01
「うっ……」
ジンガは鈍く痛む頭を押さえた。
胃の底にはまだ酒が残っているようで、口の中は不快なほど乾いている。
昨日は《ラウ・ファミリア》結成の祝宴だった。
たった六人の小さなパーティなのに、同郷の顔ぶれもあって夜は思いのほか賑やかになり、気づけば酒に呑まれていた。
笑い声や杯を打ち鳴らす音が、今も耳の奥に残っている。
ゆっくりと身を起こし、周囲を見回す。
散らかった卓と空のジョッキばかりが目に入り、仲間の姿はどこにもなかった。
この場に残っているのは、彼ひとりだけだった。
(……まじかよ)
同郷の二人は、ジンガの記憶が正しければ、自分よりも遥かに多くの量の酒を飲んでいたはずだ。
「《キュア》」
低く呟き、ジンガは未だにふらつく身体へ回復術を施す。
淡い光が頭痛を和らげ、乾き切った喉にもわずかな潤いが戻っていく。
それを確認すると、彼は息を吐き、次の行動を考え始め──
「ジンガ様、お目覚めですか?」
ひょこっと背後から金色の影が顔を出した。
朝の光を受けて輝く髪が、いたずらっぽく揺れる。
「おわっ!?」
あまりにも突然のことで、ジンガは反射的に飛び跳ねてしまった。
「いつも冷静なジンガ様も、そういう反応をされることがあるのですね。ふふっ」
その少女の名はエリシア・オルフェール。
ジンガがこの世界で最初に言葉を交わした相手。
金髪金眼。その名に恥じない美貌を兼ね備えた十六歳だ。
「はは、ごめん。昨日は浮かれ過ぎてたみたいだ」
自分より年下の、しかも年端もいかない少女に言われて、恥ずかしくて頭をかいた。
「そんなジンガ様も、新鮮でよろしいですよ」
エリシアは唇に笑みを浮かべ、散らかった卓を見やった。
「そう言われると余計に恥ずかしいな。さて……掃除から始めるか」
この惨状の共犯者を呼び付ける気にもならず、ジンガはひとりで片付けを始めようとした。
「私もお手伝いしますね」
エリシアは胸元で力強く掌を握った。
「いや、こういう大人の残骸は子供に任せられないよ。クルスやレイラと一緒にいた方がいいんじゃないか?」
この六人パーティは、大人三人と子供三人という、少し歪な組み合わせで構成されている。
「まだ子供扱いですか?」
エリシアはジンガの顔を下からずいっと覗き込んだ。
「……まだ子供だよ」
ジンガは思わず視線を逸らした。
「むぅ……」
エリシアは小さく唸り、ジンガの横顔をじっと睨む。
そのとき、軋む音とともに扉が押し開けられた。
冷たい朝の空気が差し込み、散らかった卓上の皿やジョッキを微かに揺らす。
「ジンガ、また逃げてるの?」
落ち着いた声にわずかな笑みが混じる。
同郷の一人、ミレイだった。
肩までの栗色の髪をざっくりと後ろでまとめ、無造作さの中に大人らしい余裕が漂っている。
「に、逃げてはない。それより……ミササギは?」
ジンガは言葉を選ぶように視線をそらした。
ミササギ――最強の名を欲しいままにする存在。
彼もまた同郷の一人であり、そしてミレイの夫でもあった。
「ミササギは外で鍛錬してる。私は掃除しに戻ってきたの。そろそろ起きてるかなって」
彼らが拠点にしているのは、街の一角に構えられた古い屋敷だった。
広い中庭と二階建ての居住棟を備え、六人で暮らすには余りあるほどの広さがある。
かつては商家の所有だったらしく、天井の高い食堂や客間が並び、今も豪奢な調度が所々に残っていた。
もっとも年月を経た床や扉は軋み、手入れには骨が折れる。それでも、彼らが稼ぎで手に入れた「居場所」として、この上ない拠点だった。
「そ……それは、ごめん」
酔い潰れていたのが自分だけだった罪悪感が、ジンガの胸を重くした。
だがミレイは肩をすくめて言った。
「気にしすぎ。あんたが潰れるのは珍しいし、みんな笑ってただけだよ」
エリシアも慌てて首を振る。
「ジンガ様のせいじゃありませんよ。皆さんも同じくらい楽しんでましたから」
「そこまで慰められると、それはそれで居た堪れないんだけど……」
ジンガは肩をがっくりと落とした。
「はあ……」
自分の情けなさを誤魔化すように、床に散らばるジョッキを拾い集め、隅へ寄せる。
「ため息は幸せが逃げるよ?」
「知ってる」
ミレイの的確なツッコミに、ジンガは何も言い返せなかった。
エリシアは慣れない手つきで皿を運び、時折カチャリと危なっかしい音を立てた。
「割るなよ?」
「わ、割りません!」
ミレイはそんな二人を横目に、落ち着いた手つきでテーブルを拭き上げている。
「結成祝いでこの有様なら、先が思いやられるね」
「始まりは賑やかな方がいいんですよ」
エリシアは皿を抱え、子供らしい笑みを浮かべた。
「その発言は、年相応の子供とは思えないね」
ミレイは柔らかく微笑んだ。
「ほらっ! ミレイさんも私のことを大人だって言ってますよっ!」
エリシアは得意げに胸を張り、言葉を強調する。
「本当の大人は、自分のことを大人なんて言わないよ」
ジンガは呆れた声音で答え、はいはいと手を振って流した。
そんな他愛のない やり取りを交わしながらも、手は動き続けた。
散らばった皿やジョッキが片付き、食堂の床も拭かれていく。
窓から差し込む朝の光が強まり、昨夜の宴の残り香も薄れていった。
ほどなくして卓上は元の静けさを取り戻し、三人は揃って息をつく。
そのとき――轟音が屋敷を揺らした。
窓硝子がびりびりと震え、椅子が小さく軋む。
「な、何ですかっ!?」
エリシアが慌てて声を上げ、ジンガとミレイも同時に顔を見合わせる。
「外にはミササギがいるから、そんなに気にしなくて良いと思うけどね」
ミレイは肩を竦めてみせた。
「……そうかもしれないけど、気になったから見てくるよ」
ジンガは言い残すと、椅子を引いて立ち上がった。
「わ、私も行きますっ!」
エリシアが慌てて立ち上がるが、ジンガは首を振った。
「戦闘してたら怖いから、ミレイと一緒にいてくれ」
そう言い残すと、ジンガは扉の取っ手に手をかけた。
きしむ音とともに押し開け、足音ひとつ立てずに部屋を後にする。
エリシアは唇を尖らせ、不満げに俯いた。
「ま、大事にされてるってことでいいんじゃない?」
そんなミレイの言葉に、エリシアは口を開きかけて、結局黙り込んだ。