託された赤子
細い指が、動く。
静かに。
音もなく。
容保の、薄い唇をふさぐように。
言葉をとどめるように、そっと人差し指一本だけ触れて。
彼女は笑む。
それ以上は語らぬようにと、柔らかく制して。
ゆったりと触れられた唇が、しかし指の柔らかさを唇に伝える。
容保は自らの唇を触れながら、数歩下がる。
触れた女は、嫣然と微笑みながら言った。
「これは、必然。数多の歳月から生まれた、必然の時。容保よ、開祖・土津公の思い、聞き逃すか」
その言葉が容保をとらえて、動かない。
「子を、頼みたい」
突然の願いに、真紀は小さく瞬いた。
「子」
「うむ」
ここ数年で一見恰幅がよくなった男は、久しぶりの邂逅でありながら挨拶も省いて、そう切り出した。
さすがの不調法に、真紀はため息を吐いて。
「秀忠どの」
「なにか」
「数年来に会う者に、それが頼む口調であるのか? 徳川では」
「おお、すまぬ」
上方で自由気ままに生きていた真紀に、便りが届いたのはさすがに徳川の威光か。
父親が送る便りにはなかった威丈高が見え隠れするけれど、真紀はあえて穏便に二代将軍の願いを聞き届けた。
幼き頃から馴染の、秀忠。
愚直ではあるが、決して信頼したものを裏切らないという噂を持つという。
出来すぎた長男に隠れていた二男は、長男の失脚を乗り越えて、嫡子として落ち着いた、と聞いていた。
「実は、江与には黙って子を成した」
秀忠の告白は、正室たる江与との子ではないという、安易な答えで。
「どこのおなごに」
「……うむ」
子の母の名すら出ない。それはあくまで行きずりの出会いであったことが推察できて、真紀は小さくため息をつく。
「つまりは、城に上げることが出来ぬ、と」
「うむ」
正室の子は、城で生まれる。
側室の子は、城外で生まれ、正室の許可あって城内で養育される。
それが習わし。
だが、真紀は目の前でため息を吐く秀忠の、剛い妻を思う。
夫に江与と呼ばれた彼女は、何人目かの子を宿したばかりだが、決して引かぬ。
おそらくは夫に側室の子を育ててくれか、側室を城にあげたいと言われて、勘気を爆発させたのだろう。
遥かに年下の、この男は、それを御する技をもたない。
「いかがか、真紀」
「……いかがと聞かれても。何を私に望むか」
真紀の静かな答えに、秀忠は膝を打った。
そうか、望みを言わなんだ。
威丈高の中に、相も変らぬ柔らかな愚かさに真紀は笑う。
「この子どもの養育を、真紀に頼みたい」
「……は?」
「よきように致せ。母親は産褥にて身罷ったと聞いた。それゆえ、奥の怒りは子には向かわぬ」
子の存在が、正室の怒りを招くのではない。
子を為す行為が、正室の怒りを招く。
そう指摘したかったが、真紀はあえて何も語らず、頭を垂れて言った。
「確かに。その男の子、引き受けまする」
「真紀は、何故に我が傍におる」
ぽつりと告げられた言葉に、真紀は小さく笑んで。
「なにゆえと言われても。まことの父上にそう告げられては」
「まことの父上とは、江戸におわすお方か」
幼子とは思えぬ言葉に、真紀はしかし真正面からとらえて頷いた。
「いかにも」
「……我が、父であらせられる」
「いかにも。したが、それにはあえて否ともうしあげましょう。幸松ぎみ」
呼びかけられて幼子の背筋が伸びる。
「なんじゃ、真紀」
「その名乗り、未だかないませぬ。まこと、その時は来るとは限りませぬ。よって一心に秘すべし」
「……秘すべし」
遠く、真白き江戸城の城閣が見える気がした。
だがあそこに父親がいるとわかっていても、幸松には近寄ることすらできない。
夜になれば、幼子が咽び泣く声に起こされる。
問えば、見ぬ父を思い泣くという。
だが、側室の子の定め。
「妾が預かろう」
声をあげたのは、かつての盟主の娘。
生まれた子を早くに亡くし、自分の父親の名前故に江戸城に住まうことを許された、僧形のおなご。
白布をゆらりと揺らして、武田の生き残りは真紀に告げる。
幼き子を、庇護すると。
それゆえに、奥に控えし女性は決して愚かしい真似をすることなく、保科家に養子として迎えられるまで、幸松は健やかに育ちゆく。
「真紀」
「はい」
「わが父は、いかにお過ごしか」
問われれば、真紀は穏やかに応える。
「天の端にお住いの御方を思われていかがします」
だがそして、その日の将軍の予定をさりげなく伝える。
どこにいるか、何をしているか。さりげなく覗けるか。
それが、真紀の思いでもあった。
最初から交わることのない、父子の道への、精一杯の配慮だった。
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役に立たない豆知識。
史実を参考に捏造しているので、史実をご紹介してみます。
保科正之の養育について。
正室の許可を受けていない侍妾(側室)の出産・養育は江戸城内で行われないのが通例であったために、幸松の養育は武田信玄の二女・見性院に委ねられ、のちに見性院の縁で旧武田氏家臣の信濃高遠藩主・保科正光が預かり、正光の子として養育されることになります。