第9話 静かな留守番
「しばらく町を離れることになった。南の森に魔獣が出た」
朝の支度をしていたエルフスリスに、ウィンフレズは唐突に告げた。
「……また?」
「規模は小さいが、手が足りなくてな。二、三日で戻れると思う」
彼は肩に薬草鞄を担ぎ、簡単な食糧と短剣を腰に差していた。
エルフスリスは、不安を顔に出さずに静かに問う。
「あなたがいない間、診療所を続けても?」
「頼りにしてる。ブリュンヒルドも協力してくれるって言ってた」
背後から「うん、任せて!」と威勢の良い声が上がった。
「無理はしないでね」
エルフスリスの言葉に、ウィンフレズは短く笑い、手を振った。
「そっちこそ。……大したことにならないよう祈っててくれ」
◇ ◇ ◇
診療所は、思いのほか忙しくなった。
季節の変わり目。寒暖差で体調を崩す者、農作業で指を切った子ども、古傷が痛む老人。
派手な怪我や重病はなくても、小さな不調が重なると、診療所はすぐに手一杯になる。
「次、軟膏準備するね!」
「ありがとう。包帯も新しいのを出して」
ブリュンヒルドは手際こそ荒っぽいが、誰よりも患者にまっすぐ向き合っていた。
薬草の名前をまた間違えることもあるが、エルフスリスはそれを穏やかに正す。
「カモニールじゃなくて、カモミール。止血剤じゃなくて、気持ちを落ち着ける香りよ。焦らないで大丈夫」
「おお、サンキュー……エル!」
その呼び方に、まだ少しだけ照れが残る。
◇ ◇ ◇
日が暮れる頃、ようやく訪れる人もなくなった。
ふたり並んで、カップにハーブティーを注ぎながら、エルフスリスがふと口を開く。
「……ありがとう。助かったわ」
「えへへ、エルに感謝された!」
「何か、変?」
「ううん、なんか、普通っぽいなって思って」
エルフスリスは一瞬だけ言葉に詰まり、それからそっと湯気の向こうで微笑んだ。
普通が何か、まだ分からない。
けれど、誰かと一緒に働き、笑い、名前を呼ばれ、誰かの役に立っている——
それだけで、自分がどうありたいのかが、少しずつ形になっていく気がしていた。




