紀は密やかな衣擦れとともに迷うことなく几帳を回り込み、容保と修理も続いた。
「主上、中将と側仕えの者、お連れしました」
「うむ」
真紀に促されて、容保は座り平伏する。
「臣容保、御前に罷り越しました」
「中将、夜分にすまぬことじゃ。面をあげい」
何度も聞いたことのある声に顔を上げれば、帝が穏やかに微笑む。
「体の具合はどうや?夏以来、風邪を引くこと数度と聞くが」
「は、あの」
ちらりと周りを見回せば、帝の座る畳の両脇に尹宮と、大腰袴の真紀が座っている。尹宮が声をあげる。
「ここはうちらしかおらん。御直答申し上げよ」
「は。最近は具合よく」
「そうか。都の冬は底冷えとなるやろ。体をいとえ」
「は」
「わざわざ来てもろうたのは他でもない。中将に聞きたいことがあったからや」
「……は、何なりと」
「そなた、この日の本の騒乱、いかにすべしと思うておる?」
あまりにも大掴な問いに容保は顔を上げたまま、数度瞬いた。
「いかに、でございますか」
「朕は親政を行うつもりはない。従前通り、将軍が鎖国を以て異国を斥けてくりゃるなら、国家鎮撫を永久に都にて祈願する役目を果たしてもよいと思うのや。ところが、宮もそなたの家老補佐もそれは難しと言う。それほどまでに異国は強いか」
「………」
「どうじゃ、中将」
「率直に申し上げます。宮の仰せの通り、完全なる鎖国は難しと臣は思いまする」
言葉は容保自身が内心驚くほど、するりと口から出た。
「数百年、我が国は安寧に過ごして参りました。それは鎖国のおかげやも知れませぬ。ですが、異国はその数百年の間に国を富ませ、兵を鍛えて参りました。その最たるが黒船でございます。少なくとも今、我が国で異国と対等に戦える力はございませぬ。故に、我が祖先が行ったように鎖国を行ったところで、異国の力を以て強引に鎖国を解かれ、我が国は蹂躙される、第二の清国の憂き目を見るやも知れませぬ」
まるで堰を切ったかのように、容保の言葉が流れ出る。帝は一瞬呆気に取られたが、小さく頷き、
「だが会津を初め、軍備をしておると聞くが」
「我らが軍備はつまり大砲と銃です。鎖国を行うには黒船が必要ですが、黒船を持っているのは幕府と幾つかの藩で、それではこの国を護りきることは難しと、臣は考えます」
「……そなたも、一柳と同じことを申すんやな」
容保が驚いて真紀を見れば、真紀の穏やかな視線と絡んだ。
「では聞くが、攘夷が難し、鎖国も又難しとなれば、中将、そなたは如何にすべきと思うんや?」
「……幕府が異国と条約を結び、幾つかの港を開くのは已む無しと臣は考えます。但し、先の条約締結については明らかに幕府の誤りであろうと思いますが」
容保は真紀を見て問う。
「真紀どの…一柳、一度我が国の名を以て条約を結び、これを主上の許しなしとして、破棄すると申し出れば、異国では如何なる判断を下す?」
「手順が間違っていたとしても、一方的に我が国が破棄することは認められないでしょう。内密の条約ならばいざ知らず、黒船はたくさんの異国に向けて、日本に条約締結に向かうと吹聴していたようですから」
真紀の応えに容保は頷く。
「異国が望むのは、航海途中の食糧などの補給と通商ですが、これらについては既に二つの条約が結ばれております。ですがこれは我が国について不平等なものです。まずこれを是正するのが第一。第二に既に開港した港における我が国の通商の権利を定めた条約を、勅命にて結ぶこと。第三にかつての出島のように、異国の者の入国を制限することではないかと」
「完全ではないにしても、鎖国とするんやな」
帝は小さく溜め息を吐いて。
「それが妥当やと、中将は思うんやな?」
「は」
「叶わんのやな、朕の代で代々の帝に許しを乞わないかんことがあるとは」
「帝」
「よいのや、先の帝から渡されたこの御位、祐宮に譲ることさえできればよい」
まだ幼い我が子の名前を出して、自嘲のように小さく笑う帝の様子に真紀は穏やかに言う。
「攘夷だけが、帝の御心ではありますまい。それに祐宮さまにより良く御位をお渡しするのは、まだまだ先のこと」
「しかし、今の朝廷も幕府も、攘夷どころか、異国恐るべしと唱えるばかりや。挙げ句、自分以外の意見するものは切って廃ればよいと思うておるやないか。このような様、続けば国は荒れるばかりや」
容保は頷く。そして口を開いた。
「ならば、賢き方々に意見を求めては如何かと」
「賢き者たち?誰や、それは」
「勅命にて、藩主たちが続々上洛しております。その中には世に賢侯と名高い方々もいらっしゃいます」
「……例えば?」
「福井の松平侯、伊予の伊達侯、土佐の山内侯、薩摩の島津侯などがおります」
「……薩摩か」
「賢き者たちを集めて、この国の行く先を論ずるはよいことやと、我も思います。しかし、幕府もそれには参加させた方がよろしゅうございます。主上、後見職は入れねばなりますまい」
尹宮の言葉に、帝は頷いたが続いた言葉に容保は驚愕する。
「ならば、中将もその中に入ってもらわねばならん」
「お、主上!」
「これまで都を支えてきたのは中将や。その才、名前が出た者たちに劣るものではない。朕はそう思う」
穏やかに笑まれては、容保に返す言葉もない。
しかし、と心に力を入れて、容保は口にした。
「したらば、主上。臣の職、御解きいただきまするか」
主上の微笑が消える。
「なにゆえや」
「……一橋さまはともかく、臣は一介の親藩藩主。福井さまとて、総裁職を辞しての参加となります。ならば」
「ならぬ」
主上の常ならぬ強い言葉に、容保は慌てて平伏する。
「会津中将の守護職と、福井中将の総裁職では、違うんや」
春嶽の政事総裁職辞任は、朝廷の思惑とは別のところで為されたものだった。後見職の一橋慶喜が尊皇攘夷派との妥協を試みたことに対する抗議だったから、朝廷は春嶽が役目果たさずと幕府を通しての蟄居を命じた。帝にすれば抗議の為に役目辞退など、許されることではなかった。
だからこそ、総裁職と守護職は違うと強い言葉になったのだが。
「しかしや。福井中将の辞退は故あってというのも解る。その為に蟄居になったんや。此度役目を与えれば粉骨砕身して、励むやろ」
「は……」
「主上、では如何に」
宮の言葉に、帝は暫く黙考して、
「宮。先程名前が上がった者で参議とするに、低位無冠の者は」
「島津三郎だけですな」
「では朝議にて島津三郎の冠位について論じよ」
「しかし他の者とて堂上はともかく参議とすれば、元々の参議たちから非難が上がりましょうぞ?」
「……一柳は如何に?」
真紀は穏やかに、
「さて。やはり新設するのが宜しかろうと存じますが、以前の国事御用掛のようにならぬように叡慮され、尚且つ、これらの者たちに如何なることを定めるか、また権能を明確に示されるべきかと」
「ふむ、ならば問う。中将の守護職辞退については」
容保が帝を、そして真紀を見つめる。真紀はいつものように穏やかな笑みを容保に向けて、
「お受けになればよろしいのでは?」
「……なんと」
「御話の方々、いずれも大藩の藩主、あるいは藩主の血縁の御方でございましょう。ならば、京都守護職、これらの方々で努めて頂ければよいのではありませぬか?会津を外せと申してはおりませぬ。ただ、これらの大藩に比べて、会津一藩に守護職の任は重すぎるのは事実にて」
「守護職を兼任させるか……」
「しかし、それでは中将が辞退する意味はなくなるのではないのか、一柳」
宮の言葉に真紀はいつものようにさらりと言う。
「主上は幕府は必要だと叡慮を示されたのならば、新たに幕府が任ずるように促してみてはいかがでしょうか?」
「なるほどの……新設か」
帝が黙考するのを、誰もが黙して見つめていた。




