7 ちゃんと見てくれる人
ギャル朝倉の新人の頃の話。
私はたぶん、世間でいう“ギャル”というジャンルに入る。
でも別に、誰かを威圧したいわけでもないし、目立ちたいわけでもない。
派手な顔立ちは生まれつきだし、黒髪ストレートにベージュのカーディガン、みたいな“清楚系”が壊滅的に似合わないだけだ。
似合う服を着ているだけ。
ネイルをして、まつ毛を上げて、好きな色を身につける。
それで誰かに迷惑をかけているとは思っていなかった。
でも、老舗のお硬い会社に受かったときは、自分でも正直びっくりした。
(なんで受かったんだろう)
面接のとき、面接官の男性は穏やかに笑って言った。
「うちは人柄を見ますから」
その言葉が本当だったのかどうか、入社してからしばらくは分からなかった。
社内は思っていた以上に静かで、落ち着いていて、そしてどこか緊張感があった。
会議室に入ったとき、一瞬だけ止まる視線。
エレベーターの中で流れる、微妙な沈黙。
誰も何も言わないのに、少しだけ距離を取られているような感覚。
ああ、浮いているな、とすぐに分かった。
でも、それでもいいと思った。
仕事さえちゃんとしていれば、きっと問題にはならない。
私は決めた。
誰よりも真面目にやろう、と。
資料は完璧に作る。
数字は何度も確認する。
納期は絶対に守る。
頼まれたことは、その一歩先まで考えて動く。
見た目で判断されないように、仕事で証明すればいい。
そう思っていた。
――あの日までは。
それは本当に小さなミスだった。
資料の中の数字を一つ、打ち間違えただけ。
確認をもう一度していれば防げた、初歩的なミス。急ぎの仕事が差し込まれて、ダブルチェックが疎かになった自覚がある。言い訳できないケアレスミス。
そして、それを見つけたのが、お局様だった。
「朝倉さん?」
静かな声で呼ばれる。
その瞬間、空気が少しだけ変わる。
私は椅子を引いて立ち上がり、席へ向かった。
「これ、何?」
お局様は資料の数字を指先で軽く叩いた。
「あ……すみません、すぐ修正します」
慌てて言うと、彼女はゆっくり首を振った。
「すぐ修正すればいいってものじゃないのよ」
声は穏やかだった。
でも、その奥には冷たい硬さがあった。
「普段から落ち着きがないから、こういうことになるのよ」
胸の奥が、少しだけ冷える。
「見た目ばかり気にするんじゃなくて、中身もちゃんとしてもらわないと困るわ」
やっぱり、そこに行くんだ。
見た目。
周りの視線が、じわりと集まるのを感じる。
誰も何も言わない。
キーボードを打つ音だけが、妙に大きく聞こえる。
(ちゃんとやってるよ)
心の中でだけ、言い返す。
でも口には出せない。
言った瞬間、“生意気なギャル”になるのは分かっている。
「申し訳ありません」
私はもう一度頭を下げた。
そのときだった。
「その件、俺も確認不足でした」
低く落ち着いた声が、横から割り込んだ。
顔を上げると、そこにいたのは山本さんだった。
斜め向かいの席に座っている、静かな中年の同僚。
いつも控えめで、あまり目立たない人だ。
「最終チェックは俺の担当です」
山本さんは淡々と言った。
「朝倉さんだけの責任ではありません」
お局様が、わずかに眉をひそめる。
「でも入力は彼女が――」
「最終責任は上の者が負うべきです」
声は強くない。
怒っているわけでもない。
それなのに、不思議と揺らがない響きがあった。
一瞬、周囲の空気が静まる。
お局様は少し不満そうに口を閉じ、やがて視線を外した。
「……次から気をつけて」
それだけ言って、席へ戻っていく。
私は自分の席に戻った。
キーボードに手を置くと、指先がわずかに震えていた。
悔しいのか。
情けないのか。
自分でもよく分からない。
「大丈夫?」
小さな声が聞こえた。
顔を上げると、山本さんがこちらを見ていた。
いつもの、穏やかな目。
「……すみません」
思わず言葉が出る。
言ってから、自分で驚いた。
「なんで謝るの」
山本さんは少しだけ首をかしげた。
「かばってもらったから」
そう言うと、彼はふっと優しく笑った。
「事実を言っただけだよ」
それだけだった。
大げさに慰めるわけでもない。
同情するわけでもない。
ただ、静かに横に立ってくれただけ。
それなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「朝倉さん、いつもちゃんとやってるの知ってるから」
その一言で、喉の奥が少し詰まった。
浮いていても。
遠巻きにされても。
ちゃんと見てくれている人がいる。
ネイルも。
服も。
まつ毛も。
何一つ、変えなくていい気がした。
私はたぶん、ギャルだ。
でも、真面目に精一杯生きているつもりだ。
そして――
それから私は、斜め向かいの席に座るこの人を、少しだけ特別に思うようになった。




