第12話 ひとときの遠出
「少し離れた村で、癒し手が足りてないって話がある」
冒険者ギルドの女頭領、ミルドギフ・アイアンハンドが診療所を訪れたのは、午後の忙しさがひと段落した頃だった。
エルフスリスは診療記録の帳簿を閉じ、顔を上げる。
「人手不足……ですか?」
「そう。もともといた治癒士が腰をやっちまってね。一応、引退してた婆さんが薬を分けてるけど、やれることは限られてる。擦り傷と膏薬程度ってところだな」
ミルドギフは腕を組み、やや気まずそうに続ける。
「ここでの噂を聞いた誰かが、あんたを推薦したらしくてさ。聖女様に来ていただければって。……ま、こっちも手が空いてるってわけじゃないだろうが」
エルフスリスは帳簿に視線を落とし、一呼吸置いてから頷いた。
「わかりました。行きます」
「ありがたい。三日、いや四日もいれば十分だ。ギルドから報酬も出す。変なとこじゃないから、安心してくれ」
◇ ◇ ◇
出発の朝。ブリュンヒルドが荷物を手伝いながら、眉をひそめた。
「ヴァリンの谷って……ずいぶん山奥よ。人も物も足りてなさそうね」
「そうみたい。薬草と調合薬も、多めに持っていくつもり」
「……国に雇われてるわけじゃないんだから、無理しなくてよかったんだよ?」
エルフスリスはその言葉に少しだけ首をかしげた。
「多分困ってるのよね。だから、行けるなら行こうかなって思って」
「……うん。そう言うと思った」
苦笑しながらも、ブリュンヒルドの手は止まらない。最後に、懐から小さな護符をひとつ取り出して握らせてきた。
「これ、あたしの地元でお決まりのお守り。効くかどうかは知らないけど、持ってると気が楽になるっていうから」
「ありがとう。大切にするね」
◇ ◇ ◇
馬車はゆるやかに山道を進んでいた。
霧が谷を流れ、森の色は少しずつ深まっていく。外の空気は涼しく、静かだった。
エルフスリスはその景色を、窓から静かに眺めていた。
——この道の先で、何かを見つけられるだろうか。
自分の祈りが、どこへ届いているのか。
そもそも、それを誰に向けているのか。
誰も知らない場所へ向かう今、その答えが少しだけ近づいているような気がしていた。




