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翌朝のことだった。
朝の鍛錬に励んでいたミササギは、研ぎ澄まされた五感によって、屋敷の外から近づいてくる気配をいち早く察知していた。
だが自ら出迎えるつもりはない。
強引に迫るなら叩き伏せて帰らせるし、そうでないなら無視を決め込むつもりだった。
まだ日課の鍛錬は半分も終わっていない。
理由をつけてサボれば、たちまち自分は衰える――そんな感覚が常に胸の奥にあった。
ミササギにとって衰えることは、大切な者を守る力を失うことと同義。
その恐怖こそが、彼を今日も突き動かしていた。
手にしているのは、ジンガお手製の素振り用の木刀だ。
重心が先端に寄っており、体重移動を誤れば身体ごと持っていかれるほどの代物である。
そんな枷を背負いながら、ミササギは最強の自分を思い描く。
目の前にいると信じ込む――俗世で言えばシャドーボクシングに近いものだろう。
幻の「影のミササギ」が、全力で一刀を振り抜く。
実際のミササギは最小限の動きでそれをかわし、振り切った刃の隙に反撃を叩き込むイメージを重ねていく。
だが「影のミササギ」は最強の自分だ。
重心の偏った木刀では、一刀を受け流すことすら難しい。
安易に振れば、その刃は実のミササギを十度は斬り伏せるだろう。
この鍛錬こそが、ミササギが最強たる所以である。
彼自身が描く最強の自分――それを超える敵に、ミササギは生涯出会ったことがない。
(相変わらず……厄介だな)
実のミササギが「影のミササギ」を斬り伏せるには、最強の自分を超えるしかない。
そして毎日の鍛錬で、必ず一度はその最強を塗り替える。
それが彼の日課だった。
「……よし」
やがて彼は小さく息を吐いた。
今日も「影の自分」を斬り伏せることができたからだ。
(まだいるのか……)
それなりに長い時間をかけて鍛錬をしたつもりだった。
気配のする方角へと視線を向ける。鍛錬に没頭していた自覚があるからこそ、まだ気配が残っていることに驚きを覚えた。
(しかも、数がふたつ。……何の用だ?)
木刀を腰に下げ直すと、ミササギは足を門へと向けた。
屋敷の敷地を囲む石壁の影を抜け、外へと繋がる門が視界に入る。
鍛錬の余韻を引きずったまま歩むその足取りは重くはないが、気配の正体を測ろうとする分だけ慎重だった。
「何の用だ?」
門の外に立つ気配の影を捉え、ミササギは距離を取ったまま低く声を掛けた。
やがて石畳の先から、一人の男が姿を現す。
その身に纏うのは王国騎士団長の外套。威厳を帯びた風貌は、彼がただの来訪者ではないことを物語っていた。
「騎士団長サマじゃないか。早朝からどうしたんだ?」
ミササギはその姿を視界に収めるなり、肩を竦めて飄々とした口調で問いかけた。
「どうもこうもないだろう。依頼達成の報酬を渡しに来たのだ」
騎士団長はそう言いながら、訝しげな視線をミササギに向けてきた。
「……達成報告をしたのは昨日だろ?
現場――オルガウスト辺境都市の状況は確認したのか?」
今度はミササギが訝しげな視線を返す番だった。
なぜなら、この王都からわずか一日で辺境都市に往復できるような手段は、このオルファリオン王国には存在しないはずだからだ。
「それは貴殿らへの信頼と信用の証だ。……それに、もし敵対すれば国が滅ぶ」
「俺がいるから?」
「それはそうだが……いや、これ以上は言うまい」
騎士団長の胸中には、《ブラック》ランクであるミササギだけでなく、ジンガやミレイに対する懸念もあった。
だが、あえて口にする必要はないと判断し、言葉を呑み込んだ。
「──その、良いだろうか?」
騎士団長の後ろから、ひとりの女が姿を現した。
ミササギよりも背が高く、腰には長剣を携えている。
突然の登場ではあったが、その存在にはすでに気づいていた。
ゆえにミササギは驚きもせず、ただ静かに視線を向けるだけだった。
「彼女は騎士団長サマの連れか?」
女の言葉を無視し、騎士団長へと視線を戻す。
「残念ながら、我らには関係ない。有名人だから知ってはいるがな」
「ほん、有名人……ね」
会話が途切れたのを見計らい、騎士団長は腰の革袋に手を伸ばした。
じゃらり、と小さな金属音が響く。
「報酬を渡せば、私の役目は終わりだ」
距離を詰めることなく袋を地面に置き、視線だけで合図を送る。
受け取るかどうかはお前次第――そう告げるように。
ミササギはわずかに頷き、袋を拾い上げた。
その仕草を確認すると、騎士団長は背を向け、無言のまま歩き去っていく。
石畳を叩く靴音が次第に遠のき、やがて門前には、ミササギと女だけが残された。
「……んで、お前は誰?」
この距離で黙っているわけにもいかず、ミササギは不躾な問いを投げた。
「私はオルトリア。最近は『剣聖』の二つ名で呼ばれている者だ」
女は微動だにせず、静かに名乗りを上げる。
「ミササギ殿の腕が素晴らしいと巷で聞き及んでいる。
ぜひ一度、手合わせ願えないだろうか?」




