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foundation  作者: なみさや
江戸
18/81

敏姫の死





文久2年の初夏。

手を合わせると、真紀は静かに目を閉じた。

小さな位牌に目を落とせば、傍に座っていた照姫(てるひめ)が声を上げた。

「ありがとうございます、御方さま」

「今年も上方(かみがた)まで流行病(はやりやまい)が流れておりましたが、江戸でもかなりの被害が出たのですね」

「気をつけていたのです。殿が疱瘡(ほうそう)を患ったことがありませぬゆえ、持ち込んではならぬと。しかし奥御殿に広がり、奥方さままでが」

最期は殿に会うことも叶わず。

照姫の言葉に、真紀は小さくため息を吐いた。

敏姫(としひめ)のことは幼い頃から知っていた。先代藩主・容敬(かたたか)のたった一人の娘で蝶よ花よと育てられたけれども、容敬の聡明さを受け継いで真紀の異国の話に目を輝かせて聞いていたのは、いくつの時だったか。

『殿は、いつお戻りになるか、御方さまはご存知ではありませんか?』

(おさな)い様子はしかし微笑ましさを呼んで、真紀は穏やかに容保の江戸帰還を告げたことを思い出した。

「享年、おいくつで」

「十九でした」

敏姫亡き今、上屋敷の奥を取り仕切るのは容保の義姉である照姫。婚家より離縁を申し渡されて上屋敷に身を寄せたのが、八年前になる。真紀が奥御殿を訪れれば、幼いながらも幾分華やかな敏姫の横に控えて、なんと大人しい女性であろうかと、真紀が思っていたのだが。

「これからの盛りでいらしたのに」

「はい。殿も大変ご苦労をされていた折のことでしたので……二月ほど熱病を患われて。ようやく本復されたばかりにございます」

疱瘡(ほうそう)ではないと」

「はい。お匙によれば、疱瘡の様子は見えぬと。しかし、決して御健朗な質ではありませぬので、無理はお控えいただきたいとお願いしたのですが、今日も登城日ですので」

照姫の小さな非難には目を瞑り、真紀は敏姫の小さな位牌を見つめて。

「これで容敬どのの血筋も絶えたことになる……」

「殿がお気に病むのは、そこにございます」

自分の独白(ひとりごと)に答えが帰ってきたのに、真紀は驚き背後に座る照姫に膝を向ける。

「気に病むとは」

「一度、奥方さまの位牌の前で小さな声で申されておいででした。土津公(はにつこう)の血筋どころか、自分は末期養子(まつごようし)でしかなくなったと」

「末期養子」

それは本来、許されない制度だった。

嗣子(しし)のない藩主が死の間際、あるいは死去した後に血縁の近い者を養嗣(ようし)に迎え、次代の藩主とすることを指すが、今ではそうやって代替わりする藩が少ないという。だが、所縁(ゆかり)が少ない藩主と、国許(くにもと)軋轢(あつれき)を生みやすいと聞く。

「殿は末期養子などではありませぬのに」

「よりよい会津藩主になろうとすればするほど、土津公の血縁ではないという負い目を感じるのでは」

真紀の言葉に、照姫は小さく溜息を吐いた。

「血筋でないことは、殿には如何(いかん)ともしがたいことなのですが」

「容保どのが気に病むことではないのだけれど」

真紀は静かに立ち上がり、障子を開けた。

微かに入ってきた風が、供えられた線香の煙をたなびかせる。

見えないけれど表御殿の方向を見つめて、真紀は照姫に聞こえないような小さな小さな声で(ささや)いた。

「その思い、どこかで断ち切らないと、会津は滅びの道に進むことになるのよ、容保どの」

「御方さま?」

「……いいえ、何も。そろそろ下城の刻限ですね」






先触れの声に、照姫に続いて座した真紀はゆっくりと頭を下げた。

衣擦(きぬず)れの音に続いて、聞き慣れた声に顔を上げれば、見知った顔が穏やかに真紀を見つめていた。

「真紀どの」

「容保どの。ご無沙汰しております……少し、お痩せになりましたか」

幾ばくか寂しさを感じさせる微笑みで、容保は応えた。

「昨冬は、なかなかに過ごしにくく」

「そう、ですか」

「一年ぶりほどか、御出でになられたのは」

「ええ。丸一年になります。表御殿もようやく新しくされたのですね」

辺りを見回しながら真紀が言えば、容保が小さく頷いて、

「ようやくというべきか。地震にはなんとか持ち堪えたが、一度開いてみれば、(はり)がかなり酷いものであったという」

安政の大地震の被害は、甚大なものだった。

江戸市中はもちろんのこと、上屋敷もあちらこちらが損傷したけれど、容保は屋敷の修繕よりも幕府により防衛を命じられた江戸湾内に設けられた第二台場の修繕を優先させた。それゆえに(こぼ)れた屋敷は撤去か放置になり、去年真紀が訪れた時、上屋敷は場所によっては廃墟の趣きさえ感じさせていた。

「敏姫には不自由な思いをさせたまま、空しくさせてしもうた」

言葉の端々に、幼くして果てた妻への詫びが垣間見て、真紀は小さく頭を振った。

「容保どの。敏姫さまがそのようなことを気にするお方ではなかったこと、私でもわかりますよ」

「………」

「まして末期養子などと、思ってもいなかったことも」

容保が瞠目して、真紀を見る。真紀は僅かに微笑みながら、

「敏姫さまならば、きっとこう仰るでしょうね。殿はご自分を追い詰めてしまわれる方だから、自分のことでそんなに気に病んでくれるなと」

照姫も小さくため息を吐いた。

真紀には伝えていなかったけれど、最期を看取った照姫は敏姫から告げられた。

『姉上さま。殿はお強い方だけれど、ご自分から厳しい道へと向かわれる方だと、敏は思うのです。私のことも、きっと幸せにできなかったと、気に病まれるでしょう……だから伝えていただけますか? 敏は、殿のお側で幸せだったと』

敏姫が急な病を得て床に伏した時、容保は品川台場にいた。引き返すことも出来ず、数日のちに帰宅すれば、既に医師により疱瘡(ほうそう)との診たてで、会うことも許されなかった。

だから、最期を看取った照姫から敏姫の言葉を聞いて時、容保は深くため息を吐いたのだ。ただ、それだけが敏姫の最期の言葉を知らされた容保の様子だった。

「……殿にはお伝えしましたが、敏姫さまは最期に幸せであったと、伝えてほしいと仰りました」

照姫の静かな言葉に、真紀は小さく頷いた。

「そうでしょうね。あのお方ならば、そう仰るでしょうね」






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