6 曖昧な昼の味
中年になると、すべてに少しずつ重みが増す。
階段を上るのもそうだし、メールを一本返すのもそうだし、昼メシを選ぶことさえ、地味に面倒くさい。
何が食べたいのか考える。混んでいる店を避ける。財布と相談する。並ぶかどうかも判断する。
たったそれだけのことに、脳のリソースを持っていかれる気がする。だから、朝、コンビニで適当に手に取った総菜パン。惣菜コーナーの端に置かれた、ハムチーズ。
嫌いじゃない。でも、好きでもない。
そんな曖昧な昼飯を、今日も机でかじっていると、斜め前の席の朝倉が顔をのぞかせた。
「山本さん、いつもそのパン食べてますけど、好きなんですか?」
ひょいと体を傾けて、こちらを覗き込む。指先には今日も春らしい色。ピンクのネイルに小さな花びら。自分とは対照的に、きらきらしている。
好きか、と聞かれると困る。
好きだから食べているわけじゃない。
ただ、楽だから。
失敗しないから。
考えなくて済むから。
「どうかな」
曖昧に笑って答える。自分でも情けない返事だと思う。
本当は「楽だから」と言えばいいのに。
「考えるのが面倒なんだ」と言えばいいのに。
どこかで格好をつけたくなる。
若い彼女の前で、“何も考えていないおじさん”に見られたくない。
でも結局は、曖昧なまま。
パンをひとかじりする。
味は想像通り。安心と、少しの退屈。
(またちょっと、自分のことが嫌いになりそうだな)
視線を落とすと、朝倉があっさり言った。
「いいですよね。ハムとチーズなんて間違いないじゃないですか。私、絶対好きです」
屈託のない笑顔。
好きでもない、なんて言わなくてよかったのかもしれない。
好きかどうか、はっきりしなくても。
選ぶ理由が“楽だから”でも、いいのかもしれない。
それでも昼は来るし、腹は減る。午後の仕事も始まる。
中年の凝り固まった卑屈な思考が、若者の真っすぐさに、少しだけほぐされた気がした。
今日は、小さなことでも、ちょっとだけ世界が軽くなったように感じる。




