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foundation  作者: なみさや
江戸
20/81

大広間にて





修理(しゅり)がふと見れば、朝と変わらず真紀は大広間に座っていた。

ただ、座していた。

表情すら変わらない。

何か、少しだけ思いつめて見えるまま。

「御方さま?」

恐る恐る声をかければ、真紀はまるで彫像のように動かず反応しない。こんな真紀の姿を初めて見たこともあって、修理は心の奥底で(にじ)み出る何かに突き動かされるように、真紀の両肩を強く揺さぶった。

「御方さま!」


(またた)きすら忘れていたようで、真紀は修理の揺さぶりで数回急いだように瞬きをして。

ようやく、修理を見上げた。

「修理どの?」

「よかった、なんぞありやしたか? (うま)の刻をとうに過ぎておりやすのに、殿の登城の時刻からずっとここに」

「え、午の刻?」

障子越しに夏の強い日差しが感じられて、真紀はもう一度瞬いて。

それから顔を歪めた。

「痛、痺れが」

「そうでごんしょ、もう二刻以上も身動きされていないのでは? 殿のお見送りのままの御姿でしたから」

ため息をつきながら、恐る恐る足を投げ出し正座から胡坐(あぐら)に変えて、真紀は顔を歪める。

「容保どのは?」

「まだ下城されておりやせん。いつもの登城日でしたら、そろそろ先触れが参りやすが」

「そうね。ひょっとしたら暮れ六つを過ぎるかも。(さる)の刻を過ぎたら、御城にお伺いをたてた方がよいわね。容保どのの身体を思えば、無理はさせられない」

御城から容保に登城の命が下ったのは、明六つ時。登城日ではない日ではないのに、登城を命じられることが尋常ではない。容保は迅速に準備を整えさせたが、登城日ではない登城の命に、上屋敷は上へ下への騒動になった。結局、容保の見送りには家老が全員うち(そろ)うことになり、大広間で容保は支度を整えて、家老たちに何を命じられるか分からぬが、下城まで待機せよと命を下したのだ。

そして。

平伏している家臣たちの中で、たった一人顔を上げている者を見て容保は声をかけた。

如何(いかが)した、真紀どの』

『容保どの。これだけはお心にお留置(とめおき)ください。即答なされてはなりませぬ。何を疑われようと、即答されず、上屋敷に持ち帰るとお答えください』

真紀の静かな声に、家老たちが慌てて顔を上げる。

容保は眉を顰めて、

『どういう、意味だ』

『言葉の通りでございます。どうぞ、即答を求められた時は誰を悪者にしていただいても構いませぬ。即答だけはなさらないでください。お願いいたします』

家臣たちがざわめく。

発言しているのが『万喜の御方』であり、藩主・容保にとっては家臣とは違う特別な存在であることは理解しているけれど、真紀の発言の意味がわからない。

ただ言葉の重さは理解した。

一身に家臣たちと容保の視線を受けて、真紀は言う。

『容保どの。約してください。それだけを。即答せぬと』

『……即答せぬと、約せというか』

『はい』

相分(あいわ)かった』

(きびす)を返し、容保は応える。

『真紀が言うならば、そのように。即答は、せぬ』

あれからずっと、真紀は同じ場所に座っている。

「何が、あるのでごぜえやすか」

修理の言葉に、真紀は小さな微笑みで、しかし答えない。

「さあ」

「御方さまにはお分かりなのではねえですか? だから、殿にあのようなお言葉を」

「……分からないけれど、考えることは出来る」

「?」

真紀の言葉に、修理は首を傾げる。真紀は胡座の足を数度摩って。

「島津の久光公と勅使の上洛。京都で久光公が命じた過激派浪士の排除。久光公は兄である先代・斉彬公の遺志を継ぐ者であることを公言しているのならば」

「ならば?」

「……修理どの、斉彬公は次の将軍として誰を推挙(すいきょ)されていた?」

真紀の言葉に修理は一瞬言い淀むが、すぐに答えを返した。

一橋(ひとつばし)慶喜公(よしのぶこう)です」

「そう。いわゆる一橋派は先の大老、井伊直弼(いいなおすけ)どのに先手を打たれて失脚したはず。でも桜田門外で井伊どのが討たれてすぐに謹慎・蟄居(ちっきょ)は解かれている。いつ復権してもおかしくはないはず」

一橋慶喜公しかり、松平春嶽公(まつだいらしゅんがくこう)しかり。

真紀の言葉に、修理は眉を顰める。

「そうだとしても。それと、会津がいかにつながりやしょうか」

「……勅使の(おもむ)きは、一橋派の復権と、京都に蔓延(はびこ)不逞浪士(ふていろうし)駆逐(くちく)と考えるのが妥当でしょう。だから、久光公は自らの藩の過激派を先に斬り、それを示した」

修理が息を飲むのが聞こえた。真紀は足を(さす)るのを止めて、上座に飾られた会津葵を見つめて言う。

「ならば他藩出身の不逞浪士は誰が取り締まる? その一任は幕閣に認められているだろうけど、おそらくは一橋派から出されるでしょう。外様(とざま)に命ずる? ありえない。では譜代(ふだい)? ないでしょう。ならば」

「御三家、御三卿(ごさんきょう)がおりやす」

真紀の言う答えが見えたけれど、あえてそれを口にすることは出来ず、修理はなんとか言葉を絞り出した。真紀は寂しげに笑って。

「御三家、御三卿から出すと? 水戸が大老を討つ事態が起きたのなら、外されるべきでしょう」

桜田門外で井伊直弼が水戸藩出身の浪士に討たれたことは、誰もが知る事実だ。井伊直弼が一橋派を牽制するのにさまざまな手管(てくだ)を使い、故に水戸藩が井伊直弼を仇敵(きゅうてき)としていたことも。結果として、桜田門の外で大老が暗殺される異常事態を招いたことも。

だからこそ、水戸、あるいは御三家、それに準ずる御三卿を外すならば、京都にて不逞浪士の取締に当たるのは。

「……御方さまは、まことそのようにお考えで」

修理の言葉に、真紀は寂しげな笑みのまま、表情を変えない。

「御方さま!」

「修理どのは、まこと考えが早い」

「では、まさか」

「考えることができる、というだけですよ。そのようなことが起こらねばよいのですが。ですが、親藩(しんぱん)であり、『宗家の守護者』である会津に、その役目回って来ないとは限らぬ」

真紀の言葉に、修理は思わず座りこんだ。

『即答せぬと、約してくださいませ』

今思えば、静かに告げられた真紀の言葉が理解できる。

「会津が、京都の取締を命じられる、と?」

だからこそ、真紀は容保に言った。

即答するな、と。

「御方さま」

「もし、私が思った通りならば、容保どのに心づもりを差し上げたつもりだったのだけれども。役に立ったかしら」

突然、何も明かされず、即答するなとだけ言葉を与えられれば、迷うだろう。だが、(さと)い容保ならば。当て(はま)る状況さえ理解できれば。

「何があるのでごぜえますか?」

修理の言葉に、真紀は小さく溜息を吐いて。

「修理どの」

「はい」

「容保どのを、待ちましょう」





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