1 ピチピチは死語でした
俺は腹が出ているわけでもないし、ハゲてもいない。
鏡に映る自分を見れば、見た目だけならまだそれなりだと思う。
だが、それでも自覚している。俺はもう、立派な中年のおやじだ。
最近の朝の習慣が、それを物語っている。
目が覚めると、まず体をゆっくり起こす。そして腰の様子を探るように、そっと動かす。
「……今日は、いけるか?」
まるで古い機械の調子を確かめるみたいに、自分の体に問いかける。そんなことをしている時点で、もう若くないのだろう。
階段を上れば息が上がる。
徹夜なんて言葉は、もう現実的な選択肢じゃない。もしやったら翌日の自分が確実に悲惨なことになると、簡単に想像できてしまう。
それだけなら、まだいい。
映画を観ても、昔みたいに胸が震えなくなった。
新しい音楽を聴いても、「へえ、これが今の流行りか」と、どこか他人事みたいな感想しか出てこない。
体だけじゃなく、感性まで古びてきたのかもしれない。
そう思うと、地味にこたえる。
先日、会社でその話をぽろっとこぼした。
「最近さ、体の衰えを感じるんだよな……」
軽い雑談のつもりだった。
斜め向かいに座っている若い女性社員、朝倉がこちらを見て、くすっと笑う。
「その言い方、もう完全におじさんですよ」
悪気はない。むしろ軽い冗談だ。
たぶん、事実でもある。
それでも――“おじさん”という言葉は、思ったより破壊力があった。
胸のど真ん中に、クリーンヒットする。
少しムキになって、俺は言い返した。
「ピチピチの君には分からないよ」
言った瞬間、あ、と思った。
語感が、古い。
朝倉は一瞬きょとんとして、それから腹を抱えて笑い出した。
「ピチピチって!それ死語ですよ!」
周りの社員までつられて笑う。
俺はデスクに座ったまま、静かに思った。
ああ、今、社会的寿命を迎えたな、と。
腰が痛いことより。
体力が落ちたことより。
“ピチピチ”が死語だったことの方が、ダメージが大きい。
どうやら俺は、いつの間にか時代から半歩……いや、三歩くらい遅れているらしい。
腹は出ていない。
ハゲてもいない。
でも確実に、何かが古びてきている。
若さが眩しいのは、光が強いからじゃない。
きっと、自分の方が少しかすんできたからだ。
それでも、明日も会社には行く。
腰に湿布を貼って、いつも通りの顔で出社する。
そしてたぶん――
もう二度と、「ピチピチ」なんて言葉は使わない。




