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foundation  作者: なみさや
江戸
22/81

過る思い





大広間での合議は紛糾(ふんきゅう)し、日が変わる頃、とにかくも辞退の書簡を明日にでも幕閣(ばっかく)に届けることだけは決し、容保(かたもり)は奥御殿に下がった。

「修理」

「は」

「国許に使いを送れ。事の次第を国家老に知らせるのだ」

「はい。先ほど万喜の御方さまもそのように仰り、先ほどの合議の内容も書き添えてとんで早飛脚(はやびきゃく)を立てまする」

「……うむ」

修理が文をしたためると下がり、容保は側仕え一人を連れて奥御殿に向かう。

奥御殿の渡り廊下を進めば、真紀の部屋に未だあかりが灯っているのが見えた。

「殿」

「……すまぬが先に部屋へ。真紀のところに寄っていく」

「は。では寝所の御準備が整えまする」

側仕えが静かに離れた。容保は真紀の部屋の前で声をかける。

「真紀どの」

「……どうぞ、容保どの」

障子を開ければ、夜着(よぎ)の真紀が文机に向かっていた。

元結(もとゆい)を解き、(うなじ)の辺りでまとめられた髪紐を見慣れないと思いながら、容保は敷かれた床の横に座る。

「すまぬ、夜分に」

「いいえ。御見苦しく、御許しを」

真紀に軽く頭を下げられて、容保は苦笑しながら頭を振る。

「今日はお疲れでしょうに。合議は決しましたか?」

「辞退する旨、書面にて幕閣に差し出すつもりだ。今夜中に家老たちが書面を仕上げる」

「そうでしょうね」

文机を手早く片付けて、真紀が小首を傾げたまま容保に問う。

「ですが、容保どのにはなんぞ()に落ちぬことがおありですか」

「いや。そうではない。おそらく、この役目辞退、叶わぬ気がするのだ」

通された溜間(たまりのま)で、容保は松平春嶽に告げられた。

『島津公の働きかけによって、朝廷から幕府に対して勅許がくだったことは会津どのも御存じかと思うが』

『はい、聞き及んでおります』

『幕府は勅許を受けて、将軍後見職に一橋慶喜公、その直轄(ちょっかつ)に新設の政事総裁職を置き、それがしが就くことが決まっておる』

容保は数回、瞬いた。

将軍を頂点とする幕府は老中の合議制で動く。大事にあたらねばならぬ時は老中首班(ろうじゅうしゅはん)を大老に任じる。だが大老であっても老中たちの合議を行って後、決するのが習わしだった。

『では、大老、老中を廃すると』

『大老は置かぬが、老中は合議機関として残すことになろう。だが後見職と総裁職を新設することで大老の名分はなくなる』

知恵者と呼ばれる春嶽の顔を見つめて、容保は小さく頷いた。

『左様でございますか』

『そこでじゃ。勅許には京都での過激浪士どもの騒乱を抑えよともあった。京都所司代に至急増員の命を下したが、暗殺までもが横行するならば京都所司代では抑えきれまい。よって、京都守護職なる役目を京都取り締まりの要として置き、京都所司代をこの下に置くこととした』

『はい』

『ついてはこの京都守護職の役目、会津どのにお願いしたい』

『………は?』

『会津どのであれば、安心して朝廷の安堵を招くことが出来よう。また公方さま御上洛も近い上に』

『福井さま』

『なんぞ』

『京都守護職とは、すなわち』

容保の、内心の動揺を必死に抑えようとする声色をまるで想像していたかのように春嶽は小さく笑みながら応えた。

『藩兵を率いて京都に、上って欲しいと申しておる』

『!』

ようやく、理解した。

そしてその役目が容易ならざる、役目であることも。

朝、登城直前に言われた真紀の言葉が脳裏を(よぎ)る。

『容保どの。約してください。それだけを。即答せぬと』





「真紀どのに言われていたことを、すぐに思い出した」

容保の言葉に、真紀は静かに笑んだ。

「そうですか」

「真紀どのに言われていなければ、あれほどすぐには心が静まらなんだ。しかしどれほど言葉を尽くしても、福井どのは引いてはくださらぬ」

「どちらでしょうね。会津ほどの適任が他にいないのか、あるいは会津以外は危険で任せられぬのか」

真紀の小さな声に、容保は眉をしかめた。

「福井どのは、会津だからこそ頼めると何度も仰せだったが」

「ええ。それも一理です。ですが福井どのの御言葉は全てを現すわけではありませぬ」

真紀の言葉は、容保の得心のいくものだった。容保は小さく溜息を吐いて。

「だが、会津には無理だ。国許が困窮するのを見てはおれぬ」

「ええ」

「だが、受けざるを得なかったら」

容保は小さく呟いた。

御家訓(ごかきん)がある」

「容保どの」

「御家訓には逆らえぬ。だが、わしの中で会津を犠牲にしてよいのか、という思いもある」

真紀は微笑んで。

「容保どの。昔、猪苗代の湖で私が申し上げたこと、覚えておいでですか?」

「猪苗代? 『会津の志』のことか」

煌めく湖面を見つめながら、二人で話したこと。

自分の全ての根底が会津であること。それが会津の志であると教えられても、幼い容保にはまだ分からなかった。今でも会津の志を理解できているとは思えない。だが、訳もわからず迷うことは少なくなったと容保は思う。

とはいえ。亡き養父のように、会津に根差した藩政を敷くことが出来ているのか、分からない思いもある。

ここ数年で、国許に課す負担が激増したことが、容保の迷いを強くする。

「……まだ分かっていないかもしれぬ」

「それでも容保どのは会津が困窮、疲弊することは理解している。それも会津の志なのです」

真紀は微笑んだまま、

「忘れないでください、会津の志を」

「……真紀どの、もしもだ。京都守護職、受けざるを得なかった時は」

容保はその先を言い淀んだ。

真紀はしかし、いつもと変わらぬ穏やかな笑みのまま、告げる。

「お側に参りますよ。共に京に参ります」

「……そう、か」

「はい」

容保は微笑む真紀の顔をしばし見つめて。

ゆっくりと立ち上がった。

「夜分に失礼した」

「いいえ」

真紀の部屋を出て、容保はしばらく進み、そして足を止めた。

深く嘆息する。

「わしは何を」

言うつもりだったのか。

京都に行くことになったら。

ついてきて欲しい。

思わず脳裏を過った思いを、言葉を。

しかし、容保は口にしなかった。いや、出来なかった。

真紀は答えたけれども、それはまちがいなく、『会津の守護者』としてで。

真紀の答えも容保には、予想出来たもの。

そうではなく、と口走りそうで。

けれどもその先にあるはずの言いたかった言葉を。容保は目を閉じて、もう一つ溜め息を落として、心の奥底に仕舞い込んだ。






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