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「……あれ? ミササギ、いないな」
ジンガが庭を見渡してぽつりと漏らした。
ミササギは毎朝欠かさずに鍛錬を続けている。それは彼らにとって周知の事実だった。
「もう、朝早くないですからね」
エリシアは空を見上げて言った。
「あー……寝過ごしたのか」
「そういうことですね。ちゃんと寝ないからですよ」
「うっ、根に持つなよ……」
「根に持ってなんかいません。ただ事実を言ってるだけです」
エリシアはぷいと顔をそむけ、わざとらしく澄ました声を出した。
「……そ、そうだな」
ジンガは言葉に詰まり、頭をかきながら苦笑するしかなかった。
「ふふっ」
エリシアはその様子に小さく笑みをこぼし、隣に並んで歩を進める。
石畳の小道を抜けると、足もとはやがて土に変わり、朝露を含んだ芝が靴を濡らした。
庭の奥には花壇や木々が並び、鳥の声がひときわ鮮やかに響いている。
「……ん?」
彼らが正門を横切ろうとしたときだった。
門柱の影に、一人の女性が立っていた。
金色に近い茶色の髪が朝の光を受けて揺れ、その存在感を際立たせている。
腰には細身の長剣を帯び、柄に添えた手が、その技量の確かさを物語っていた。
「……話しかけてみますか?」
エリシアが小声で切り出す。
「いや、何そのNPCイベントみたいなやつ……」
ジンガが顔をしかめ、ぼそりと返した。
「え、えぬぴーしー……?」
エリシアは首を傾げ、不思議そうに繰り返す。
「ああ、いや。こっちの話だ」
ジンガは軽く手を振り、取り繕うように言った。
ゲームの世界から迷い込んだと言えど、ここはゲームの世界ではないのだから。
「おい、そこの人っ! 俺たちに何の用だ?」
そのまま距離を保ちながら、その女性に話しかけた。
女性はゆっくりと顔を上げる。
腰の剣に添えられていた手を下ろし、まっすぐに二人へ視線を向けた。
「私はオルトリア。剣聖の二つ名を持つ者だ」
静かな声色で名乗りを上げる。
「……誰?」
ジンガは片眉を上げて素っ気なく返した。
「えっと……すみません。わたしも、聞いたことがなくて……」
エリシアも小さく頭を下げ、申し訳なさそうに付け加える。
「……し、知らないのか?」
オルトリアの瞳が揺れた。
世間では急速に名が広まっているはずの自分の二つ名が、目の前の二人には全く届いていない。その事実に、思わず声が裏返る。
「な、なんかごめん。……で、何の用?」
ジンガは悪びれた様子もなく、首をかしげながら問い返した。
「ミササギ殿と剣を競いたいのだが、断られてしまってな……」
オルトリアはわずかに肩を落としながらも、真剣な眼差しを崩さずに答えた。
「あー……ミササギは受けないだろうな」
ジンガはあっさりと断じた。
「そうですね。私も、無意味に剣を振るイメージはないです」
エリシアも同意し、小さく首を振った。
「剣に優れている者は皆、剣を愛しているものだと思っていた。だからこそ、私には分からない価値観だ」
オルトリアは真剣な眼差しを向けながら言葉を続ける。
「……どうすれば、ミササギ殿は私と戦ってくれるだろうか」
「さあな。俺に聞かれても困る」
ジンガは肩をすくめ、興味なさげに答えた。
「無理に望んでも、ミササギ様は応じないと思います」
エリシアは少し困ったように微笑みながら首を振る。
「剣を交えるよりも、大事なものを優先する人ですから」
「……あ、いや」
ジンガはふと顎に手を当て、考えるように視線を宙に泳がせる。
「もしかしたら、やってくれるかもしれないぞ」
「……どういうことだ?」
オルトリアが身を乗り出し、真剣な瞳でジンガを見据える。
「冒険者のランクは?」
ジンガは逆に問い返すように口を開いた。
「私は《ミスリル》だ」
オルトリアはためらいなく答えた。
「剣を極めるために、ここまで辿り着いた」
その言葉を頭の中で転がして、ジンガは自分たちに利を作ることができるか考える。
「俺の要望を飲めるなら、ミササギに取り次いでやってもいい」
ジンガはわざと間を置き、探るような視線を投げかけた。
「……どうする?」
「……聞かせてくれ」
オルトリアは息を詰め、短く答えた。




