ここは地獄の一丁目
4月13日。
横浜市港南区。
信号待ちの間、スマホを眺めて時間潰し。
カッコウの鳴き声をまねた電子音を聞き流しながら、液晶画面を見る。
そこには、VRゲームとデータ共有したアプリが起動しており、アバターのステータス画面が表示されていた。
(レベルは15。現時点での上限いっぱい。新しいスキルも覚えたし、これで!)
影ニのメガネの分厚いレンズに、ステータスとスキル表の詳細表示が反射する。
今日は日曜。時間はある。
ダンジョンの第一層を突破するのに、これ以上の日取りは無い。
影ニの決意を後押しするように、電子音がピヨピヨとヒヨコめいて鳴き、彼の歩みを促した。
「残念だったねえ、影一くん。交通事故だって?」
ばずるねっとの事務所に着いた途端にこの一言。
ガレージのすぐ外で、スーツ姿の青年に影ニは捕まる。
紺色のリクルートスーツに地味なネイビーブルーのネクタイ。
髪染めしない黒いショートヘア。
カッチリしたファッションのはずなのに、スーツはやや生地がくたびれてて、ネクタイの締めは緩い。
頭頂部にも、ピョコンと寝癖が跳ねていて、フォーマルな服装と裏腹にだらしない。
中肉中背にすっきりした醤油顔なので、美形の類と言えるのかもしれないが、モデルというよりもマネキンのような標準感で妙な印象の薄さがある。
「あ、えっと……」
「ごめんごめん。突然でびっくりしたよね」
にへら、と気の抜けたような笑顔を浮かべる青年。
彼なりに場を和ませようとしているのだろうか。
それでも、初対面の相手にいきなりヘビーな話題をぶつけられた影ニは二の句を継げないままでいた。
「……もうバレた?」
外でしばらくマゴマゴしてると、後から出てきた琴浦たちに助け舟を出される。
とりあえずガレージオフィス内に入り、パイプ椅子に腰を落ち着けたところだ。
「スマン……」
でかい体をしゅんと縮こませてあやまる尾形。
まんまイタズラがバレた大型犬である。
「コイツ、影一くんと顔見知りでね。事務所から帰る影ニくんの顔も見ちゃったらしいから、隠し通せなくて」
向かい側に座る琴浦は、人差し指で自らの眉間を押さえている。
不機嫌そうなシワが、つるりとしたおでこに、深く刻まれていた。
「やれやれ。コイツだなんてあんまりじゃない?」
「……だったら自己紹介なさい。影一くんとクリソツだから感覚麻痺ってるのかもしれないけど、初対面だから、この子とは」
「あいよ。っていうか、あながち初対面ってわけでもなかったり?」
その言葉で影ニは気づく。
この事務所に初めて来た日の帰り際。
ぶつかってしまったあのスーツの男だと。
「僕は日向 佑。ヨロシクねー。あ、モチロン中の人交代したのは秘密にしとくよ。こう見えて、口堅いから僕」
カッチリとしたスーツに似合わない軽い挨拶に影ニは一層不安を深めた。
聞けば、日向はこの事務所に隣接する一軒家に住んでいるという。
「俺が実況プレイ動画撮ってる時に音漏れしてな。そっからの腐れ縁だ」
「健さんってば声デカいんだもん。僕じゃなかったら騒音問題になってたとこよ?」
「はいはい。理解あるご近所さんで助かってますよ」
琴浦はふうっとため息をつく。
だが、大人三人は仲が悪いという感じではなく、言いたいことを遠慮なく言い合えてる感じ。
影ニにはピンと来ないが、そういうノリの人間関係も世の中にはあるのだろう。
「あっ、そういえば琴浦ちゃん車戻って来た? いやー、免許持ってたら引き取り行けたんだけどねえ」
「社員でもないアンタに、そんなの任せられないでしょ。心配しなくても私がもうやったわ」
「いやー、働き者の社長さんだねえ。こういうのって普通、したっぱの平社員がやるもんじゃない?」
日向が意地悪そうな目で尾形を見たので。
「ぬかせ」
尾形は日向の軽口を許すような苦笑を、フッと返すのであった。
「日向さんは、免許持ってないんですか?」
世間話のていで、影ニはさりげなく聞いているが、内心は穏やかではない。
「うん。だって車って金食い虫じゃない?」
「ええ、まあ。そう、かもしれないですね……」
若者の車離れ。
その現象の範疇に日向は居るようだ。
免許も車も持ってない、となればこれ以上しつこく疑うのは無理筋か。
と、ここまで思考して影ニは自己嫌悪する。
出会ったばかりの人間に、疑いの目を向けてる自分に。
「そうは言っても田舎じゃ車は必需品だぞ?」
「身分証にもなるしね」
「あれ? もしかして僕、免許マウント取られちゃってます?」
大人たちの遠慮のない雑談に、影ニは疑念を隠したまま曖昧に愛想笑いするのであった。
「おっと。いつまでもくっちゃべっちゃいられないわね」
琴浦がきっと、つり目を強気そうに細める。
「ココに来たってことはダンジョン攻略、手伝ってくれるってことよね? 日向」
「やれやれ、やっぱそうなりますか。はいはい、働きますよっと」
日向は呆れたように笑いながら、まるで自分の部屋かのように慣れた様子でガレージオフィスのPCの前に座る。
「ヘッドセット持ってきたか?」
「はい」
VRヘッドセットを手に持ちながら、影ニが尾形に神妙な顔をしてうなずく。
ゲームするだけなら、オンラインで繋がれば事足りる。
だが、今回はダンジョン攻略の本番。
ゆえに、細かなコミュニケーションも漏らさないようにあえてリアルの事務所に集まった。
相手はチャンネル登録者数に応じて能力値が上がる配信者専用ダンジョン。
リトライ数がかさみ、視聴者が離れてしまえばそれだけ攻略は難しくなってしまう。
一発攻略が理想だ。
「えーと影ニくんは、仮眠室……って他の人が寝た布団は嫌だよね」
会社の中に寝るとこあるのか。
ブラックなとこと契約しちゃったかなと、影ニは危惧を覚える。
「ならソファで良いんじゃねえか? 俺は椅子で良い。社長は布団使っとけ」
「ん。ありがと」
全感覚投入時のリアルの肉体の置き場所を短いやりとりで決める。
「どうでも良いけど、早くした方が良いんじゃなーい? 告知した時間に遅れるとマズいっしょー」
パイプ椅子に腕をかけながら、こちらを見る日向が、先を促した。
「寝てる間の私のカラダ、何かしたらねじ切るから」
(ねじ切るってナニをだろう……)
仮眠室に向かう前に投げかけた警句に、影ニは内心で疑問を挟み、
「おお怖っ」
日向はおどけた調子で身を震わせた。
「俺のカラダもおさわり禁止だぞ。もちろん坊主のもだ。事案なる」
パイプ椅子を並べて即席のベッドを作りながら、尾形も警告する。
実際、VRゲームプレイ時の肉体の安全確保は大事である。
「なーにが楽しくてガチムチオッサンとガキンチョ触んなきゃなんないのよ」
「この体の価値がわからんとかモグリか? 見よ! この鋼の肉体美!」
サイドチェストで毛深い腕に息づく筋肉をムキィッと肥大化させるのを、日向はげんなりした様子で視線を切って、PC画面に顔を向けた。
大人三人のあまりにフリーダムな様子に、影ニの顔に苦笑が浮かぶ。
「ははは……で、では、みなさんガンバリましょう!」
正直かなり不安だが、ソファーに寝そべりながらヤケクソ気味に声を張り上げる。
何を頑張れば良いのか、本人にもわからないことだけれど。
……色々とごちゃついたが、とにかく準備は済んだ。
ヘッドセットを付けた影ニは、仲間と共にVR空間へと意識を飛ばすのであった。
巨大な仏塔の扉をコールの小さな手が押せば、その質量に見合った重味を返しながらゆっくりと金属を軋ませながら入り口が開く。
地獄道は生前、大罪を犯した魂が行き着く世界。
その仏教世界観の底辺部をモチーフに第一層のグラフィック群は構成されている。
殺伐とした岩肌が剥き出しになった大地。黒色をした地面の割れ目にはマグマの真っ赤な色味がのぞく。
遠景には、かの有名な針山がそびえ立ち、巨大な血の池がそれなりに距離を置いてるのに鉄の香りを鼻に届かせている。
その酸っぱい臭いに顔をしかめたコールは、ポケットから仮想スマホを取り出しオプションをいじり、嗅覚感度をゼロに設定し直した。
「えっと……とりあえず、前行けば良いんですかね?」
背伸びしたコールは、おでこに手のひらを水平に当てて視界の先を探る。
天を黒い岩壁に塞がれた薄暗い空間は、溶岩と血の赤味に色づいたモヤに覆われていて先が見通せない。
『あっ、そこは最初右だねー。まとめwikiでマップは割れてるから、こっちのナビに従ってよ』
頭の中に直接、日向の声が響いてくる。
いわゆる天の声である。
リアル世界でPC画面を操作している情報支援メンバーは、VR空間にキャラグラが表示されないし、声もリスナーに届かない。
「わかりました、日向さん」
こめかみを人差し指で押さえながら話すコール。
このモーションに紐づいてパーティチャットモードが起動し、この間の話し声は仲間内にしか聞こえず、配信にも乗らない。
彼の脳内におどけた声が返ってくる。
「VRではアバター名で呼んでよ。ふいんき出ないし、身バレも怖いじゃん? パーティ内チャットとはいえさ」
どうでも良いことだが、ふいんきではなくふんいき。
そうしないと、なぜか漢字変換できない。
「あっ、すみません……」
神妙な顔で頭を下げるコールの脳内に『へっへっへ』という薄い笑い声が響いた。
『本名:日向佑
アバター名:ホロウ
レベル:1
チャンネル登録者数:3』
上にアンテナがふた方向に飛び出たブラウン管テレビ。
それに、手足が付いた二頭身のミニキャラ。
彼のテレビヘッドに線目の簡素な表情が画面に浮かび上がっている。ホロウという名前をもじったのか、そのキャラの全身はホログラムめいた半透明で時おりブツブツと明滅している。
そのホロウが、コールの視界の左上に小さいアイコンとして表示されている。
ここがナビ要員の定位置だ。
なお、ナビはチャンネル登録者数によるダンジョン入場制限の影響を受けない。
「いきなしまとめwiki見ちゃうのは、なんか抵抗ありますね……」
「俺は取り返しが付かない要素だけ見とく派だな」
「あー、私は最初から全部見ちゃう。社会人なると時間無くてさ」
三者三様のゲーム観を雑談として飛ばしながら歩みを進める。
『はいはい。敵さん、いらっしゃったよ!』
ナビの警句の通り、地獄の風景からモンスターが三匹飛び出してきた。
モンスター名、コオニ、アカオニ、アオオニ。
人ならざる肌色をした、頭に短いツノを二本はやした亜人種である。
虎縞模様の腰巻きを付けた筋肉質な巨体に金棒。
おとぎ話で描かれる鬼そのものの姿だ。
各種の特徴を述べるなら、アカオニは攻撃力、アオオニは防御力が高め。
コオニは、全体的に低ステータスだが小さい体であるがゆえに、知らず知らずのうちにパーティへ被害を広げてしまう厄介さがある。
「アオーン!」
「スナイプショット!」
「カードオープン!」
相手が鬼であっても、ゴブリン戦とセオリーは同じ。
ヴァナルガンドが遠吠えでヘイトを集め、エコーが遠距離DPS(毎秒与ダメージ)でHPを削り、コールが召喚した熊をけしかけてトドメを刺す。
ゴブリンより高ステータスなはずだが、配信バフが乗ってるおかげでコール一行はやや余裕を残す。
「テイム! した方が良いですか?」
『いらないっしょ。クマちゃんの方が強いし』
「了解!」
熊が最後に残ったアカオニを鋭い爪で引き裂いて、0と1の数字に分解するのをコールが見送ることが、この戦いの締めとなった。
『あっれー? マップによるとこん先がボス部屋なんだけどなあ。なんか気づくことなあい?』
「そう、言われましても……」
鬼たちを蹴散らしつつ進んだコールたちの道は、見渡す限りの血の池地獄に阻まれる。
『えー? しっかりしてよお。こっちは、キモい美容系広告に耐えて攻略見てんだからさあ。視覚に対する暴力よコレ』
まとめwikiは無料サーバーに置かれているのがほとんどで、値段と引き換えに広告バナーに結構な面積を占領されて視認性を落としてるのが常だ。
『鼻のブツブツのアップとかキッツ……スクショ送ろうかあ? コールちゃん』
「コラ。コールくんをあまりいじめないの」
『へいへい』
ホロウの軽口を、リーダーらしくエコーが戒めた。
ウザ絡みから解放されて安心できたが、事態はまったく進展していない。
「おい! 来てみろよ! この血の池、ダメージゾーンじゃねえぞ」
と、彼らが不毛な会話劇を繰り広げているうちに先行したヴァナルガンドが赤い水に濡れながら吠え立てる。
その言葉に従いながら、コールは恐る恐る足を血の池に踏み入れる。
ローカットブーツに染み込んでくる生温かい血の不快な感触に背中がおぞけ立つ。
が、
「あ、本当。そういや血って別に毒でも何でもないわよね」
へっぴり腰のコールとは対照的に、じゃぶじゃぶと赤い水面をエコーが割っていく。
「衛生面の問題はあるがな。まあ、VRで病気の概念とか持ち出さんだろ」
真紅に色付いた液面のせいで、深さが視覚的にわからなかったが足を踏み入れれば、足首がつく程度の浅さであることがわかる。
足にまとわりつく血の感触は気色悪いが、前進するのに支障は無い。
赤色に足を染めた白い狼を先導に、コールたちは血の池地獄を歩いて行くのであった。
「ここが終点、かな?」
血の池地獄の先にあったのは、巨大な人工建造物。
突き出た瓦屋根に朱色の柱、金色の金具に彩られた黒鉄色の金属扉。
この地獄に似つかわしい、毒々しい豪華さを持ったそれはどこか大陸風の雰囲気をまとっていた。
『うん。その先がボス部屋。ドア開けたら、すぐボス戦だから準備しっかりねー』
「はい!」
こめかみに指を当てながらナビに返事するコール。
とはいえ、このVRゲームは周囲に敵がいないと自動でH Pが回復する仕様。
アバターキャラクターのステータス面の整備は必要ないのだ。
となれば、
(あとはボクの覚悟だけ、か……)
重厚そうな巨大な扉の前で、コールは緊張から唾を飲む。
初めてのボス戦。
まだ第一層だから、そこまで強くはないはずと希望的観測で自分をはげますが、配信しながらのボス戦は人生初めてで、やはり気後れしてしまう。
だが、
「大丈夫。私たちがサポートする」
「ゲーマー歴じゃ俺らの方が上だ。頼りにしてくれ」
『四人がかりでフルボッコだし、ラクショーでしょ』
仲間たちの声が、背中を押してくれる。
泣きたくなりそうなほどの頼もしさに感謝しつつ、
「はい!」
と、コールは元気良く返事をして扉を押した。
その先にいるのは、この地獄道の主だ。