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foundation  作者: なみさや
京都
29/81

どちらも必要なもの





長崎での逗留(とうりゅう)は僅か5日ほどで、真紀と修理は慌ただしく大阪に向かう船に乗り込んだ。

「予定通りの数が集まってよかったわね」

穏やかな笑顔の真紀の横顔をこっそりと見て、修理は内心だけでため息を吐いた。あれから、真紀は一切容保の話に触れず、修理が切り出せばいつもの笑顔で全く違う話に切り換える。

「そう言えば、山本どのが昨夜遅くでしたが、宿を訪ねてまいりやして」

「ん? 山本どの?」

『修理どの、銃の調達は上手くいきやしたか?』

『数は揃いましたよ。御方さまのご尽力で新式銃も。ただ古い銃もかなり入ることになりやしょう』

笑み返した修理に、山本覚馬やまもとかくまがやはりと頷いた。

『銃の種類が詳しく分かりやすか? 実は長崎に滞在しているアメリカ人に銃の鍛冶が出来る者がおるそうで。短い間ですが、弟子入りしようかと』

「山本どのには銃の見聞がありやす。習得も早いかと」

「そう…あとは洋式調練(ようしきちょうれん)にするか、今まで通りにするかだけど」

軍奉行(いくさぶぎょう)采配さいはいになりやしょうが、それはそれでなかなか難儀(なんぎ)かと」

潮風を受けながら、修理が愚痴る。

一時上洛でとどこおった軍制改革だったが、上洛寸前に幕府より守護職拝命の祝金という名目で下資かしされた大金が、家老たちの心を動かし、この度の銃の買い付けが決まり、ならば軍制改革もと内示が出たばかりの公用局から進言が成されたことで改革の骨子こっしが模索され始めた。とはいえ、会津には古式調練で鍛えられてきた伝統と自負がある。

特にそれなりの年齢ならばなおのこと。

「正直、父までが渋るとは思いませなんだ」

「まあ、今までやってきた全てを否定されたと感じるのかしらね。だから」

「分かっておりやす。早急に、しかし穏便にでごぜえますね」

にこやかに修理が言うのを聞いて、真紀は苦笑する。それは修理に何か話す時、真紀が口癖のように言っている言葉だった。

「今回の長崎遊学には、軍式についての研究も命じておりやすので、何かしらの目星がつき次第、連絡してくるように命じておりやす。何よりも骨子だけでも先に作らねば。できれば古式調練を廃するのではなく、よい形で洋式調練を組み込みたいのですが」

「これだけの数の銃を仕入れたとなると、銃手の訓練も急いでしなくてはいけないでしょう。とりあえず、黒谷で編成してみては?それについては主税どのに進言してみては」

「では早速に」

波を切る音が、心地よい。

真紀は穏やかな風を受けながら目を閉じる。まもなく春を迎えるにしては幾分寒いが、それでも真紀には心地よかった。

「御方さま、冷えまする。中にお入りくだせえ」

「大丈夫、もう少しここにいる」

「そうですか」

修理が幾分言い淀みながら、切り出した。

「御方さま、教えてくなんしょ」

「?」

「御方さまは、京都守護職拝命には反対でごぜえやした。それは今でも?」

「ええ、変わっていない。頼母どのが言うように、今でも句切りがつくなら、すぐにでも会津に引き上げるべきだと思う」

静かな言葉に修理は頷いた。

「守護職の役目、まだまだ始まったばかりで、京の右も左もわからぬ会津者には務まらぬと?」

「……そうやって自分を卑下ひげすることばかり覚えてはいけない。いざ立ち向かわなくてはならない時に、心が卑下に向かう。それだけはしてはいけないのよ」

真紀は小さくため息を吐いて、容保どのも同じと呟いた。修理は幾分不機嫌そうに問う。

「殿にあってはそったらこと」

「ないと言い切れる?土津公の末裔でないことを負い目に感じていないと、言い切れる?」

「!」

「だからこそ、春嶽公に御家訓を示されたら、屈せざるを得なかった」

「いかに御方さまと言えども」

修理が眦を上げたが、真紀は止めない。

「容保どのは御家訓が、自分の拠り所と信じている。でも本当に土津公はそれを望んだかしら?その為に私がいるのに。私が託した会津の志をなぜ信じてくれないのか……目の前の御家訓こそ、容保どのが自ら作り上げてしまった呪縛じゅばくだと言うのに」

容保に対して不遜ふそんだとけなすことは出来た。だが、修理は聞いたことのある『会津の志』が気になった。

幾分悲しそうな表情を浮かべる真紀に問う。

「御方さま、会津の志とは?」

「ん?」

「殿にお訊きしたことがごぜえやした。会津の志を持たねば、御方さまは土津公の末裔ではないと仰せになったと」

「………少し言い方は違うけど、そうね」

「会津の志とはとお訊きしやしたが、殿は会津がすべての根源たるべしと仰有られやした。そのあと、わしには未だ届かず、とも」

真紀は答えず、二人の間には波と風の音が響く。れた修理が声を上げた。

「御方さま」

「会津の志とは、ひとそれぞれ違うけれども。でも、私は昔、猪苗代の湖畔で容保どのに言った。会津の志とは、会津が凡ての根源で、起源であるもの。凡ての言動が会津を以て発するものと」

真紀は、近くに見ゆる陸影を見つめながら、続ける。

「会津の志は、代々の藩主に伝えてきたことば。容頌かたさだどのにも、容敬かたたかどのにも。けれど二人の答えはそれぞれ違っていた」

未だ至らずが、民の暮らしを忘れぬことが、会津の志と存ずる。

会津藩・中興ちゅうこうの藩主と呼ばれる五代藩主・容頌かたさだはその藩政の始まりを未曾有みぞう飢饉ききんと度重なる一揆で迎えた。その収拾に追われ、やがて家老・田中玄宰に藩政改革を担わせて、破綻寸前の藩政を救うことになった。

会津の志とは、この国の中に会津が果たすべき役目を果たすということにて。

先代・容敬かたたかの答えは安定していた会津藩の維持が求められた時代ゆえだったかも知れない。真実は養子であったけれども、容敬は元服の歳になるまでそのことを知らされていなかった。だからこそ、安定維持のための藩主であって、幕府における会津の立ち処を定めるこそに尽力し続けた。

容保の答えはまだない。

「正之どのはね」

修理は真紀の言う名前が誰を指すのか一瞬考えて、それから慌てて背筋を伸ばす。

「は、土津公で」

「そう。正之どのが御家訓を示したのは、目に見える形で、会津の道筋を見せたかったのだと思う。それは藩士のためでもあるけど、後に続く藩主のためでもあった」

「え、しかし御家訓は藩士に会津のあるべき形を示されたものではないのですか?」

日新館でもそう学び、藩士としての在り方を語る時には必ず御家訓が引き合いに出される。

「ではなぜ、大君の儀では藩主に二心抱かば子孫に非ずと説く?勿論、自分の子孫でないから仕える必要はないと言っているのだけれど、言い換えれば、大君の儀を遵守する者こそ子孫だとも取れる。だからこそ容保どのはそこに捕らわれてしまったのだと思う」

正之が御家訓を最初に定めた時、子孫に非ずの条文はなかったのだと、真紀は正之自身に聞いたことがあった。子孫に非ずの条文を入れたのは、御家訓を見る度に宗家の守護の役目、忘れべからずと代々の藩主に示すためだと。

『宗家の守護が第一義。だが、保科は会津を以てして存在する。会津が後ろに控えてこその、家訓ぞ。ならばこそ、会津の志を持つ者こそが、宗家の守護者たるべきで、それを護る者こそ、わしの子孫じゃ』

会津の志と御家訓は表裏一体。

しかし会津の志は、条文にするは難く、正之は悩んだ挙げ句、御家訓はそのままにと決めたのだ。

「御家訓も会津の志も、どちらも必要なもの。形として残せない会津の志を、正之どのは私に託した。万喜御殿に折々に訪のうたのも、諸国の話をするのは第二義で、まことは会津の志を代々の藩主どのに、家老どのたちに伝えるため。だけれども、見事に応えを返した者もあれば、返せなかった者もいる。それでも、会津の志は連綿と繋がってきた」

ちかしが、会津の志を継いでくれた。

土津神社でそう感じた。

修理も控えめではあるけれど、着実に会津の志を育んでいると思う。

けれども。

容保のそれは、酷いまでに自らの呪縛に捕らわれて、顔を出さない。

「御方さま、殿は決して」

会津を忘れてはいないのだと、修理が告げれば真紀はいつものように微笑みながら、頷いた。

「分かっている。でも、どこかで御家訓を少しでも忘れなくては、容保どのはもっと辛い決断を強いられることになる」

「辛いとは」

「……辛い決断、でしょうね」

ちらりと覗いた真紀の横顔は今までに見たことのない、淋しげな表情を浮かべていた。






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