名聞と反撥
「なりませぬ」
常になく、強い口調で真紀が言う。容保はただ黙って見つめている。
「しかし、万喜の御方さま」
「何があろうと、なりませぬ」
合議の雰囲気が一瞬にして冷えた。
「既に、公家衆には話を通しておりやす。今更取り下げるわけには」
言い募る公用局詰に強い視線を向ければ、公用局詰は口ごもる。
「会津の沽券に」
「それはそなたが定めたことであろう? なりませぬ。九門六門警護独占などもっての他。なしてはなりませぬ」
これほどまでに真紀が強い口調で、まして合議という大勢が集まる場所で否定することなど、容保も聞いたことがなかった。
「しかし、不逞な長州の輩が御所に害を及ぼさんと画策しているのですぞ!」
違う公用局詰が声を上げる。だが真紀も引き下がらない。
「長州の者たちが、朝議に異を申し立てるために御所に強訴を行わんとしていることは私も把握しています。ですが、九門六門警護とは話が違う。恐らく喫緊の事態につきと主上に申し上げれば罷り通る話です。それだけ会津は、容保どのは帝に信頼されておりますから」
「ならば!」
「ならばこそ、会津は帝の御為だけに京都守護職にあるのではないと、なぜ分からぬ!」
聞き慣れぬ真紀の怒声に、公用局詰たちは慌てて平伏する。
「会津は、幕府より守護職の任を受けている。九門六門警護の為に配置された他藩とて、役目の大小はあれど、幕府より定められて、国許より藩士を警護に向かわせている!それが意味するところを考えよ!」
「しかし長州一派を抑えるためには、内密に事を進めねばなりませぬ、時もございやせん、知らせてきた薩摩とのみ共闘すべきかと」
それは先程まで合議が決する最たる理由のはずだった。
秋月にある夜半、密かに訪ねてきた薩摩藩士が告げたのは驚くべき情報で、さすがに秋月もすぐに公用局を総動員しての真偽を確認するよう指示を出しただけで、容保に伝えざるを得なかった。
『それは、まことか』
『未だ真偽は不明なれど、長州の一部の激派が御所を囲い、帝と朝議に対し、幕府に一層の夷狄征討の勅許を願うとのことにて。既に長州から藩兵が発ったとの話も伝わっておりやす』
勅許を願うとは聞こえが良いが、結局のところ、軟禁に違いなく、あまりの暴挙に容保は言葉を失う。だからこそ真偽が疑われた。公用局は真偽の確認に追われたが、薩摩の情報が正しいと分かると、夜半の内に薩摩藩邸と黒谷本陣の間に内密の使者がたち、この度の暴挙への対策を建てた。
親幕派の公卿たちには既に内々に話は通してある。
早暁、彼らが参内し、長州に与する激派の公卿たちの所業を理由に参内停止を朝議で定め、万が一、長州が御所を囲むことがないように、御所の外門である九つの門、内講の六つの門を会津で警護し、長州を迎え撃つという対策だった。
合議の上で、公用局が示した案を会津の動きとして定めようとした時に、思わぬ真紀の指摘が入ったのだ。
「薩摩が会津に知らせてきた理由を考えよ。薩摩にしてみれば、薩摩のみで動けば長州と薩摩の騒乱と片付けられる。薩摩とて厳罰に処されるやも。だからこそ、会津に声をかけたのでしょう。所司代以上の権能を頂き、況して帝の覚えもよい会津ならばとの考えでしょうが。ですが、九門六門警護の他藩は? 事に急ぎ、他藩を押し退けて会津が警護などしたならば、必ずや不満が出る。江戸表よりも書状が届いているでしょう? さても御注意あれかしと」
「しかし、時がごぜえませぬ。長州の軍勢はまもなく大阪に入りやす」
「時がないことに捕らわれて、急いては後々に幕府よりどのような疑いをかけられるか、分からぬと申しているのです」
真紀は秋月を始めとする公用局詰を見つめて言う。
「なりませぬ、それでは事がなったあと、必ずや会津が害を蒙りましょう」
「ならば御方さまはなじょすべきとお思いか」
割って入った内蔵助の言葉に、真紀は応える。
「従前どおり、九門は備前、薩摩、因幡、水戸、仙台、肥後、土佐 、阿波徳島で行い、長州が警護する堺町門は薩摩と会津で行うように。六門警護は会津が受持つ唐門、建礼門、准后門は兼任する所司代に頼まれるがよいでしょう。時がないならば、早急に二条城に連絡、同時に各藩に長州の動きと、抑えるための会津・薩摩の動きを報せ、門警護の厳重たるを通達、加えて朝議にその旨と、予定通り激派公卿の参内停止を奏上すればよいこと」
さらさらと返ってきた答えに、公用局詰たちがざわめいた。
しかし、公用局詰が一人声を上げる。
「しかし、各藩にはいかにして」
「にしらは、何のための公用局ぞ」
声を上げたのは、意外にも頼母だった。
上洛して以降、合議の場で口を開くことなど皆無であった頼母が声を上げたことに、合議の場は一層、響めく。
「しかし」
「京都の見聞を余すことなく拾い上げるのが、公用局の役目ではないか? 各藩に伝手などいくらでもあろうが。ならぬと切り上げる前になるやも知れぬとやってみんか」
秋月はちらりと上座に目を向けた。すると、容保の視線と絡んだ。
容保が僅かに頷いたのを見て、秋月は定めた。再び言い募ろうとする公用局詰を制して平伏する。
「わかりやした。すぐに伝手を探し、内々にこの儀、各藩にお伝えしやすが、やはり殿に一筆認めていただければ、相手も受け入れやすうごぜえましょう」
「秋月どの!」
「一筆認めるのは吝かではない。しばし待て」
容保が席を外して、すぐに真紀も立ち上がる。すると小さな声が響いた。
「御方さまは、会津をなじょなさりたいのか」
振り返れば、先程真紀に言い募ろうとしていた公用局詰で。真っ直ぐに真紀を見つめて言う。
「御方さまは、会津の守護者であられるならば、まことは九門六門警護は会津がせねばなんねえこと、お分かりの筈だべ」
「遠野、止めんか」
「御所の警護は会津一藩で行うてこそ、京都守護職の名聞が立ちやしょう」
「分からぬか」
真紀は歩を進め、遠野と呼ばれた公用局詰の前にゆったりと座る。
「会津の名聞を望めば、反発が起きる。帝の御為と動けば、宗家の守護者の役目を問われる」
「!」
「公用局ならば、掴んでおろう? 会津に対する酷遇としか思えぬ、つまり偽勅の数々が江戸でどう思われているか。江戸表から御注意の書状が届いたのは即ち、幕府が会津に疑いの目を向けていることを意味する」
会津や容保を陥れようと仕組まれたと感じる勅命は今まであった。明らかに京都守護職の職域から外れると、丁重にお断り申し上げた勅命は一つではない。
「しかし!」
「ここにいる誰もがそれが言いがかりであることは百も承知。だが喫緊の事態ならば尚の事、慎重に動かねば遺恨を残す。故にありとあらゆる状況を鑑みて、事態に備えよ。それゆえの公用局ならば」
遠野が言い募ろうとする先を制したのは内蔵助だった。
「御方さま、若輩者の浅慮にてお許しくだせえ」
「いいえ、これは皆々にても同じこと」
真紀は立ち上がり、合議の場を見回した。
「浅慮などとは思わぬ。会津を思うて故のこと。それを非難するつもりはさらさらない。したが、会津は危うい立場にいることを努々(ゆめゆめ)忘れぬよう。何についても全ての目処があり得ると考慮を忘れぬことです」




