19
「ジンガ、実は生存者がいるんだ」
ミササギはふと思い出したように言った。
「生存者?」
ジンガが眉をひそめる。
「実験に使われた人間だ。まだ息がある」
淡々と告げられた言葉に、アストレイの肩が小さく震えた。
「……っ」
鎖が鳴り、彼女の瞳に一瞬だけ影が走る。
「案内できるか?」
ジンガの問いに、ミササギは短く頷いた。
「ここからそう遠くはない。見ておくべきだと思う」
ジンガは小さく息を吐き、アストレイを見やった。
「……行こう」
「こいつだ」
積み重なった骸の中から、ミササギはまだ心臓の鼓動が残る者を引きずり出した。
「……惨いな。他の死骸も、人の形を留めていない」
ジンガはわかりやすく顔を顰めた。
「殺したいと思った?」
アストレイは鎖に縛られたまま、じっとジンガに視線を向ける。
「そうやって問い掛けてくるのが鬱陶しいな」
ジンガは肩をすくめ、溜息を吐いた。
「説教の一つでもしてやりたくなる」
「こいつも助けるつもりか?」
ミササギの瞳にはやめておけという意思があった。
「生きながらえても、この体では人として生きていけない。殺してやるのも優しさだ」
引きずり出された身体は、骸の山から崩れ落ちるように床へと横たわった。
皮膚は裂けて黒ずみ、ところどころから結晶の破片のようなものが突き出している。
関節は不自然にねじれ、腕も脚も本来の形を留めていなかった。
それでも胸はわずかに上下し、かろうじて心臓の鼓動が命を繋いでいる。
虚ろな瞳は半ば開かれたまま宙をさまよい、声を発することもできず、唇だけがかすかに震えていた。
掘り起こされたその姿は、生かされるためではなく弄ばれるために繋ぎ止められた命だった。
「うーん……それはあるよなぁ」
ジンガは顎に手を当て、ほんの一瞬だけ考える素振りを見せたが、すぐに首を横に振った。
「でも、だからって俺には殺せない。生きている限り、まだ選ぶことはできるだろ」
そう言い切ると、迷いなくその身体を抱き上げる。
温もりと重みが、まだ命が繋がっていることをはっきりと伝えていた。
「……アストレイにこれ以上の悪事をさせなければ、依頼は果たしたも同然だな」
今回の王国騎士団からの依頼は三つあった。
一つ、黒結晶の正体を突き止めること。
二つ、魔法陣の出所と術者を割り出すこと。
三つ、同じ被害が再び出ぬよう、原因を排除すること。
「……まあ、そうだな。殺せとは言われてないし」
ミササギは短く応じた。
「めちゃくちゃ破格の依頼なのに、楽勝だったな」
ジンガは肩の力を抜いて言った。
「普通は殺すしかないんだよ。……はあ、さすがだよほんとに」
ミササギは小さく息を吐き、呆れ半分にジンガを見やった。
「……私が裏切るかもしれない」
解放された身を抱え込むようにして、アストレイはうつむいたまま呟いた。
「その時は俺が殺す」
ミササギは迷いなく断言する。
「いや、流石に俺がやるよ」
ジンガは静かに言った。
自分の優しさが甘さと紙一重であることを、彼は理解している。
もしも失敗したら、その代償は自分で払うべきだ。
「……ま、そんなことを今論じても意味はないか」
ジンガは気持ちを切り替えるように息を吐いた。
「アストレイ。君が使っていた資料がどこにあるのか教えてくれ」
「あ、そう……よね。案内するわ」
アストレイは小さく頷き、視線を伏せた。
彼女の案内で、彼らは部屋を後にした。
ジンガは担いだ生存者の重みを確かめながら、廊下へと出る。
「うっわ、部屋が多いなぁ……」
外に出たジンガが思わず呟いた。
廊下には無数の扉が沈黙を保って並び、鉄と薬品の匂いが濃く漂っている。
アストレイはためらいがちに歩を進め、やがて一枚の扉の前で立ち止まった。
取っ手に手をかけ、振り返る。
「……ここよ」
軋む音とともに扉が開かれる。
中はこれまでの部屋とは違い、血や臓物ではなく、紙と薬品の匂いに満ちていた。
壁一面の棚には記録簿が詰め込まれ、机の上には図面や計算式の走り書きが散乱している。
瓶詰めにされた黒い結晶の欠片や、失敗作らしき魔法陣の断片も無造作に置かれていた。
乱雑でありながら、ここが研究の中心だったことを示していた。
「黒結晶の生成過程や術式の応用……全部ここにある」
アストレイは言葉少なに告げたが、その声には陰が差していた。
ジンガは担いだ生存者を壁際にそっと下ろし、棚から一冊を抜き取る。
ぱらぱらと頁をめくり、目を細めた。
「これだけあれば、依頼の証明には十分だな」
「《メニュー》」
ジンガの呟きに応じて視界の端に淡い光が走り、半透明のウィンドウが展開される。
表示された五項目から《所持品》を選び、仕舞うべき対象を指定してひとつずつ収納していく。
「……空間魔術?」
物が次々と消えていく様を見て、アストレイは唖然とした表情を浮かべた。
空間魔術の構築や発動は、あらゆる魔術の中でも最高難度に位置するからだ。
「まあ、そんな感じだ」
ジンガは軽く答えた。
実際には空間魔術ではないが、説明する気はなかった。
資料がすべて消えたのを見計らい、ミササギが口を開く。
「この建物、どうする?」
「他に生存者がいないか確認したら……戦闘で倒壊したように見せかけよう」
ジンガは静かに言葉を継ぐ。
「そして、アストレイは戦闘で死んだことにする。それでいいよな?」
「それが一番楽そうだよな」
ミササギは肩をすくめ、小さく吐息を漏らした。




