桜坂
小那覇市の真ん中辺りに桜坂はある。
坂には登りがあり降りがある。
桜坂の始点は平和通り。
桜坂の終点は。
坂は登りがある。
坂は降りがある。
登りが先にあり、
降りが後にある。
坂は人生に似ている。
登りの始点は平和通り。
降りの終点はカサブランカ。
この坂が桜坂。
私の青春から晩年にかけ、登ったり降りたりをくり重ねた、わずか100mほどの緩やかな坂。
国際通りから平和通りへ侵入し、アーケードの土産物屋を左右に見ながら、少年期の一本路を駆け足で通り抜ける。10分も駆け足すれば、十字路が出てくる。青年期への入り口は、前、右、左、三叉路である。桜坂の始点。始点は左方向。高低差15mくらいの高台の桜坂。坂のてっぺんには、映画名作劇場の、その名もずばり桜坂劇場が居座っている。沖縄文化の発信基地である。
桜坂は壮年への登り路。他人の厳しさ、優しさ、情けを知っていく路である。登り坂は緩やかといえ、ぼちぼち歩くのが習性。それでも桜坂劇場の前に着くころ、立ち止まり、腰を反らす必要がある。少年期では想定できぬが、中年老年のころは、坂の中腹で一度、呼吸を整えるために休憩を求めた。
「マスター 膝の調子は?」
「ケンちゃん、歳取りたくないね」
「オレ、もう築60年よ〜」
「あら、築だなんて。家みたい。
わたしも 築61ね。リホームが必要ね。」
「オレ、リホームしない。スクラップ アンド ビルドさ。」
「わたしも、水まわりもガタガタだから、建てなおすね。」
「ケンちゃん、若く見える。左膝の手術リハビリが終わったら、今度は右膝の手術。両膝リハビリ完了は年明けよ。痛いけど、歩けるように、がんばる」
「わぁ、辛いね。老化には勝てないわ。」
「マスター、若い頃からテニスやってきたから、両膝の軟骨がスリ減ったのね。痛い? リハビリが辛い」
「リハビリは激痛を感じる。月単位の治療計画では絶対継続だから、持続的な忍耐力が要るよね。」
「そう、痛いのを避け、我慢した体験のない、人生だから、あはは。お気楽人生よ。歳だけは誰にも公平に勝手に訪れるのよね。もっともっと、楽しんでおけば良かった。
独歩できるまで、リハビリを頑張るワ。独歩できないベッド生活ほど惨めなことない。ケンちゃんも足腰、大切に扱ってね。」
「普段の健康がありがたいね、気づかないけど」
「無くして初めて気づくよね。それにしても、人間の身体って、上手く出来ているよね。骨、筋肉、内臓、血管、そして、脳。精密なミニチュアみたい。」
「親に感謝。50年も、この世の表も裏も楽しませてもらった。」
那覇の繁華街、桜坂。
戦中戦後、多くの人々が生活のために、働いた。
汗の匂い、化粧の残香、酒の匂い。
多様な匂いが混在する桜坂。
戦後80年、多くのうちなんちゅ〜の生活基盤w支えた。複雑な沖縄政治の陽と陰を包み込んできた桜坂。
昼があれば夜がくる。
光があれば影がある。
女がいれば男もいる。
新しい命が産まれ古い命が去っていった。