2 斜め向かいの山本さん
私、朝倉には会社に好きな人がいる。
斜め向かいの席に座る、山本さんだ。
パソコンの画面越しに、そっと視線を上げる。
モニターの向こう側で、山本さんがキーボードを打っている。真剣な表情で、少しだけ伏せた目元。仕事に集中しているときのその顔が、私は好きだ。
ふっと笑ったとき、目尻にうっすらとシワが寄る。
最初は、「疲れているのかな」と思っていた。でも今は違う。そのシワさえ、なんだか愛おしく見えてしまう。
恋って、不思議だ。
少し迷ってから、私は声をかけた。
「山本さん、今日元気ないです?」
山本さんは椅子の背もたれに体を預けて、苦笑した。
「あー……ちょっとな。朝バタバタして、朝飯抜いちゃってさ」
そう言いながら肩を回す仕草が、なんだか少し疲れて見える。
よく見ると、ネクタイがほんの少し曲がっていた。髪も、いつもより整っていない。そんな小さな変化に気づいてしまう自分に、胸の奥がきゅっとする。
「えー、お腹空いちゃいますよ」
私は引き出しを開けた。中から小さな飴の袋を取り出す。
いつも入れている、自分用のおやつ。でも、本当はこういうときに渡せたらいいなと思って、なんとなく置いてあるものだ。
袋を開けて、一粒取り出す。
「よかったらどうぞ」
そっと差し出すと、山本さんは少し驚いた顔をした。
「おー、ありがとう」
受け取りながら、ふっと笑う。
「朝倉さんのおかげで、午前中を生き延びられそうだ」
そう言って、両手を合わせて拝むような仕草をする。
「大げさですよ」
笑って返しながらも、胸の中はちっとも落ち着いていない。
“朝倉さんのおかげ”。
その一言だけで、胸の奥がふわっと温かくなる。
たぶん私は、午前中どころか一週間くらい元気でいられる。
山本さんは飴を口に入れて、少ししてから小さく呟いた。
「甘い」
その横顔を、私はまたこっそりと盗み見る。
好き。
ただ飴を一つ渡しただけ。
それだけなのに、今日はいい日だと思えてしまう。
斜め向かいの席の距離は、少しだけ遠い。
手を伸ばしても届かない。でも、だからこそ見えるものもある。
仕事をしている横顔。
ふとした仕草。
時々向けてくれる、やわらかい笑顔。
その全部に、私は毎日ときめいている。
そのとき、山本さんがふと顔を上げた。
目が合う。
「なんですか?」
思わず聞くと、山本さんは少し照れたように笑った。
「いや、助かったなと思って」
また笑う。
その目元に浮かぶシワが、やっぱり優しくて。
私は改めて思う。
恋って、本当に不思議だ。




