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foundation  作者: なみさや
遭逢
12/81

会津の志




ゆっくりと穏やかに告げられた言葉だったけれど、容保はそれをまるで突き放されたように感じて。

慌てて顔を上げた。

穏やかに微笑む真紀が続ける。

「藩主とは、選ぶ者です。差し出された道の中から自らの知識を持って選び、その選んだことに責と覚悟を持つ。故に孤高の存在なのです」

「……できましょうか」

幾分小さくなった声色を、真紀は無視して続ける。

「ならねば、なりませぬ」

「しかし私は」

「容保どの」

「私は、土津公のお望みのように、会津を導けぬやもしれませぬ」

ここまでの弱音を、藩主になるという者から聞いたことはなかった。

しかし真紀は笑み零したまま、言う。

「なにゆえにそのようにお思いか? 年嵩がいかぬというならば、年相応になるまで学び続ければよいこと。家老たちも、容保どのが学ぶ姿勢を取り続ければ、ずっと傍にあって必要なことをお教えしましょう。そのために彼らはいるのですから。私とて同じ心持ちでおりますよ?」

「いいえ、そうではなく」

「ではなにが」

「それがしは!」

小さな叫びのように、容保はいいかけて。しかし口をつぐむ。一瞬訪れた沈黙のあと、深い溜め息を吐いたのは容保だった。

「それがしは、養父上のような藩主にはなることが出来ないような気がしてならぬのです。ましてや家老たちが望む藩主にも」

「そう……思われるのはなぜに?」

「それがしは、土津公の血筋には非ず」

絞り出すように紡がれた言葉は、真紀も予想していたもので。

穏やかに笑みながら、真紀は問いかける。

「血筋であることは、それほど大切なのですか?」

「それは」

「確かに、保科正之の直系は七代・容衆(かたひろ)どので絶えました」

真紀の言葉に、かたもりは項垂れる。

「しかし、遡れば正之どのも二代将軍・秀忠どのの血統。高須松平家も東照宮どのの血脈」

「しかし!」

「分かりませぬか、容保どの。あなたが仰ったことは、正之どの血統でなければ、藩主など就けぬと言っていると同じこと。つまり、容敬どのは藩主ではないと思っていると?」

弾かれたように真紀を見つめる容保の視線が痛々しかった。

呆然と立ち上がりながら、数歩後ずさる。

だが真紀は穏やかな視線だけでそれを追う。

「そのような」

「分かっていますよ。容保どのがそのようなこと、露程も考えたことなどないことを。でもね、容保どの。人はそう考えるのです。孤高の存在であるべき藩主が呟く言葉は、単なる吐露ではなく、結論になります。弱音を吐けば、それは連なる者の存在否定になる」

「………」

「容保どの。あなたは優しい」

優しすぎます。

真紀の言葉に、容保は悠然と座る真紀を見下ろした。

「万喜の御方?」

「優しきことはよいことです。他人に優しさを与えられるということは、それだけ配慮が足りているのですから。ですが容保どの。あなたの優しさは、あなた自身に向けられると違う意味を持つのですね」

おそらくは養父や、代々の藩主たちと自分を比べてしまうのだろう。

いくら学んでも、いくら努力しても、藩主たちに続く者として認めてもらえないという、先入見。

それが自らの血統の否定に向かい。

「でもそれは、本当に正しいこと?」

「?」

「それはまこと、容保どのと会津のためになるのでしょうか?」

ゆったりと、重さを感じさせない身軽さで真紀は立ち上がり、数歩進んで容保の目前に立つ。真紀の動きを予想できなかった容保が幾分動揺しながら、言葉を紡ぐ。

「会津のためならば、なおのこと。それがしが藩主となるのは」

容保が口を噤んだのは、制止されたからだった。

細い指が。

容保の薄い唇に、そっと触れた。

それ以上は語らぬようにと、柔らかく制して。

ゆったりと触れられた唇が、しかし指の柔らかさを唇に伝える。

容保は自らの唇を触れながら、数歩下がる。

真紀は、嫣然(えんぜん)と微笑みながら言った。

「これは、必然。数多(あまた)の歳月から生まれた、必然の時。容保よ、開祖土津公の思い、聞き逃すか」

数歩下がって、容保は床柱にぶつかって、それに身体をもたれかけながら、ずるずると座り込んだ。

「聞き、逃す?」

「ええ。容保どの。正之どのは、一度も自分の血統こそが子孫であるとは言わなかった。会津の志を持つ者こそが、我が子孫である。そう言っていた」

「会津の志」






「会津の志? それはどういう?」

真紀が問えば、面窶(おもやつ)れた正之は数瞬、沈思してから、

「わしは会津を宗家の守護のためだけに留め置きたいわけではない。会津を拝領したのも確かに東国の抑えとして、江戸を護る意味合いがあったのも間違いではない」

真紀は静かに正之を見つめる。

「武家がただ一向(ひたすら)に宗家の守護に精進すれば、民草は強請り取られるだけの存在に成り下がろう。それでは会津に保科が根付かぬ」

浅く(しわぶ)く正之の痩せた背中を擦りながら、真紀は言った。

「そこまで分かっていながら、御家訓はそのままにとは」

「ははっ、それくらいはわしとて思い至る。だがの、真紀に後々のことを教えられて初めて思うたことだがの」

確かに自分が時知らずの身であり、後々のことを教えはしたものの、具体的な話はほとんどしていない。正之の深慮に真紀は小さく笑った。

「さすがは会津宰相どの」

「茶化すな。民草を贄にして育んだ会津が、後々にはまた新しい御代の贄になるというなら、わしの残す家訓は、ただただ会津を滅するためだけの呪言になる。そのようなことは、させたくはない。だがの、宗家の守護は必要なのだ。太平の世が続くなら、必ず宗家の脅威になる蠢動(しゅんどう)が生まれ、宗家の存続が憂懼(ゆうく)される時は来る。わしはそう思うのだ。だからこそ、家訓は必要なのだ」

真紀は静かに、正之の背中を擦る。

「真紀」

「はい」

「だからこそ、真紀を利用させてくれ」

利用。

今まで、真紀のことをそんな風に表現したことなど、正之は一度もなかった。

真紀は手を止めて、正之の顔を覗き込んだ。

なのに、あえて使うその意図を、正之の表情から読み解こうとして。

正之は幾分眉間の皺を深くしながら、しかし真紀に視線を合わさず、遠くを見つめて。

一つ、嘆息する。

「わしは……酷い男じゃの」

「正之どの」

「未来永劫などとは言わぬ。未来永劫など、時知らずの身を持つ真紀ですら分からぬことであろう? だからせめて、会津が新たな御代の贄にならぬために、しかし宗家の守護を全うするために。そのために、常日頃、次代の者たちに説き聞かせてほしいのじゃ。人は思いを強くしても、時がその強さを徐々に衰えさせる」

だから、会津から保科が離れぬように見届けて欲しい。

そのために、真紀を利用する。

正之の静かな口調に、しかし真紀は笑んだ。

「もちろん、そのつもりでしたよ。過日、守護者の守護を引き受けると決めた時から、会津の行く末を、見守るつもりでしたから」

「うむ」

「ですが、どうしましょうか。例えば、本当に御家訓と、会津の存亡が背馳(はいち)となった時」

「だから、会津の志とでも言うものがあろう」

先ほど正之の告げた、聞き慣れぬ言葉に真紀は再び首を傾げた。

「それはいかなるもの」

「宗家の守護が第一義。だが、保科は会津を以てして存在する。会津が後ろに控えてこその、家訓ぞ」

ならばこそ。

会津の志を持つ者こそが、宗家の守護者たるべきで、それを護る者こそ、わしの子孫じゃ。

正之は穏やかに言って、小さく笑った。

「たとえ、直系の子孫がおらずとも。そがわしの子孫といえようの」

真紀は一瞬眉を顰めた。

「正之どの」

「未来永劫などない、わしの直系があるやなしやなど論外のこと」

再び浅く咳いて、正之は笑んだ。

「会津の志を、持つ者こそが我が子孫ぞ」





「容保どの。正之どのは、会津が常に自分の奥底にある者こそが、自らの子孫であると仰せになった。お分かりか。会津の志とは、即ち自分の全ての根源、思いの起源であり、行いの原始となるものが会津であるという意味です。それが出来る者こそ、自らの子孫であると」

容保は座り込んだまま、真紀の言葉を聞いていた。

「会津の志」

「容敬どのもそうでした」

養父の名前に、容保は慌てて居住まいを正す。

「養父上が」

容保以上に、直系子孫ではないことに負い目を感じていたのは容敬だった。

今日の容保のように、直系子孫でないことに頭を垂れ、土津公に申し訳が立たぬと涙した。

だがそれは、容敬には術がないことで。

真紀はそれまでの藩主には一度も話したことのない、『会津の志』の話をしたのだ。

それから容敬は変わった。

直系子孫ではないけれど、藩主となった以上はやらねばならぬことがある。

『会津の志』を持つ者にならねばならぬ。

ひたむきに、会津を学び、会津と寄り添おうとしてきた四十数年。

「容敬どのは、蜿蜒(えんえん)と学び続けて、今の容敬どのになったのですよ。容保どの。あなたはそれが出来ますか? 『会津の志』を持つためには、奮励(ふんれい)せねばならぬのです」

「……できるでしょうか?」

「そのために、私がいます」

真紀は容保の前に、綺麗な所作で座り直し、頭を垂れる。

「私はそのために、容保どのの傍におります。もちろん、家臣たちも。容保どののなりたいもののために、私たちはいるのですから」






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