06
翌朝。
屋敷の中庭はしんと静まり返り、濡れた草に朝日がきらめいていた。
つい昨夜の混乱が幻だったかのように、外には小鳥のさえずりさえ戻っている。
――だが、その静けさを破るように、玄関扉が硬い音を立てて叩かれた。
「ラウ・ファミリアの一行に告ぐ!」
くぐもった声が石塀に反響する。
「昨夜の騒乱について、オルファリオン王国騎士団が事情を伺いたい。全員、速やかに同行願いたい!」
その声に最初に反応したのは、裏庭で自分の身の丈を超える木刀を振るっていたミササギだった。
額を伝う汗を手の甲でぬぐい、木刀を下ろす。
「……やれやれ。朝っぱらから騒がしい」
吐息が白く朝の空気に溶けていった。
庭を横切り、屋敷の側面を回って正門へと歩を進める。
そこでは鎧に身を固めた騎士たちが列をなし、冷たい視線を向けていた。
鋼の匂いと張り詰めた気配が、正面の空気を覆っている。
その光景を見て、ミササギは呆れたように口を開いた。
「俺がブラックランク冒険者だとわかっていて、その態度か?」
ブラックランク冒険者――。
冒険者ギルドで公式に最高とされるオリハルコンランクすら超越し、両手で数えるほどしか存在しない規格外の称号。
その名を持つ者は国家級の戦力と同等に扱われ、時に王族すら一目置く存在だった。
その言葉に、前列の騎士たちが一様に息を呑む。
槍を構える手がわずかに震え、硬直した顔には冷や汗が浮かんだ。
「……っ、ば、ブラック……ランク……」
「まさか、本物……」
「……それ、昨日も同じ反応を見たんだが」
ミササギは深々とため息をつき、鋭い視線を投げる。
「お前ら、本当に学習しないのか?」
その一言に、騎士たちは息をのんだ。
槍を握る手は揺らぎ、誰も反論の声を上げられない。張り詰めた沈黙だけが広がった。
その沈黙を破ったのは、列の中央に立つ一人の騎士だった。
銀の装飾を施した胸甲をまとい、周囲よりも一段と落ち着いた気配を纏っている。
明らかに隊を束ねる上官であり、彼はわずかに槍を下げ、ゆっくりと一歩前へ出た。
「……待たれよ、ミササギ殿」
低く張った声は、震えを隠すように固く響く。
「我らは命を受けて職務にあたっているだけ。決して、無闇に敵意を向けるつもりはありません」
その言葉に、背後の部下たちが小さく息をつく。
だが緊張は解けず、鎧の隙間から伝わる呼吸音はなお荒い。
「だったら一人で来い」
ミササギの声音は低く冷たい。
「俺に争うつもりはないが……その物々しい構えのままなら、抜かざるを得なくなる」
その瞬間、騎士たちは息を呑んだ。
気づけば、ミササギの手にあった木刀は姿を消し、鞘付きの刀が静かに握られていた。
抜かずとも十分に伝わる――次に動いた者が、最初に斬られるという確信。
――刹那。
後列の若い騎士が思わず前に踏み出し、槍を突き出しかけた。
鋭い音を立てて鞘が揺れ、ミササギの眼差しが閃く。
「やめよっ!」
上官の怒声が広場を裂いた。
槍を構えた若者は動きを止め、顔を青ざめさせる。
凍りつく空気の中、上官は槍を下げ、深く頭を垂れた。
「……重ねて申し上げる。我らに敵意はない。ただ、団長直々に事情を伺いたいと命を受けた。どうか、我らと共に城へ」
その声音には、もはや威圧ではなく必死さがにじんでいた。
背後の騎士たちも次々に槍を下げ、緊張はわずかに緩む。
「……ふん」
ミササギは鼻を鳴らし、鞘に指をかけたまま動かない。
「まあまあ」
その場にジンガが現れ、静かな声で割って入った。
「無理に争うつもりはない。俺たちも昨夜の件を放っておく気はないし、話が通じるなら行ってもいい」
上官は顔を上げ、深く頷いた。
「感謝する。すぐにご案内しよう」
「勝手に決めるな」
ミササギの声音は鋼のように冷たい。
「こちらにも準備がある。今すぐなど応じられるか。――時間を改めろ」
吐き捨てるような言葉に、再び緊張が走った。
騎士たちは互いに顔を見合わせ、上官だけが必死にその場を取り繕おうと口を開く。
「住民の証言で、貴殿らの関与が明らかとなっている。上層部は一刻を争う事態と見ており、早急に対応せよとのことで……」
「知るか」
ミササギは眉ひとつ動かさずに返す。
「少なくとも今は行かない。俺は国のために生きてるわけじゃないし……昨日の化物だって、倒してやったのは俺だろうが」
(ミササギは、絶対に譲らないだろうなぁ……)
やり取りを見ていたジンガは、口元に苦笑を浮かべた。
剣呑とした空気のただ中で、その表情はあまりに場違いに映る。
だが、その微笑みに気づいた者は一人もいなかった。
「日が落ちる頃に向かうと伝えてくれ。それ以上に早くは応じられない」
ジンガが穏やかな声で告げる。
張り詰めた空気が、その一言でわずかに和らいだ。
上官は短く息を吐き、深く頷いた。
「……感謝する。その旨、団長へ伝える」
騎士たちは一斉に槍を下ろし、隊列を整えて踵を返す。
鎧のきしむ音だけが残り、やがて重い足音は遠ざかっていった。




