03
屋根伝いに駆け抜けたミササギは、街の中心部へと躍り出た。
黒煙が空を覆い、炎が石造りの建物を舐め尽くしている。
悲鳴と怒号が渦を巻き、広場は地獄そのものと化していた。
「……数が多いな」
視線の先では、巨躯の魔物たちが粗末な武器を振り回し、住民を追い立てていた。
崩れた壁や砕けた舗石は、彼らが放つ怪力の証。
人々の叫びが絶望の色を濃くしていく。
「仕方ない」
ミササギは刀を抜き、わずかに息を吐く。
ふわりと屋根から飛び降りた。
その姿を見つけ、全長三メートルを優に超える魔物が咆哮を上げる。
岩のように盛り上がった肩、丸太の腕。
握られた棍棒は大人の胴を粉砕できる太さで、鉄の輪で補強されていた。
振り下ろされた瞬間、空気が裂ける轟音が広場を震わせた。
石畳が粉砕され、人を呑み込むほどの大穴が穿たれる。
近くの壁が揺れ、瓦が崩れ落ちる。
――だが、そこにミササギの姿はない。
「遅い」
静かな声とともに、豚顔の首が宙を舞い、巨体が音もなく崩れ落ちた。
その死骸が沈む間もなく、二体目が突進する。
錆びた斧が振り下ろされるより先に、ミササギの刃が閃き、喉笛を断つ。
巨体は前のめりに崩れ、石畳を揺らした。
三体目が咆哮し、背後から棍棒を振るう。
振り返りもせずに身を沈め、すれ違いざまに袈裟斬りを浴びせる。
肉と骨を裂く音が遅れて響き、血が弧を描いた。
さらに一体、また一体。
迫るたびに、刀は迷いなく振るわれる。
振り上げる腕を斬り落とし、踏み込む脚を断ち切り、巨躯が倒れるより早く次の敵へと移る。
群れに囲まれながらも、ミササギの動きは淀みなく続く。
一太刀ごとに確実に屍が積み重なり、咆哮が断末魔へと変わっていく。
最後の一体が突進してきた。
棍棒を振り下ろすその瞬間、ミササギは一歩だけ踏み込み、刃を上段から振り下ろした。
巨体は胸から肩口へと斜めに裂け、そのまま膝をついて崩れ落ちた。
広場に残ったのは、血と煙に染まった石畳と、半袖に七分丈のハーフパンツを纏った若者の姿だけ。
その軽装は戦場に似つかわしくない。
だが彼の足元には、都市を揺るがすはずだった怪物の屍が折り重なっていた。
――その光景に、駆けつけたジンガは足を止めた。
つい先ほどまで街を揺るがしていた咆哮は消え失せ、残るのは炎のはぜる音と、血が滴る音だけだった。
鉄の匂いが鼻を刺し、焼けた瓦礫の熱気が肌を灼く。
ジンガは短く息を吐き、ただ目の前の現実を受け入れた。
「……やっぱり、終わってるよな」
驚きはなく、確認するような声音だった。
ミササギは刀を払って血を散らし、無造作に鞘へ収める。
そこに昂ぶりの気配はなく、戦闘が呼吸と同じ日常の一部であるかのようだった。
「いや、まだだ」
短くそう告げ、ミササギは煙の立ちこめる方角へ視線を向けた。
ジンガも同じ方角を見る。
黒煙を割って、ひときわ巨大な影が姿を現した。
その身の丈は五メートル近く、筋肉は岩塊のように盛り上がり、握られた大斧は建物ごと粉砕できるほどの質量を誇る。
赤黒い瞳がぎらつき、咆哮が空気を震わせた。
ただのオークではない。群れを従え、知性を持ち、戦場を支配する上位種。
――オークジェネラル。
その存在だけで、人ならざる恐怖が広場を支配した。
だが、ミササギは一瞥を与えただけで刀を抜いた。
オークジェネラルが大斧を振りかぶる。
轟音とともに石畳が割れ、地響きが街を揺らした。
建物の壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。
常人なら、それだけで戦意を喪う光景。
だが、ミササギの姿はそこになかった。
「遅い」
オークジェネラルの首元から、静かな声が落ちる。
次の瞬間、巨体の首が宙を舞い、血飛沫が炎に照らされて散った。
オークジェネラルは咆哮を残す間もなく崩れ落ち、地面を揺らして沈んでいった。
ミササギが軽やかに地面へ着地すると同時に、ジンガは煙の中へ向かって駆け出した。
「待て!」
鋭い声が背を射抜いた。
だがジンガは振り返らない。足を止めれば、それだけで手掛かりを失う――その確信があった。
――おかしい。
街中に突如としてオークやオークジェネラルが現れるなど、本来ありえない。
森や山に棲むはずの魔物が、これほどの規模で侵入してくる理由は一つしかない。
(誰かが……意図的に導いた)
胸の奥で冷たい予感が膨らむ。
ジンガは眉をひそめ、さらに足を速めた。
煙の中を進むと、崩れ落ちた建物の陰に、不自然な跡が残っていた。
石畳は円形に焼け焦げ、地表には黒い線が幾重にも刻まれている。
魔法陣の残滓――魔力の痕がまだ燻っていた。
ジンガは膝をつき、指先で砕けた石片をつまむ。
ひび割れの奥に、黒ずんだ結晶の欠片が埋まっていた。
明らかに自然にできたものではない。
(……やっぱり)
偶然ではない。誰かが意図して、この街へオークを引き入れた。
ジンガが視線を細めたその瞬間――
「そこで何をしている!」
背後から甲冑の軋む音と鋭い声が響いた。
振り返ると、数名の騎士が剣を構えて立っていた。
煤と血に濡れた現場に、一人で跪くジンガ。
魔法の痕跡を前にしたその姿は、疑いを招くに十分だった。
「まさか……この男が」
「魔物を呼び寄せたのか?」
視線が鋭さを増し、刃先が向けられる。
ジンガは黙したまま立ち上がり、静かに息を吐いた。