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6.肯定する私

 言い争っていた三人は、私の凛とした声を聞いて同時にこちらを見た。みな一様に、驚きを顔いっぱいに浮かべていた。


「私、ここを追い出されてよかったと、心からそう思っています」


 さらに続けると、三人ともぽかんと口を開けてしまった。爽快だなと、こっそりそんなことを思ってしまう。


「あなたがたのように、悪事に手を染めずに済みましたから」


 悪事、のところをことさらに強調して発音する。母が悔しげに歯を食いしばったけれど、何も言い返してはこなかった。


「それに、あなたがたに虐げられていたおかげで、こうしてメイドとして働くこともできています」


 カシアスたちに雇われてから、私はそれまで以上にせっせと働いた。この屋敷にいたころとは違い、頑張ればきちんと褒めてもらえる。最高の暮らしだった。


「あなたがたがどうなろうと、興味はありません。では、さようなら」


 不思議と、恨み言のたぐいは出てこなかった。ただ、満足感だけがあった。ようやくこの人たちに、自分の口で別れが言えたということが、思いのほかすがすがしかった。




 それからずっと、カシアスとベネディクトは忙しくしていた。後からやってきた他の役人たちに屋敷の捜索を命じたり、両親やライザ、それにショーン様を取り調べたりしていたりと、ずっとせわしなく動き回っていたのだ。


 私はその間、屋敷の応接間でぼんやりと待っていた。この屋敷で暮らしていたころは、一度だって足を踏み入れることが許されなかった豪華な部屋は、どうにも居心地が悪かった。


 日が傾いてきて、空が温かな色を帯び始めたころ、ようやくふたりが戻ってきた。すっかり疲れた様子だったけれど、その表情にはわずかに安堵の色があった。


「お待たせ、ルーナ君。ようやく終わったよ」


「あの……」


 カシアスとベネディクトの正体は、結局何なのか。両親は、ライザはどうなるのか。知りたいことは、山のようにあった。


「君も、いろいろ気になっていると思う。ただ、ここでは話せない。ひとまず、宿まで戻ろう」


 口を開きかけた私を、ベネディクトがそっと制する。


「……ただ、これ以上君が苦しむようなことは、ないはずだ」


 そうして、小声で付け加えてきた。気を遣ってくれているのが分かったので、素直にうなずく。


「さあ、戻ろうか」


 そんな私たちを見て、カシアスが朗らかに笑っていた。




 馬車に乗って町に戻り、宿の一室で三人だけになる。ちょっぴり緊張している私に、カシアスがおっとりと言った。


「さて、まずは私とベネディクトの素性について、説明しておかないとね」


 カシアスは、天気の話でもしているかのような態度だ。対するベネディクトの表情は、少しこわばっている。


「私たちは、れっきとした商人だよ。ただ王宮からの要請を受けて、たまにこっそりと役人としての仕事をこなすこともあるってだけで。商人という身分があると、怪しまれることなくあちこちをごく自然に動き回れるから」


「そうだったんですか……一緒に行動していたのに、役人としての仕事をされていることに気づきませんでした」


「まあ、長年やってるから、こそこそ動くのは得意なんだよ」


 明るく笑ったカシアスに続いて、ベネディクトが口を開いた。


「今回、ディル家がご禁制の薬草を取引しているとの情報が王宮にもたらされ、僕たちに調査指令が出た。だから父さんと僕は裏付けを取るために、旅をしながら調べていたんだ」


 するとカシアスが肩をすくめ、困ったように天を仰ぐ。


「その途中、一度ディルの屋敷を下見しようとして、地元の人間と馬車を借りて、ひとりで近づいてみたんだ。そうしたら賊に襲われて……あのときは、生きた心地もしなかった。ルーナ君が通りがかってくれなかったら、本当にどうなっていたか」


「だから無茶をしないでくださいって、僕は何度も言いましたよね。変装して、予定の道筋からも外れて……そのせいで、父さんが見つからなくて、生きた心地もしなかったんですから」


「はは、そう怒るなベネディクト。今後は慎むから」


 息子をなだめるように笑ったカシアスが、くるりとこちらを向く。 


「とまあ、君と出会ったときの状況には、こんな事情があったんだよ。君には恥ずかしいところを見られてしまったけれど、納得してもらえたかな?」


「はい。長く旅をしているのに同じ辺りをぐるぐるしていることが気になっていましたけれど、ようやくすっきりしました」


 そう答えると、ベネディクトがふっと寂しげに笑いかけてきた。


「前に、君が僕たちの動きを不思議に思っていたとき、それらしいことを言ってごまかしてしまって、すまなかった」


「えっ、あの……」


 あのときは、彼の言葉を聞いて、商人とはそういうものなのだと納得していた。どうして、彼が謝るのだろう。


「君は、薬草の臭いのする毛布を持っていた。だからディル家の件が片付くまで、僕たちの素性を明かすわけにはいかなかったんだ。僕たちが調べているということを、万が一にもあの家の人間に感づかれないように」


「いえ、その判断は当然です。それに、こうしてきちんと話してくれましたから」


「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」


 私の返事を聞いて、ベネディクトが心底ほっとしたように息を吐いた。そうして、晴れ晴れとした笑みを向けてくる。温かくなる胸をそっと押さえながら、微笑みを返した。




 驚きに満ちたあの日から、ひと月ほどが経った。


 私たちは旅を終えて、カシアスたちの店に戻っていた。カシアスとベネディクトは商売に精を出し、私はメイドとして店の奥で忙しく働いていた。


「ちょっといいか、ルーナ。話がしたい」


 そんなある日の午後、ベネディクトが、店の裏手に私を呼び出した。


「ディル家の件が片付いたという知らせが届いたんだが……聞きたいか?」


 彼は店に戻ってからも、あれこれと私のことを気にかけてくれていた。他の使用人たちとなじめるか、慣れない店での仕事は辛くないか、ちょくちょく尋ねてくれていたのだ。


 そして今も、私のことを気遣ってくれている。血がつながっているだけで他人同然だったあの人たちの行く末を知るかどうか、私に委ねてくれているのだ。


「はい、聞かせてください」


 私の答えは、決まっていた。あの日、あの屋敷での出来事を見届けたのだから、その後についても知っておきたい。


 返事を聞いたベネディクトは、ほんの少しだけためらうようなそぶりを見せたあと、淡々と語り出した。


「ディル男爵夫妻は、ふたりとも投獄された。少なくとも十数年は出てこられないし、出てきても貴族としての地位は失う。おそらくはどこか遠縁の家で、居候として肩身の狭い思いをしながら余生を過ごすことになるだろう」


 そう聞いても、少しも動揺していない自分がいた。むしろ、ほっとしてすらいた。


「ショーン殿は表向き、無罪放免となった。ただしばらくは、屋敷で謹慎ということになりそうだ。しかも、社交界での評判は、すっかり地に落ちたらしい」


 あの図々しい人は、きっと変わらないのだろうな。でも、私に関わらないのであればそれでいい。


「ライザ殿は、両親の悪行について本当に何も知らなかったらしい。ただ彼女は、ディル家から出て、修道院に入ることになった」


「えっ、どうしてですか?」


 さすがにこれは、予想外だった。思わず声を上げた私に、彼は苦笑を向けてくる。


「彼女たちにずっと虐げられていた使用人たちが、今回の件を機に一斉に辞めていったんだ。しかもあの家の悪評は周囲の町や村に知れ渡っていたから、新たに誰かを雇うこともできなかった」


 かつてあの屋敷で暮らしていたころのことを思い出す。使用人たちは口にこそ出さなかったけれど、みんな主一家に対して不満をためていた。それが、一気に噴き出したのだろうな。


「無理やりよそから使用人を連れてくることもできなくはないが、そんなことをすると彼女の悪評も広まってしまいかねない」


 あの家は、使用人すらまともに見つけられない家だ。人一倍見栄っ張りの彼女には、社交界でそんな噂が立つことは耐えられないほどの苦痛だろう。


「悪評に耐えてでもディル家を建て直すか、それとも家を捨てて逃げ出すか。彼女は、後者を選んだ」


 いつかほとぼりが冷めたころ、彼女は誰か拾ってくれる人物を見つけてそこに身を寄せることになるのか、それとも修道院で一生を過ごすのか、それは分からない。


 ただ、ライザが私にあれこれと命令をしてくることは、もうないだろう。彼女は、ずっと遠くにいってしまうのだから。


 そのことに大いに安堵しつつ、もうひとつ気になっていたことを尋ねてみた。


「あの……でしたら、ディルの家はどうなるのでしょうか」


「取り潰しになるか、あるいは、どこかから養子を連れてくるか……だが、さすがにこんな騒ぎになってしまっては、養子になりたがる者がいるかどうか」


「そう、ですか」


 ディルの家に未練はない。ただ、顔も知らない祖母は、懸命にあの家を守ろうとしていたらしい。それがあまりにもあっさりとなくなってしまうことに、少し寂しさのようなものを感じずにはいられなかった。


 私のそんな思いを見て取ったのか、ベネディクトがそろそろと切り出す。


「……その、父さんが言っていたんだが」


 彼にしては珍しく、やけに歯切れが悪い。


「君が、ディルの新当主になるというのはどうだろうか」


「ええっ!?」


 私が心底驚いているのをさとったからか、彼も気まずそうに視線をそらしてしまった。


「辛い思い出のあるあの屋敷に住む必要はない。貴族として暮らす必要もない。ただ……」


 淡々と、けれど力強く、彼は続ける。


「家の名を、形だけ残すんだ。そうして、後の世代に家を残してやればいい。いつか、この事件の記憶が薄れていく日まで、君があの家を預かる……そう考えるのはどうだろう」


 両親もライザも、私のことを忌み嫌っていた。私が祖母に似ていた、それだけの理由で。私がディルの家を継いだら、祖母は喜ぶだろうか。両親たちは、悔しがるだろうか。


「必要なら、僕たちも喜んで手を貸す。僕たちなら、いつか新しい当主がやってくるまで、あの屋敷を維持していくことができる」


 彼の申し出に、ふと引っかかるものを感じた。


「あの、どうしてそこまでしてくださるのですか? 私は確かにディルの血を引いてはいますが、あなたにとってはただのメイドですのに……」


 すると彼が、かすかにたじろいだ。気のせいか、その頬がほんのりと染まっている。


「……君は、あの家で虐げられてきた。そのぶんも幸せになれるように、より大きな幸せをつかめるように、可能性を少しでも残しておきたい」


 彼は、以前から私のことを気にかけてくれていた。けれどそこまで真剣に、私の未来を心配してくれていたなんて。


 自然と、胸が高鳴っていた。するとベネディクトが照れたように、頭をかいた。


「実は、先ほどの言葉は嘘なんだ。君をディルの当主にしてはどうかと言い出したのは、父さんではなく僕だ。ああ、でも父さんにきちんと相談して、協力してもらえるよう話はつけたから」


 思わず目を見開いた私に向き直ると、彼はきりりと顔を引き締めた。


「白状する。僕は、ずっと前から君のことが気になっている。どうにかして君を幸せにしたいと、そのことばかり考えていた」


 もしかしてこれは、愛の告白……というものだろうか。驚きつつ言葉を待っていると、彼はまたふっと横を向いてしまった。


「だが、無理強いはしない。ただ、こんなやり方もあるのだと、心に留めておいてくれると嬉しい」


「……ありがとうございます、ベネディクト様。あなたの提案、じっくり考えてみます。……あなたがついていてくれるのなら、私は最善の道を選び取れるような、そんな気がします」


 微笑んで、感謝の意を伝える。彼もまた、はにかむような笑みを返してくれた。




 さらに、月日は流れて。


 今でも私は、ベネディクトたちの店に住み続けている。書類上こそ男爵家の当主になったものの、変わらずにメイドとして働いているのだ。


 掃除に洗濯といった日常の家事の合間に、クッキーを焼いてみんなにふるまう。命じられて作るのではなく、誰かを喜ばせるためにクッキーを作るのは、とても楽しかった。


 カシアスがこっそり教えてくれたのだけれど、私のことはいっとき社交界で噂になったものの、今ではもうほとんど話題に上らなくなったらしい。


 ディル家には、あまりにたくさんのことがあった。といってもしょせんは弱小男爵家でしかないからか、貴族たちの興味もそこまで続かなかったようだ。


 このぶんなら、もう十年もすれば今回の騒動についてもきれいに忘れ去られるのではないかと、カシアスはそう言っていた。


 そういったあれこれを思い出しながら、店の奥の小さな空き部屋をひとりでせっせと掃除する。この部屋の掃除は、私が担当しているのだ。


 突き当たりの壁に、一枚の肖像画が飾られている。ディルの屋敷の物置、その片隅に転がっていたものを持ってきたのだ。


 そこに描かれているのは、初老の女性。年老いてなお豊かな銀の髪をきっちりと結い上げ、柔らかな笑みを浮かべている。しかしその青い目には、強い意志の光があった。


 彼女こそディル家の先々代当主にして、私の祖母だ。


「お祖母様、あなたが守りたかったディルの家は、もうないのかもしれません」


 ほうきを手にしたまま、肖像画に語りかける。


「でもその血は、名前だけは、私が次へとつないでいきます」


 もちろん、返答はない。けれど肖像画の中の老女の笑みが、深くなったように思えた。


「ですからどうか、見守っていてください」


 そのとき、店の表のほうから、ベネディクトが私を呼ぶ声がした。ずっと私を気遣ってくれていた彼は、今では私の恋人だ。そしてもうじき、夫婦になる予定でもある。


 私の左手には、繊細な指輪がきらめいていた。恋仲になってすぐ、ベネディクトが贈ってくれたものだ。ずっとひそかに憧れていた、きらきらした装飾品。生まれて初めてもらったこれは、私にとってとびきりの宝物だ。



 今の私は商家のメイドで、男爵家の当主で、いずれは商家の跡取り息子の妻。我ながら、ややこしいことになったなと思う。


 でもベネディクトもカシアスも、そんな私をすんなりと受け入れてくれた。大丈夫、なるようになるからと、そう言ってくれたのだ。


「ルーナ、珍しい果物が届いたんだ。そろそろ休憩の時間だし、一緒にお茶にしよう」


 待ちきれなかったのか、扉が開いて彼が顔をのぞかせた。うきうきしている彼に、とびきりの笑顔でこたえる。


「はい、分かりました」


 少しも迷うことなく肯定の言葉を返せる喜びを、かみしめながら。

ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうございました。

下の☆などいただけると、嬉しいです。


新作始めました。

下のリンクからどうぞ。

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