表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中年サラリーマンの俺だけど、会社の斜め向かいの席のギャルになぜか懐かれている  作者: 只野 唯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/14

11 噂の昼休み


 その和食屋には、もう何度か来ている。

駅前の通りから一本、細い路地の奥にあって、昼時でも比較的静かだ。表通りの喧騒が嘘みたいに遠くなる場所で、木の引き戸を開けると、ふわりと出汁の匂いが迎えてくれる。


 焼き魚定食がうまい。

 味噌汁も、ちゃんと出汁の味がする。

 最初はたまたまだった。

 朝倉さんと昼を食べることになったとき、近くで空いていた店がここだった。ただそれだけの理由だ。

 けれど、気がつけば――。

 朝倉さんとのランチは、だいたいここになっていた。


「今日はサバですね」


 向かいに座った朝倉さんが、メニューを見ながら言う。


「サバかあ。いいね」

「山本さん、魚好きですよね」

「年だからね」


 何気なく言うと、朝倉さんが少し顔をしかめた。


「またそういうこと言う」


 箸袋をいじりながら、小さくつぶやく。

 俺は笑ってごまかした。

 料理が来るまで、二人で他愛のない話をする。

 会社のちょっとした愚痴とか。

 今日はやけに寒いとか。

 昨日のドラマがどうだったとか。

 取り留めのない会話。

 でも、こういう時間は――。

 正直、嫌いじゃない。

 むしろ。


「へえ」


 横から声がした。

 振り向くと、隣のテーブルに立っている男と目が合う。

 遠藤だった。

 隣の部署の社員で、三十歳くらい。背が高く、顔も整っている。社内でも女性社員の人気が高いタイプの男だ。


「山本さんと朝倉さん」


 口元に笑みを浮かべている。


「面白い組み合わせですね」


 軽い調子の言葉だった。

 けれど、その響きの奥に、ほんの少しだけ引っかかるものがある。

 悪意、と言うほどではない。

 ただ、観察するような、からかうような視線。

 俺はとっさに言葉が出なかった。

 その一瞬の沈黙を埋めたのは、朝倉さんだった。


「私がお誘いしました」


 はっきりした声だった。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく縮む。

 しまった、と思った。

 女の子に庇わせてしまった。

 情けない。

 本当は、俺が何か言うべきだったのに。

 遠藤は少しだけ眉を上げた。


「へえ」


 視線が、俺と朝倉さんの間をゆっくり行き来する。


「そうなんですね」


 口元の笑みが、少しだけ濃くなる。

 そのときだった。


「何か問題あります?」


 朝倉さんが言った。

 ぴしゃり、と。

 柔らかい声なのに、そこにきれいに線が引かれるような言い方だった。

 遠藤の笑みが一瞬固まる。


「いや、別に」 


 軽く肩をすくめた。


「お邪魔しました」


 そう言って、気まずそうに店を出ていく。

 店の引き戸が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。

 しばらく沈黙が落ちる。

 味噌汁の湯気が、ゆらゆらと揺れている。


「……ごめんなさい」


 朝倉さんがぽつりと言った。


「え?」

「強く言いすぎました?」


 少しだけ不安そうな顔だった。

 俺は首を振る。


「いや」

「むしろ助かったよ」


 本当だ。

 けれど、胸の奥に小さな痛みが残っている。

 守られてしまった。

 年下の女の子に。

 それが、少しだけ情けない。


「気にしないでください」


 朝倉さんはそう言って、箸を割った。


「いただきます」


 俺も箸を取る。 


「いただきます」


 焼きサバは、相変わらずうまかった。

 皮はぱりっと焼けていて、身はふっくらしている。

 それなのに。

 さっきのやり取りが、なんとなく頭の奥に残っていた。


 午後。

 会社に戻ると、空気が少し違っていることに気づいた。

 最初は気のせいかと思った。

 けれど違う。

 視線がある。

 そして、すぐに逸らされる視線。

 小さな笑い声。

 コピー機の前で、誰かが言う。


「聞いた?」

「うそ、ほんと?」 


 小声なのに、妙に耳に入る。

 席に戻る途中、トイレの前で話している女子社員の声が聞こえた。


「朝倉ってさ」

「うん」

「山本さんのこと好きらしいよ」


 一瞬、足が止まりそうになる。 


「えー、ほんと?」

「今日もランチ一緒だったらしい」

「マジで?」 


 くすっと笑う声。


「おじさんキラーじゃん」

「いや逆でしょ」


 もう一人が言う。


「山本さんが迫ってるんじゃない?」

「えー」

「だってさ、ギャルってそういうの狙われやすいじゃん」


 胸の奥が、ずしりと重くなる。

 そんなわけない。

 誘っているのは――。

 いや。

 それを言っても、言い訳にしか聞こえないだろう。

 俺は何も言わず、そのまま席に戻った。


 斜め向かいの席。

 朝倉さんは、いつも通りパソコンに向かっている。

 何も知らない顔で。

 キーボードを打つ指先のネイルが、光を反射してきらりと光る。

 噂は、きっともう広がっている。

 俺のせいで。

 胸の奥に、重たいものが落ちる。

 ――これは、良くない。

 そう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ