予期せぬ雨
人生、何十年と生きていれば、突然の雨に打たれることもある。特に夏頃などにはゲ
リラ豪雨があったり、台風が来たりで、傘を持たず雨に見舞われる機会もあったりする
だろう。
一度濡れてしまったら最悪だ。服は夏の温かさで乾くかもしれないが、靴の中は蒸れ
て、悪臭が漂うようになる。
しかし、夏よりも春や秋ならもっと避けたい事象だ。最悪風邪を引いてしまうかもし
れない。
つまり、できれば突然の雨に打たれることは避けたい事柄なのだ。しかし残念ながら、
それは起こってしまった。しかも普通の雨ではなく、真っ赤な雨だ。
着ている服も真っ赤に染まる。しかも自分のお金ではなく、買って貰った物だ。つま
り、借り物の服を駄目にしてしまったと言ってもいい。
自然現象ならまだしも、人為的に起こったのなら、謝罪のひとつくらいあって然るべ
き物だと思っていた。
確かに、俺の目の前に立っている騎士っぽい女性は謝罪した。
「すまない。魔女様の邪魔をしてしまったかな」
そっちじゃない。こっちだ。
しかし、ヒランヤも俺の服のことなど気にも留めず、言った。
「いえいえ。助けていただいてありがとうございます」
騎士っぽい女性の後ろから、騎士っぽい男性が出てくる。鎧を着た金髪の、好青年と
いった感じの人物だ。
「流石団長です。まさかオーガをあの一瞬で……」
団長ということは、本当に騎士なのだろう。こいつも俺のことなど見ていない。
さらにもうひとり、鎧を着て大きな剣を持った、初老の男性の騎士が言う。
「しかし魔女様が居たのなら、余計なお世話だったかもな」
やはりこいつも、俺のことなど見ていない。
好青年の騎士は、言った。
「バラバラになったオーガの死体は、こちらの方で処理しておきます」
団長と言われていた女騎士は「わかった」と答えると、ヒランヤに言った。
「これから領主の所に行くんだが、よかったら一緒にきてくれないか」
ヒランヤは少し考える素振りを見せ、「わかりました」と答えた。
その後、女騎士はようやく俺を見た。
「あなたは……」
女騎士は俺を少し観察すると、懐から財布を出した。そして金貨を一枚俺に差し出した。
「これで新しい服を買うといい」
俺はそれを受け取ると、ヒランヤの鞄に突っ込んだ。
プリモの町に戻ると、まるで凱旋パレードの様に迎えられた。もちろん主役はヒラン
ヤと女騎士で、真っ赤な俺は含まれていない。
凱旋パレードが終わると、ヒランヤは俺に言った。
「そのバッグと依頼書をマリーに渡してください。そうすれば依頼完了ですから。わた
しはこれから領主様の所に行ってきます。それでは」
ヒランヤはそう言い残し、女騎士とどこかへ行ってしまった。
ハンターズギルドの受付で依頼完了の手続きをマリーにしてもらいに行くと、マリー
が目を丸くして、言った。
「……真っ赤ですけど、何があったんですか」
俺は答えた。
「予期せぬ雨に打たれただけだ」
翌日、俺は真っ赤に染まった服をなんとかしようと、いつもの池に来ていた。
昨日の帰りに丁度雑貨屋を発見し、石鹸を買ってきた。
真っ赤な俺を見て、店主はドン引きしていた。
ゲバンが作ってくれた桶で池から水を汲み、石鹸を泡立たせて水に溶かす。そして赤
く染まった服を揉んだり、押したり、摘まんだり。
……駄目だ。完全には落ちない。ほとんど汚れは落ちているが、白いシャツは薄いピ
ンク色になっている。これ以上落ちそうにない。
折角買って貰ったが、この服は諦めよう。多少の汚れなら我慢できるが、オーガの血
液で染まった服は、流石に着ていて気持ちのいい物ではない。
桶の汚水を川に捨て、石鹸と服を桶に入れる。
洗濯を諦め、帰ることにしたが、その前に少し辺りを散策することにした。
昨日マナマグワートが生えていた所に行き、改めて思ったのだが、この辺りは本当に
綺麗な所だ。
樹齢何百年か最早わからない巨大な大木が立ち並び、生い茂った大きな葉っぱが太陽
の光を遮っている。にも関わらず、なぜか辺りはほのかに明るい。
よく観察してみると、葉っぱや辺りに生えている草がその光源の正体だとわかる。こ
の辺に生えている草は、昨日行った獣道の場所には生えていなかった。
この辺りは聖域だと云われているそうだが、もしかしたら聖域特有の特性を持った草
や樹が生えているのかもしれない。だが、俺はまだこの世界のことについて詳しく知ら
ないので、なぜこの場所が聖域と云われているのか、なぜ草や樹の葉っぱが光っている
のか全くわからない。いや、聖域の方は大体予想つくのだが……。
機会が合ったら、ヒランヤに訊いてみるのもいいだろう。それか本屋で図鑑を探して
もいい。でもこの文明レベルなら、本は高価そうだ。
しばらく歩くと、俺が四十五億年寝ていた瓦礫の山まで辿り着いた。
ここでは何かを祀っていたのだろう。祀っていた物はおそらく、俺だ。
人々は俺を祀り、ここに社を建てた。しかし時代と共に忘れ去られていった。おそら
くそんなところだろう。
辺りを見ていると、瓦礫に何かが描かれているのを見つけた。瓦礫を掴みよく観てみ
ると、そこには六芒星が描かれていて、その中心に龍が描かれていた。
家紋? 魔法陣? ……よくわからんな。
しかし、なんとなく気になった俺は、その六芒星と龍が描かれた瓦礫を持って帰るこ
とにした。
そろそろ家に帰ろうと思った時、後ろから声をかけられた。
「こんな所にいたんですね。温泉にでも行ってきたんですか」
確認するまでもない。声の主はヒランヤだ。しかし温泉か。桶に服と石鹸を入れていた
ら、確かにそう見えるかもしれない。
「ああ。ちょっとこの辺りを散策していてな。それとこの服は駄目だな。石鹸で洗った
が、完全に落ちそうにない」
俺はピンク色になった服を見せた。
「そうですか。昨日いただいたお金で、新しい服を買ったらいいのでは? なぜわたし
の鞄にいれたんです?」
「この服はお前の金で買った物だからだ。それに昨日の依頼の報酬があるからそれで買
えるしな」
それに昨日貰ったお金は金貨だった。俺は知っている。こういう世界での金貨は、一万
円みたいな物だ。そんな大金いただけない。ここはやはり、ヒランヤに渡すのが筋だろ
う。
「なかなか律儀なんですね」と言うヒランヤ。そのまま続けて言う。
「それよりお話したいことがあるのですが、いいでしょうか」
おそらく昨日のことだろう。
「ああ、わかった。取り敢えず家に行こう。背中に乗れ」
ヒランヤは返事をし、背中に乗った。俺は飛び立ち、自宅へ向かった。