時知らずの身
「そなたは、変わらぬの」
薄く咳ぶきながら、正之が言う。
真紀は正之の背中をゆっくりとさすりながら、小さく笑んだ。
「いまさらな、問いだこと」
「ふむ。確かにな」
渡された薬椀を飲み干せば、真紀は小さな干菓子を正之に差し出した。正之は思わず苦笑する。
「真紀よ、わしはあの頃の幼子ではないぞ」
「存じてますよ。保科正之公」さ
幾分おどけたように返された応えに、正之は薄く笑った。
かつて父にわが身を託されたのだと語った、この女性。
幸松が正之を名乗り、異母兄に頼りとされて、会津二十三万石を与えられた。
六十年を過ぎても、真紀は真紀のままだった。
何一つ変わらず、髪は濡羽色、肌も若々しいまま。
その否たる様子に、元服の頃には気付いていたけれど、あえて問わずに今まで来た。
だが。
正之の思いが正しければ。
「真紀よ」
「はい」
「そなた、時知らずか」
「……時知らず、とはいかなるものですか」
幼い頃、まるで乳母のように、あるいは附役のように自分に四六時中つき従ってくれた真紀が、元服の頃には傍を離れることが多くなり、その期間は年を追うごとに長くなった。
このたびの訪れは、正之の記憶では六年ぶり。
久しぶりの会津入藩で無理が祟ったのか、いささかの体調の乱れに臥せる正之の元に火急の使者が訪れた。
『桜枝丸紋をお持ちのお方が藩内に入られました』
それは何度か前の訪れの際に真紀に手渡した、手形。
訪れの時の間隔が開く一方であることに正之が懸念を見せ、真紀に会津に来る時は持ち歩くようにさせた手形には、桜枝丸と呼ばれる紋を記してある。藩関所にはその紋を見たら詮議なく通してよいと君命として下してあるので、真紀には寧ろ都合がよかったのだろう。迎えの使者を差し向ければ、真紀はのんびりと馬上の人となって鶴ヶ城に向かってきた。
そしてここ数日、病体の正之を介抱しながら過ごしている。
「史記いわく。始皇が不老不死を望み、方士・徐福にその探索を命じたとあるが」
「……」
「昔、こなたがわしに読み聞かせた『かぐや姫』。あれにも出てくるの。帝が姫に会えぬならば、不老不死の妙薬など残されても厭だと、富士の峰で焼いたと」
「……よく覚えていること」
真紀は小さく笑って。
「正之どのは、さすがにお気づきか」
「したらば」
「いかにも。おそらく、わが身は時知らず。そなたの祖父が幼き折から、この姿は変わらぬ故に」
正之は一瞬瞠目した。
祖父。それは神君家康公を指す。祖父が幼い折といえば、既に百年は経つ。
「真紀」
「不老不死とは違いましょう。私とて赤子として生まれ、齢二十八まで成長いたしました故に。気づけば戦乱の世に投げ出され、信長公に拾われて、ここに至りまする」
不可思議な昔語りとして、お聞きください。
真紀の語る話は、正之の想像を超えたものだった。
「では、真紀の生まれたのは遥か後の時代、ということか」
「はい。私はそう思うております。信長公に拾われた頃から、私の時は止まってしまったようで。老いることはなくなりましたが」
静かな口調で語り続けていた真紀の言葉が、しかし言い淀む。
「それゆえに、哀しき思いもしてまいりましたよ」
「哀しき思い?」
「ええ」
主は何者ぞ。ふむ、面白き者よの。よい、わしの傍に仕えよ。
峻烈な眼差しを岐阜の山頂から湖に向けていた男は、呆気なく劫火の中で果てた。
真紀どのはまこと、時知らずのお方であったか。わしに幾ばくでもその力があれば、幼き我が子の行く末を見届けることもできようものを。
天下人と呼ばれた男も、遅くして生まれた我が子の厳しい先行きを嘆きながら、狂気を含んだ病に斃れた。
普く天の下、戦乱の無き世になればそれでよいのだがの。徳川の世はいかほど続こうか。よい、応えてくれるな、真紀。それは徳川の子子孫孫が為さねばならぬこと故に。
穏やかに笑んだ、老人は。
正之の中に、その面影を見て真紀は小さく笑んだ。
「家康どのは」
思いもしない名前に、正之の背筋が伸びた。
今や東照大権現と神名を戴く祖父は、正之が一度も会ったことのない、雲上の者。
真紀があまりにもさらりと告げた故に、正之が眦をあげる。
「真紀、いかなそなたといえども東照大権現様の御名を口の端に乗せてはならぬ」
「そうですね。でも、みな……信長公も、秀吉公も、家康どのも私より先に逝かれてしまった。見送ることばかり、というのは哀しきものです」
還暦を迎えたばかりの正之ですらその思いは分かる。
自分を弟として認めてくれる宗家の兄たち。
兄弟での跡目争いに敗れた次兄が先に身罷り。
三代将軍となった長兄も、二十年ほど前に鬼籍に入った。正之に宗家を頼むと言い残して。
正之の長男は既に亡く、五男の正純が元服を経て後、わずか二年でこの世を去ったのは今年の初春。
「……まこと、先立たれるのは哀しきことよの」
二十年ほど前。宗家が代替わりしてしばらくの後、江戸の会津藩上屋敷で騒乱があった。
上杉米沢藩に嫁した正室所生の姫が、里帰りの上屋敷で毒殺された。
詮議の上、処断されたのは正室一統。
正室が、側室所生の姫の嫁ぎ先を嫉み、姫を毒殺しようとした。
そう結論づけたのは正之だった。
正室は同じ所生の姫が嫁した稲葉小田原藩預かりとなって、久しい。
「わしには、家族というものに縁遠かったの」
自嘲する老人を見やって、真紀は小さくしかし穏やかに笑んだ。
「そう思われますか」
「うむ。父母恋しのあの頃から、何一つ変わっておらぬ。媛姫が身罷った時も哀しみより怒りが先であった」
「あれは、致し方ありますまい」
知らせを受けて部屋に向かえば、慟哭する正室の声を聞いた。
何故、媛が! 何故、摩須ではない! 誰ぞ間違うたか!
側室の娘が大藩に嫁ぐことが決まった故の、嫉妬であろうと断罪したのは正之だった。
それが当時行われた調査で出て来た答えだったから。
だが、それが真実かは未だもって正之には分からない。
ただ、正室のあの慟哭が今でも耳から離れないのだ。
「……真紀」
「はい」
「そなた、後の時代で生まれた者と申したな」
「はい」
真紀は口の端に笑みを浮かべたまま、頷く。
「では、つまり。宗家が、会津が如何な仕儀になるか、知っておるということか」
「存じておりますよ」
静かな応えに、正之は小さく息を吐いた。
「わしが、如何になるかも。父上より託された時から存じていたということか」
「はい」
「……そうか」
「会津宰相と呼ばれることも、存じておりましたよ。この手に抱いて、見性院さまに庇護をお願いした時から。宗家のため、と身を粉にすることも」
「於万の騒乱も、か」
「……はい」
さすがに、その応えは少しだけ躊躇いが見えた。
その躊躇いだけで、正之は十分だった。
「そうか」
おそらく、自分が生まれてからずっと寄り添ってくれたこの女性は、信長公や、秀吉公や、祖父の一生涯を知っているように、自分の一生涯も知っている。
だが、一瞬の応えの躊躇いが自分と真紀との距離の近さと思えた。
---------------------------------------------------
役に立たない豆知識。
史実を参考に捏造しているので、史実をご紹介してみます。
於万の騒乱について。
事実は分かりませんが、藤木弘之の娘・於万(1620年 - 1691年)が産んだ娘・媛姫は、上杉家に嫁ぎましたが、 側室が産んだ摩須姫が、媛姫の嫁ぎ先よりも大藩である前田家に嫁ぐことが決まったためにこれを妬んで、祝宴の膳に毒を盛ったところ、この膳がちょうど里帰りしていた媛姫よりも先に摩須姫に出されることを心配した侍女が媛姫に出してしまったために、媛姫が毒殺された事件があったそうです。
この媛姫毒殺事件後、保科正之は於万の方を退け(違う実娘の嫁ぎ先に追放状態)、後に記されることになる会津家御家訓四条に、婦女子の声を政に入れず、という項目はこの事件あってのことだそうです。




