第10話 ふたたび現れる影
夕暮れ時、風が町を巡るように吹き抜けていた。
診療所の扉が焦ったように、叩かれるように打ち鳴らされた。
「誰か、助けてくれ……!」
ブリュンヒルドが扉を開けると、若い狩人が仲間を支えて立っていた。
肩と脇腹に傷を負っている様子、意識が朦朧としているように見える。傷口からは、紫黒の筋がにじんでいた。
「瘴気……!」
ブリュンヒルドが顔を曇らせる。
だがエルフスリスは、ただ静かに手を伸ばした。
「こちらへ運んで。寝台に寝かせて」
手慣れた動きで布を敷き、血の滲む衣服を裂く。瘴気はすでに、傷口から皮膚の下へと侵食を始めていた。
「運が悪い、こんな田舎じゃ大した治療は難しいだろ。王都の術師なら、これには結界を張って、結晶を……」
「……結界は必要ないわ」
愚痴るように呟く冒険者の言葉を遮るように、エルフスリスが手をかざす。祈るように、けれども声を発さず。ただ、祈る。
すると、光がゆっくりと傷を包み、紫黒の色は、ふっと淡く消えていく。
数分後、患部の色は元に戻っていた。
狩人の息が静かに安らかに整っていく。仲間の冒険者が唖然とした表情でそれを見つめていた。
「……なんで、あんたはこんなことが……」
「ちゃんと治って、よかった」
ブリュンヒルドが小さく口笛を吹いた。
「相変わらず、“す《・》ごいって言うしかないわね、あんた」
◇ ◇ ◇
その夜、診療所の奥。
誰もいない部屋の片隅で、エルフスリスは静かに座っていた。
手のひらに残る感覚が、まだ消えていなかった。
短い間に瘴気に触れる機会が重なった。偶然かもしれないが、何かもやもやするものが胸に蠢く。
封じられたものの影、不吉な予感めいたものが、なんとなく揺れたような感覚。
それは説明のできない感覚だった。祈りを通じて、世界の綻びにふれるような、曖昧ではあるが確かな手応え。
彼女は小さく、言葉にならない祈りを唱えた。
(……いまは祈ることしかできない……)
そう思うエルフスリスであったが、名もなく、声もないその祈りは、確かに届いていた。




