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3.奇妙な出会い

 そこから何がどうなったのか、はっきりとは覚えていない。気がつけばひとりきり、屋敷の外の道をとぼとぼと歩いていた。両側には、ただ森だけが広がっている。


 着の身着のまま、荷作りをするひまもなく、私は屋敷を追い出されたのだ。とはいえ、そもそも私物なんてほとんどなかったけれど。


 それでも怒りの収まらなかったライザが、去り際にぼろ毛布を一枚投げつけてきた。身の程知らずの泥棒猫に施しをしてやるなんて、私ってなんて慈悲深い女性なのかしらと、そんなことを叫んでいた。


 古くて染みだらけの毛布をたたんで抱えながら、ひとまず進み続ける。


 もう、あの屋敷には戻れない。だったらこの先、どうにかして暮らすところを見つけないといけない。


 この道の先には、小さな町がある。そこでなら、仕事も見つかるかも。家事を覚えておいて、本当によかった。


 ……それにしても、この毛布、臭い。埃の臭いだけじゃなくて、青臭い草のような臭いがぷんぷんする。


 ライザは、わざわざ物置まで行ってこの毛布を持ってきていた。たぶんこれは、最後の嫌がらせなのだろうな。


 ここまでぼろぼろで臭いと、売るのも交換するのも難しそうだ。かといって、捨てるのももったいない。野宿することになったら、下に敷こうか。でも、服に臭いが移りそう。


 あれこれ悩んでいると、自然と足取りが重くなる。それに、困っていることは、他にもあった。


「おなか、空いたな……」


 町についても、お金がない。これでは、食べ物を買うことはできない。この辺の森の中に、実をつけた木とかないだろうか。


 ああ、もっと前から、あれこれ備えておくべきだった。お金に換えられそうなものとか、ちょっとした私物とか、そういったものをまとめておけばよかった。


 そもそも私は、両親やライザたちの気が変われば、いつ追い出されてもおかしくない不安定な立場だった。でも、いくらなんでもそこまでしないだろうと、心のどこかでそう考えていた。甘かった。


 ……最悪、この髪を売るしかないかな。腰まである銀髪だから、それなりに買い手がつくかもしれない。仕方ないとはいえ、想像しただけで辛くもある。


 はあ、とため息をついたそのとき、何やら妙な音が聞こえてきた。足を止め、耳を澄ませる。


 ……おおーい……


 かすれた男性の声が、横合いの茂みの奥のほうから聞こえてきた。助けを求めているようにも聞こえる。


 これ、どうしようか。下手に関われば、さらに面倒なことになるかもしれない。それに今の私には、誰かを助けるだけの余裕はない。


 少しだけ迷って、茂みをかき分けて進み始めた。いつでも道へ戻れるように、周囲に気を配りながら。


 やがて、大きな木の根元に誰かがいるのが見えた。ややふくよかな、壮年の男性だ。おっとりとした、品のある人だけれど、なぜか全裸だ。体を隠そうとしているのだろう、背中を丸めて縮こまっている。寒風の中、かすかに震えているようにも見えた。


「おお、君は……」


 私に気づいた男性が、ほっとしたような顔でこちらを見上げてくる。とまどいながら、口を開いた。


「あの、何かお困りですか?」


 尋ねるまでもなく、彼は困り果てている。こんなところで、たったひとり、全裸。


「すまない、助けてほしいんだ」


「はい、分かりました」


 できれば関わりたくないなと思っていたのに、ついうっかり、いつもの口癖が飛び出てしまった。


 とはいえ、こんな状態の人を見捨てて立ち去るのも寝覚めが悪いし、私にできることがあるなら、手を貸してもいいかもしれない。ひとまず、自分にそう言い聞かせる。


 私の返事を聞いた男性は、ぱあっと顔を輝かせた。しかしまた、ぶるぶると震えて縮こまってしまう。


「あの、この毛布、使いますか? 見てのとおり、ぼろぼろですけれど」


 抱えていた毛布を差し出したら、彼はそそくさと毛布で体を包み込み、ほっと安堵の息を吐いていた。けれど一瞬、その顔がけげんそうにしかめられる。……さすがに、臭いんだろうな。


「はあ、助かったよ。私はカシアス。商人だよ。少し離れた大きな町で店を構えている」


 そうして彼は、きゅっと眉間にしわを寄せながら説明してくれた。


 彼は商店の店主ではあるものの、新たな販路の開拓や、新たな商品を探すために、時折旅に出てあちこちを回るのだとか。


 ところが今回、旅の途中で賊に襲われた。幸い、賊は馬車を丸ごと奪い、彼を身ぐるみはいだだけで去っていった。彼の命までは、取らなかったのだ。


 しかしその混乱の中で御者がどこかに逃げてしまい、カシアスはこの寒空の下、たったひとり取り残されることになったのだ。……ある意味、私と負けず劣らず悲惨な状況かも。


 近くの町に、連れてきた他の使用人たちが待機している。カシアスはそこに向かおうとして道を歩き始めたものの、寒さに体がかじかんで、道端の茂みの中に転げ落ちてしまったのだ。そうして身動きが取れなくなっていたところに、私が通りがかったのだ。


 話しているうちに気持ちも落ち着いてきたのだろう、カシアスがゆったりとした口調で頼み込んできた。


「ルーナ君、と言ったね。毛布を貸してもらえて、とても助かったよ。ついでにもうひとつ、頼まれてはくれないかな」


「はい、分かりました」


 こうなったら、乗りかかった船だ。それにカシアスの頼み事は、ライザや母が気まぐれに投げかけてくる命令よりは、ずっとまともだろうから。


「……即答、なんだね」


 私がすぐに返事をしたことに驚きつつ、カシアスが言葉を続けた。


「まあいい、それじゃあ遠慮なくお願いしよう。そこの道の先にある町まで、助けを呼びにいってくれないだろうか。宿に行って私の名前を出せば、すぐに分かるはずだから」


 どのみち、その町に行こうとしていたところだった。人を探すくらい、お安い御用だ。一礼して、道を走り出した。




 思いのほか、町は遠かった。あのままとぼとぼと歩いていたら、私も日暮れまでにたどり着けなかっただろう。しかし走っていたおかげで、まだ明るいうちに町に入ることができた。


 宿は……あ、あれだ。建物に近づき、入り口の扉に手をかけたとき、中から叫び声がした。


「父さんは、まだ戻らないのか!?」


「旦那様が行かれたはずの道に使いをやっていますが、まだ……」


 この声の主たちが、カシアスが連れてきていた他の使用人たちだろうか。そろそろと扉を開けて、中をのぞきこむ。


「あの、すみません」


 私の言葉に、玄関ホールにいた人たちが一斉にこちらを振り向いた。使用人らしき男性が三名、メイドらしき女性がひとり、そして明らかにいい身なりの青年がひとり。


「君は?」


 青年が私を見て、軽く目を見張った。金髪に緑の目の、さわやかな好青年だ。


「ルーナと申します。先ほど、カシアス様と行きあいまして、助けを呼ぶように頼まれました」


「父さんが!?」


「はい。近くの道のわきで、みなさまを待っておられます」


「分かった、案内してくれ!」


 言うが早いか、青年は宿の外に飛び出していってしまう。驚きつつ、彼を追いかけた。


 彼は宿の裏手に回ったかと思ったら、小さな馬車を宿の前に引き出してきた。馬が二頭つながれた、四人乗りのものだ。


「さあ、乗って! 道案内を頼むよ!」


 もたついている私の手を引いて、青年は強引に隣に座らせた。


 彼に尋ねられるがまま、行く道を指し示していく。といっても分かれ道はほとんどないし、さっき走ったばかりの道なので、そう難しいものでもなかった。


 そろそろ、カシアスがいる辺りだ。手すりにしがみつきながら、薄暗くなりつつある景色に目を凝らす。やがて、見覚えのある木が目についた。


「あっ、ここです!」


 声を上げたのとほぼ同時に、茂みの向こうからカシアスが姿を現した。青年が馬車を止め、カシアスに駆け寄る。


「おお、ベネディクト!」


 にこにこしているカシアスとは裏腹に、青年……ベネディクトは、驚きに目を見開いている。


「父さん! その姿は……」


「おいはぎにあってしまったんだよ。さあ、そろそろ日が暮れる。詳しい話は、宿に戻ってからにしよう」


 そうして私たち三人は、夕闇の迫る中、宿に取って返したのだった。




 宿に戻ると、まずカシアスは予備の服に着替え、それからメイドが用意したお茶をゆっくりと飲んでいた。


「ああ、生き返った心地だよ。これもみんなルーナ君、君のおかげだね」


 カシアスが、私に向かって優しく微笑みかけてくる。


「僕からも礼を言わせてほしい。君が父さんと出会っていなかったら、どうなっていたことか……」


 カシアスの隣では、ベネディクトが険しい顔をして頭を下げている。おっとりと朗らかな父と比べ、息子のほうは少々堅苦しいところがある。もっとも、嫌な感じではない。むしろ、誠実さを感じさせる態度だ。


「さて、助けてもらったからにはきちんとお礼をしなくては。ルーナ君、何か望みのものはあるかね?」


 欲しいもの。それなら簡単だ。仕事の口と住むところ、だから。しかしそれをそのまま口にするのは、さすがにためらわれる。


 口ごもっていたら、今度はベネディクトが問いかけてきた。


「そういえば君は、どこの出なのだろうか? 見たところ、旅の途中でもなさそうだが」


 こちらは、どう答えていいか悩ましい。もう帰るところなんてないのだし、ディルの家の名前を出したら余計にややこしいことになりそうだし。何か、いい言い訳は……。


 私が言葉に詰まっていることで、どうやら彼は何かを察したらしい。


「父さん、どうやら彼女は行く当てがないように思えます」


「ベネディクト、お前もそう思うのか」


 まずい、気づかれた。いや、気づかれても当然か。古びたワンピース姿で、ろくな荷物もなくとぼとぼと歩いている若い女なんて、どう考えても訳ありでしかない。


「だったら、私たちのところにくるというのはどうかな?」


 すかさず、カシアスがそう言った。

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