4.初めての居場所
私たちのところにこないか。カシアスのそんな提案の意味がすぐに呑み込めなくて、返事に詰まる。すると、カシアスはちょっぴり上機嫌で言葉を続けた。
「うちの店は大きいし、いつでも働き手を探しているんだ。このまま私たちの旅に同行して、それが終わったら、そのままうちの店でメイドとして働く。どうだい?」
「僕も賛成です。もちろん、彼女が望むのであれば、ですが」
ベネディクトもそう言って、私のほうを見た。
「ただ、行く当てもなくさまようよりは、ずっと楽な暮らしができると思う」
ぽかんとしたまま、ふたりを見つめる。もしかしてこのふたり、かなりのお人よしなのだろうか。ちょっとカシアスを助けただけの私を、いきなりメイドとして雇おうだなんて。
あるいは、この話には何か裏があるのかもしれない。となると、素直にこのふたりを信用していいのだろうか。人間は、見た目で判断できるものではない。それはディルの家で、嫌というほど学んだ。
両親もライザも、客人の前では上品な、愛想のいい人物のふりをしていた。普段との落差がひどくて、その姿を見るたび内心あきれていたものだ。
「はい、分かりました」
けれどついうっかり、私の口はそんな言葉を紡いでしまっていた。いい加減、考えてから返事をするようにしないと。ディルの家で過ごす間に、考えない癖がついてしまっている。
でも、言ってしまったものは仕方がない。気持ちを切り替えよう。そう、これは考えようによっては好機だ。
彼らは、少なくともディル家の人たちよりは信頼できそうだし、給金が出るというのはありがたい。今までは、最低限寝るところと食事こそ与えられていたものの、もちろんお金なんてもらえなかったから。
「そうか、歓迎するよルーナ君」
「慣れないこともたくさんあると思うが、僕も父さんも力になるから、遠慮なく聞いてくれ」
しかし私の返事を聞いたふたりは、嬉しそうな笑みを浮かべている。こんな表情を向けられたのは、初めてかもしれない。少なくとも、これまでの記憶にはない。
「その……よろしく、お願いします」
こうして、生まれ育ったディルの屋敷を追い出された私は、出会ったばかりの親子と一緒に旅をすることになったのだった。
疑ってかかってしまったのが申し訳なくなるくらいに、彼らとの旅は順調で、平和そのものだった。
ここでは無理難題を言いつけられて食事が遅れたり、朝っぱらからたたき起こされることもない。いたって常識的な時間に起きて、ごく当たり前の家事をこなし、感謝の言葉と給金をもらうことができる。
カシアスとベネディクトはいい雇い主で、他の使用人たちやメイドもいい仲間だった。あまりに平和すぎて、夢でも見ているのではないかと何度も疑った。
しばらく旅を続け、ようやくこれは夢ではないのだと理解できたころ、ひとつ不思議なことに気がついた。
この一行はいろんなものを取引しながら、あちこちの町をめぐっている。そのうち、カシアスたちの店がある町に戻るのだろうなと、そう思っていた。
彼らの店があるという町は割と近くにあったし、彼らの荷物は少なくて、長旅をするようには見えなかったのだ。
しかし十日が過ぎても、一か月が過ぎても、彼らは店に戻ろうとはしなかった。相変わらずあちこちを渡り歩いては、ささやかな売買を繰り返している。
それも、私たちが最初に出会った町からそう遠くないところをうろうろしていた。そのせいで、中々ディルの家から遠く離れることができずにいる。
こんなところに留まっていたら、いつかライザあたりに見つかりそうで、ちょっと心配だ。
ただ、私が一番気になっているのは、そのことではなかった。
「ルーナ、何か気がかりなことでもあるのか? 難しい顔をしているが」
ある日、滞在先の町で取引をしているカシアスを離れて見ていたら、ベネディクトに声をかけられた。
「私、そんなに険しい顔をしていましたか?」
「ああ。眉間にしわが寄っていた。僕でよければ、相談に乗るが」
そう言って、ベネディクトはかすかに微笑む。見ているとほっとするような温かい笑みだ。
彼の言うとおり、気になっていることがあるのは事実だった。けれどそれを、雇い主の息子に話していいものだろうか。私が考えていることは、余計な詮索をしていると、そう思われかねないものなのだ。
ただ、ベネディクトは信頼できる人物だと思う。明るく朗らかなカシアスと比べると大人しい印象を与えるけれど、誠実で思慮深いし、心も広い。彼になら、話しても大丈夫……だと思う。
ほんの少しためらって、口を開く。
「その、雇ってもらっている立場で言えることではないのですが、少し不思議に思ったことがあるのです」
ベネディクトは黙って、小さくうなずいた。
「カシアス様とベネディクト様は、なぜこんなに長く旅をしておられるのでしょう?」
まっすぐに疑問をぶつけてみたら、彼がわずかにたじろいだように見えた。私、そこまでおかしなことを言っただろうか。
「なぜ……って、見てのとおり、物の売り買いをするためだが」
「でも、やり取りする物の量が、あまりにも少ないような気もします」
次の町に着くなり、私でも持てるような木箱ひとつ分の品を買い、さらに別の町で売る。彼らは、そんなことを繰り返していたのだ。
「どうせならたくさん仕入れて、きちんとお店で売ったほうがいいように思えるのですけれど……」
「ああ、そういうことか」
彼はすぐにいつもどおりの笑みを浮かべて、声をひそめて答えてきた。
「この旅の狙いは、販路を広げるとともに、あちこちの商人たちと交流するためのものなんだ。新しい商品、新しい商売相手。そういったものを探すために、僕たちはあちこちをうろうろしている」
「もしかして、カシアス様がわざわざ旅に出られたのは、今回の旅が重要なものだから、ですか?」
商人同士の取引には、信頼関係が大切らしい。それに、商品の目利きができるかどうかも重要だ。一緒に旅をしているうちに、うっすらとではあるけれどそういったことも分かるようになってきた。
「ああ。そうなんだ。僕も父さんの隣で、いろいろと学ばせてもらっている」
「丁寧な説明、ありがとうございました」
納得しながら頭を下げると、彼はちょっとほっとしたような顔をしていた、ように見えた。
旅を続けていると、時折みんなで野宿することもあった。一晩中外にいることも、交代で火の番をすることも、新鮮で楽しい。ディルの屋敷で過ごしていた間は、こんな体験ができるなんて思わなかった。
三度目の野宿、真夜中を過ぎたころ、私はベネディクトとふたりで火の見張りについていた。
ぱちぱちという音をぼんやりと聞いていたら、焚火をはさんだ向こう側に座っているベネディクトがふと口を開いた。
「ルーナ、ひとつ聞いてもいいだろうか」
「はい、分かりました」
彼は、いつもこちらを気遣ってくれる人だ。だからためらいなく、そう答えることができた。このあとに何を言われるのかびくびくしなくていいのは、本当に素晴らしい。
「……君は、どこから来たんだ?」
しかし彼が口にしたのは、そんな問いだった。
どうしよう。あの家でのことは、もう思い出したくもないし……それに、私の出自を知ったことで、彼らの態度が変わってしまったと思うと、想像しただけで悲しくなる。
私がためらっていることを察したのか、ベネディクトが少し焦ったような声で付け足した。
「……答えにくいのなら、無理に言わなくてもいい。君が何か訳ありなのは、僕も父さんも承知しているから」
「いいえ、話します。あなたになら、話せそうな気がするので……」
意外にもすんなりと、否定の言葉が出てきた。はい、じゃなくて、いいえ、だ。
そのことに背を押されるようにして、思うまま話していく。最初はぽつぽつと、つっかえながら。しかし次第に、言葉が次々と飛び出してくる。
あっちこっちに話が飛びながら、それでも私が生まれてからのことと、ディルの家にまつわるあれこれについてどうにか話し終えた。
「……これで、全部です」
ついに、話してしまった。ディルの家を追い出されてから、この過去については隠し通そうと思っていた。けれど、話してしまった。もしかすると、私はそれくらいに、彼のことを信頼しているのかもしれない。
達成感とちょっぴりの後悔にほうけていたら、ベネディクトが同情するように目を細めた。しかし次の瞬間、真顔になって口を開いている。
「……言いにくいことだったろうに、話してくれてありがとう。ただ、ということは……君が父さんに貸してくれたあの毛布は、ディルのご令嬢が君によこしてきたもの、だったんだな?」
「はい、そうです」
どうしてわざわざ、そんなことを確認するのだろう。不思議に思いながら、はっきりとうなずいた。
「そうか。できればこのことは、他の人には黙っていてくれ。あと、君の素性について父さんに打ち明けてもいいだろうか」
「はい、大丈夫です」
あまりたくさんの人に素性を知られるのは嬉しくないけれど、カシアスにならいいだろう。それに毛布のことなんて、私にとってはどうでもいい。内緒にするくらい、お安い御用だ。
明るい声で答えたら、ベネディクトが切なげに息を吐く気配がした。
「前から思っていたんだが、君はずっと肯定してばかりなんだな」
「……口癖なんです」
やっぱり気づかれていたかとちょっぴり恥ずかしく思いながら、小声で付け加える。
「下手に逆らうと、そのあとが大変でしたから。考えるより先に、はいと言う癖がついてしまいました」
ずっと、自分のこの癖を、気にしたことはなかった。ディルの家で生き延びていくために必要なことなのだと、そう思っていた。
でもこうして外に出て、ベネディクトたちと旅をしているうちに、この癖を治したいなと、強くそう思うようにもなっていた。とはいえ、中々うまくいかなかったけれど。
「……やっぱり、おかしいですよね」
するとベネディクトが、突然ぶんぶんと首を横に振った。焚火の明かりに照らされた顔には、うろたえたような表情が浮かんでいる。
「いや、そんなことはない。生きるために必要なことだったのだろう?」
思いもかけない言葉をさらりと口にして、彼はさらに続ける。
「貴族の娘として生まれた君が、メイドとして完璧に仕事をこなせるようになっている。普通では、まずあり得ないことだが……それだけ、苦労してきたんだな。さぞかし辛かっただろう」
「……そんなふうに言ってもらったのは、初めてです……」
彼はきっと、思ったままを口にしただけなのだろう。たったそれだけのことで、嬉しさがこみ上げてくる。これまでの悲しみを、辛さを分かってくれた。ただそれだけのことで、報われた気がした。
目頭が、じわりと熱くなる。とっさにうつむいて、彼から顔をそらした。
今が夜でよかった。こっそり嬉し泣きしていても、気づかれずに済むから。
そのまま黙って、焚火の音に耳を澄ませていた。




