35
「おい、ジンガ。何を一人で黄昏れてるんだ?」
屋敷二階のベランダで夜風に当たっていたジンガの背に、ミササギの声が投げかけられた。
「黄昏れてなんかないよ。ただ……安心しちゃってさ」
ジンガは振り返らず、星空を見上げたまま答える。
「色々と頑張ってるからな」
ミササギは欄干に寄りかかり、短く言った。戦うだけの自分と違い、ジンガは仲間をまとめ、生活の細部にまで気を配っている。それをよく理解していた。
「頑張ってなんかないさ」
ジンガは小さく息を吐き、言葉を零す。
「……前にも言ったろ?
所詮、俺の力は借り物だ。
使う術式の数々は、ゲームのシステムが何の因果かこの世界でも使えるようになっただけだ」
誇れる努力も実感もない。ただ与えられた便利な力に過ぎなかった。
「俺はそうは思わないけどな」
ミササギは静かに断言した。それは慰めでも励ましでもなく、彼自身の揺るぎない実感だった。
「実はさ……」
ミササギはわずかに間を置いてから口を開いた。
「ジンガがやってたゲーム――《ワールド・クロス・オンライン》。俺もやったことがあるんだ」
「は? マジで?」
ジンガは思わず振り返り、素っ頓狂な声を上げた。
「マジだよ。……と言っても、本当に少しだけだ」
ミササギは肩をすくめる。
「日本じゃ武術ばかりやってたからな。ただ、あれだけ有名なゲームだ。道場の仲間に勧められて、一度くらいは触ってみたんだ」
当時の仲間は「平和な日本で気軽に実戦が積める」と笑っていたのを思い出す。
「そのときに、ランキング一位と当たったことがあってな」
「いや、なんでそんな気軽にできるんだよ!?」
ジンガは思わず話をぶった切った。
「勝ち進んだら、そうなったんだ」
ミササギは淡々と事実を述べる。
「……ほんっとお前、何もかも規格外だな」
ジンガは頭を抱えた。
「あっさり負けたよ。現実では負け知らずだった俺がな」
ミササギは口の端をわずかに歪めた。
「そりゃそうだろ……」
ジンガは肩を落とした。
ゲームのシステムを熟知したランキング一位と、ただ現実で強いだけの存在。
いくらフルダイブ型のVRMMOでも、現実の経験と技術だけで勝てるはずがない。
「俺は、その時のランキング一位が努力や研鑽なしにあの実力に至ったとは思ってない」
ミササギは淡々とした声音で言った。
「でも、言っちゃ悪いけど……所詮はゲームだろ」
ジンガは乾いた笑みを浮かべた。
「それに、あのゲーム……ラスボスが倒されたんだってな」
「……あー、うん」
ジンガは目を逸らし、曖昧に返事をする。
「何万人も遊んでいたゲームで、たった一人しかクリアしていない。そう聞いたぞ」
ミササギは夜空を仰ぎ、静かに言葉を継いだ。
「まだ一人しかいないのか」
ジンガは小さく呟き、ほんのわずかに懐かしさを覚えた。
「……その一人って、お前じゃないのか?」
ミササギは視線を外し、ジンガをまっすぐに見据えた。
その声音は問いかけでありながら、どこか確信を含んでいた。
ジンガは一瞬言葉を失い、グラスを握る手に力を込める。
表情には、苦笑とも諦めともつかない色が浮かんでいた。
「……やってたとは知らなかった」
ジンガはゆっくりと視線を戻し、短く吐き出すように言った。
「わざわざ聞かなくても、もう確信してるんじゃないのか?」
肩越しに投げられたその言葉には、隠し立てをやめた諦観と、どこか開き直った響きが混じっていた。
「実は俺さ、警察関係者とも繋がりのある道場主の家系でな」
ミササギは夜風に揺れる髪を払いながら、ゆっくりと続けた。
「……だから、その件について、少し調べたことがあるんだ」
低く落ち着いた声音は、一見世間話のようでいて、核心を突く重みを帯びていた。
ジンガの胸の奥がひやりと冷たくなる。
自分が知られているのは、あくまでも《ゲームプレイヤー》としての顔だと思っていた。
だが――それ以上に踏み込まれている。そう直感させるには十分な言葉だった。
「篝火仁牙。
とあるテロ事件を阻止し、その際に負った後遺症で世間から隔離された人物だと、そう調べがついた」
ミササギの口から告げられた名に、ジンガの肩がわずかに揺れた。
その声音は淡々としていたが、夜気を裂くには十分すぎる重さを持っていた。
「いやぁ、恥ずかしい過去だよ」
ジンガは力なく笑い、頭をかきながらそう言った。
軽口を叩いてはいるものの、声音にはどこか居心地の悪さが滲んでいる。
その瞳は夜空に向いたまま、決してミササギを見ようとはしなかった。
「恥ずかしいわけないだろ」
ミササギは力強く否定した。
その声音には揺るぎない信念と、ジンガへの揺るぎない信頼が込められていた。
「あんたは英雄だ。本物になったんだよ」
幸せにはなれなかったかもしれないけど――それでも、そう言わずにはいられなかった。
「はは……ありがとう」
ジンガは照れ隠しのように笑みを浮かべた。
「俺はやっぱり、あんたがパーティリーダーで良かったと思うよ」
ミササギの言葉は、夜の静けさを揺るがすほど真っ直ぐだった。
「……だから、俺にも話してくれよ」
ミササギは静かに言葉を継いだ。
「《ラウ・ファミリア》の行く末を……ジンガが考えている、その先の未来を」
その声音は押しつけがましくもなく、軽口でもない。
仲間として、友として、ただ共に背負う覚悟を示す言葉だった。




