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2.降ってわいた災難

 クッキーを作れ。朝一番にライザが下した奇妙な命令に、一瞬返事が遅れる。すると彼女は、不機嫌そのものもの顔で私をにらんできた。


「ルーナ、返事は!?」


「はい、分かりました」


 動揺していることを隠すように、いつもどおりの口調で答える。


 クッキーなら、一応作れる。以前、私が掃除や洗濯をこなせるようになり、いちゃもんをつけづらくなったことに焦れたライザが、さらなる無理難題をふっかけようとして、クッキーを作れと命じてきたのだ。


 大急ぎで厨房に駆け込み、料理長の覚え書きをこっそり見せてもらって、どうにかこうにかそれらしいものをこしらえた。


 しかしできあがったクッキーは、当然ながらひどいものだった。ライザはひと口食べると顔を思いっきりしかめていた。ただあのとき、とっても満足そうにしていた。それからしばらく、クッキーのことでねちねちといびられた。


 そのことに味を占めたらしく、彼女はその後しばらく、ことあるごとにクッキーを作るよう命じてきた。


 両親は一度たりとも私の作った菓子を口にすることはなかったけれど、ライザは次々と味見しては、もっと甘くとかもっと可愛らしくとか、細かい注文を付けてきたのだ。


 もっとも、私だってやられっぱなしではない。そのつど彼女の指示を踏まえて、どんどんクッキーを改良していった。三か月ほど経ったころには、もうライザは私のクッキーに文句をつけられなくなっていた。


 そしてそれ以来、彼女はクッキーを作れとは言わなくなっていた。それなのに、どういう風の吹き回しなのか。


 おかしなことは、もうひとつある。ライザは朝に弱く、いつもなら誰かが起こしにいくまで寝ている、なんなら二度寝することも少なくないのに、どうしてこんな時間に動き回っているのか。


「聞いているの、ルーナ? とびきり繊細な、可愛いものにするのよ。いいわね!」


「はい、分かりました」


「今日は、ショーン様がいらっしゃるの。そこでお出しするんだから、失礼のないようにね!」


 彼女の言葉に、さらに疑問が増していく。


 ショーン様。彼は子爵家の令息で、ライザの婚約者だ。なんでも、若者ばかりが集まるお茶会で、彼がライザのことを見初めたらしい。彼女はことあるごとに、そのことを自慢していた。


 ただ、私が悔しがらないことがじれったかったのか、彼女の自慢話は日に日に増えていった。うらやましそうな顔のひとつもしてみせればいいのかなと思わなくもなかったけれど、それはそれで彼女が調子に乗りそうな気がしたので、止めておいた。


 しかし、そんな相手に出すお菓子なら、私ではなく料理長に作らせればいいのに。そう思いつつ、顔には出さない。


 ライザは声高に命じて、さっさと部屋を出ていった。身支度を整えて、厨房に向かう。花の形のクッキーがいいかな。真ん中にジャムやスミレの砂糖漬けを載せれば、とっても可愛らしくなるだろう。


 それにしても、ついにショーン様がやってくるのか。ライザが彼と婚約してからそこそこ経つけれど、いつもライザがあちらに訪ねていくばかりだった。


 早くこちらにお招きしたいのに、お父様とお母様が首を縦に振ってくれないのと、ライザはしょっちゅう不満をもらしていた。とはいえ、私には関係のない話だけれど。


 よし、言われたとおりにクッキーを作って、あとはじっとしていよう。運がよければ、ライザや両親は今日いちにちショーン様にかかり切りになってくれるだろう。


 気分を切り替え、手早くクッキーを焼き上げる。それから、他のメイドたちと協力してお茶の準備を整えていった。


 屋敷の中庭にテーブルを用意して、椅子を並べてひざ掛けを用意する。一応まだ花壇に花はあるけれど、どうにも寂しい雰囲気だ。よく晴れているものの、それでも少し肌寒い。


 どうして、ここでお茶にすることにしたのだろう。ちょっと気になるけれど、やはり私たちには関係がないことだ。


 準備を済ませて、メイドたちと一緒に並んで待つ。私としてはさっさとこの場を離れてしまいたかったのだけれど、ここに残るようライザに命じられてしまったのだ。たぶん、ショーン様を見せびらかそうとか、そんな魂胆なのだろう。


 面倒だなあと思いながら立っていたら、ライザの浮かれた声が近づいてきた。


「ショーン様、ようこそいらっしゃいました! わたくしは、室内でゆっくりとおしゃべりしたかったのですけれど……両親が、ぜひここでと強く推してくるので」


 その甘ったるい口調に、他のメイドたちは目をむいている。私も平静を装ってはいたけれど、薄気味の悪さについ身震いしてしまった。『わたくし』って。いつもは『あたし』なのに。


「いや、こういうのも趣があっていいね。毛布があれば、寒さは感じない」


 メイドが引いた椅子に腰を下ろし、ショーン様がさわやかに答えている。上品ではあるものの、ちょっと軟弱な雰囲気だ。軽薄と言ってもいいかもしれない。


「まあ、さすがはショーン様、懐の広い殿方って、素敵ですわ」


 ライザ、本当にどこから声が出ているんだろう。言葉遣いもいつもと違って、たいそう気持ち悪い。


「あの、こちらのクッキー、召し上がってくださいませんこと?」


 上目遣いにショーン様を見つめて、大げさにぱちぱちとまばたきをしている。ショーン様は気取った笑みを浮かべて、クッキーをひとつ口に運んだ。


「ああ、これは美味だな。見た目もとても愛らしい」


 するとライザはわざとらしいほど目を潤ませて、感極まったように答えた。


「お口に合ったなら、光栄ですわ。こちら、わたくしが作ってみましたの。少々不格好ではありますけれど、愛情をこめましたから」


 自分で作った、って……なるほど、そういうことだったのか。やっと、彼女が私にクッキーを作らせた理由が分かった。


 料理長が作ったお菓子は、どうしても完成度が高くなりすぎる。かといって料理人見習いやメイドでは、満足なものを作れるとは限らない。だから、それなりのものを作れると分かっている私に命じたのだろう。


 しらじらしいなあと思いつつ、やはり無表情でたたずむ。そのまましばらく、ふたりの話をそれとなく聞き流していた。特に実のない、ありふれた世間話ばかりだった。


 ただ、そうしているうちに、少しずつ違和感がふくらんでいくのを感じていた。


 ライザはショーン様に首ったけで、身を乗り出してはあれこれと必死に話を振っている。しかしショーン様はどことなく上の空で、彼女の話を適当に流しているように思えたのだ。おかしいな、彼が彼女を見初めたと、そういう話だった気がするのに。


 やがて、お花を摘みにいってきますわとライザが言って、席を外す。彼女の姿が消えるやいなや、ショーン様がくるりとこちらを見た。


「あのクッキー、ライザが作ったなんて、嘘だろう?」


 なぜか彼は、私をまっすぐに見ている。他にもメイドはいるのに、そちらはまるで眼中に入っていない。


 彼は立ち上がると、私のところにやってきた。そのまま私の手を取って、自信たっぷりにささやきかけてくる。


「私には分かる。彼女のあの手は、料理どころか家事をしたことのない手だ」


 まずい。この状況はまずい。ライザが戻ってくる前に、彼の手を振りほどかなくては。


 失礼にならないように気をつけながら、そっと手を引いてみる。しかしショーン様は、思いのほかしっかりと私の手をつかんでしまっていた。


「君のその手の小さな火傷、クッキーを作ったときのものだね」


「あ、いえ、その……」


「そんな態度も、慎ましやかで、好みだな」


 焦っている私の耳に、さらにとんでもない言葉が飛び込んできた。


「輝く水面のような銀の髪、サファイアを思わせる青い目……儚げな面差し、物憂げなまなざし……君のほうが、よほど素敵だ」


 もしかして彼は、私を口説こうとしている!? それも、婚約者がちょっと席を外している間に!?


 この男、正気か。そう口に出そうになるのをこらえ、今度は力いっぱい手を振りほどこうとする。けれどやっぱり、外れない。周囲のメイドたちが、はらはらした目でこちらを見ていた。


「どうだい君、私の屋敷に来ないか?」


 ついいつもの癖で、はい、と答えそうになってしまった。いや、それはまずい。そんなことを言ったら、ライザが烈火のごとく怒り狂うだろう。


 申し訳ありませんが、と口にしようとしたものの、うまく口が動いてくれない。この家で生き延びるために身につけた習慣が、否定の言葉を邪魔してしまっていた。


 と、とにかく、彼から離れなくては。


 しかしもう、遅かった。


 用足しから戻ってきたライザは、手を取り合っている私たちを見て、きりきりとまなじりをつりあげたのだ。彼女は普段から怒りっぽいけれど、ここまで恐ろしい形相をしているのは初めて見た。


「ルーナ、あんたって子は……」


 すぐ近くにショーン様がいることすら忘れているのか、地の底をはうような低い声が彼女の唇から漏れた。


「この泥棒猫、さっさと出ていきなさい!!」


「はい、分かりました」


 この状況で、逆らってはならない。だから、いつもの口癖で乗り切るしかない。きっとこれが、最良の返事だ。


 それは理解していたけれど、胸の奥からもやもやとした思いが立ち昇ってくるのを感じていた。


 ……どうして、私ばっかり。

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