チャンネル登録高評価よろしくお願いします
およそ一年前。
2023年3月31日。
「はじめまして! ボクの名前はコールっていいます!」
ひとりの少年型アバターが草原を背景に、ぶきっちょな笑顔を浮かべている。
黒く艶やかなショートヘア、丸くて大きな瞳。薄く紅が差した柔らかな頬。
成長途上の小柄な体を包むのは、黒くゆったりとした外套。
膝小僧が出るハーフパンツも黒、胸元を飾る蝶ネクタイも黒なのでまるで喪服のよう。
トップスのシャツの色味だけが白く浮き上がっていた。
「好きなのは異世界転生! アニメやゲーム、原作小説も読んでます」
配信慣れしてないのか、発音はぎこちなく、噛み気味だ。
それでもなんとか、台本通りにセリフを述べていく。
「目標というか、やってみたいことは配信者専用ダンジョンの完全攻略!」
少年らしく大きな夢をぶち上げたコールの黒い瞳は、黒真珠のように艶やかに光る。
「今はまだ仲間のエコーさんとヴァナルガンドさんのふたりしかフォロワーいないけど……いつか、絶対千人集めてダンジョンに入るんだ! だから……」
コールはペコリと頭を下げて、こう言うのだ。
「チャンネル登録高評価お願いします!」
そして今。
2024年4月13日10:10。
「普段は自分のこと“俺”って呼んでるのに、キャラ作ってんなあ……」
事務所のデスクに置かれた琴浦のタブレット。
スタンドによって傾斜をつけて立てられた液晶画面には、一年前のコールの初配信動画が映し出されていた。
それをパイプ椅子に座って影ニは見る。
この動画を見ていると、コールの中の人であった兄が、もうこの世のどこにもいないなんて信じられなくなってしまう。
「影一くんが事務所入りしたのは、一年くらい前かな? ゼロからのスタートでフォロワー集めにだいぶ苦労してたよ。それでも、暗い顔なんて見せないで、いつも楽しそうにゲームしててた」
対面に座った琴浦がそう語る。彼女の目は、目の前の影ニにではなく遥か遠くの過去へと向けられてるような遠いものだ。
「やっと千人集まってダンジョン入りできるってなったって矢先に、こんな仕打ち……高一ってこたあ十五だろお?! これから楽しいこといくらでもあるってえのにっ!!」
テーブル脇に立つ尾形の低い声に涙の気配が滲む。
「そう、だね。なんでこんなことになっちゃうのかなあ……」
ガレージオフィスの低い天井、縦縞模様のチープな建材を見上げて誰にともなく琴浦は疑問を投げかける。
その問いに答えられる者は、いない。
尾形が鼻を鳴らす。
「すまん。ちょいと、引っ込むわ」
返事を待たず、早足で奥の部屋に繋がるドアを開け、バタンと大きな音をたてて閉める。
程なく、
「グッ……フッ……オオオ!!」
と、獣の唸り声のような野太い泣き声が漏れ聞こえてきた。
影ニの父親は葬式の最中に涙ぐむことはあっても、声をあげて泣いたりはしなかった。
大人の男がこんな風に悲しみを露わにするのを見たのは、影ニにとって初めてのことだった。
一方の琴浦は、尾形とは対照的に静かな様子。
目元は乾いたままで、静かにペットボトルのお茶を飲んでいる。
だが、その手には不自然に力が込められているようで、白魚のような指がべコリとペットボトルのプラスチック面を歪ませている。
多分、琴浦は影一を失った悲しみより先に、怒りを覚えてしまう性質なのだろう。こんな運命を押し付けた世界に対して。
尾形の悲しみと、琴浦の怒り。
いずれもネガティブな感情ではあるが、影一のためにここまで心を乱してくれたことに、後ろめたいながらも確かな喜びを感じてしまう。
こんな自分はやっぱり性格が悪いな、と影ニはひとり思うのであった。
「事情はわかった。御遺族が間違ってコールのアバターにログインしてしまった。そして、私たちがそれと知らず配信してしまった」
「謝罪動画が必要になるな。まあ悪気があったわけじゃねえし、実害もねえ。正直に言っとけば、炎上はせんだろう」
激しい感情の嵐を抑え、大人たちが現実的な対処プランを策定しはじめる。
それに待ったをかけたのは影ニだ。
「待ってください。ボクが、このままコールを引き継ぐってのはダメですか?」
少年の突拍子もない申し出に尾形が何か言いたげに口を開きかけるが、琴浦が人差し指を一本立てて制する。
「理由を聞いても良いかな?」
真っ直ぐにこちらを見据えてくる琴浦の目は、遺族を思いやる優しいものではなく、厳格なビジネスパーソンのそれだ。
影ニは、ペットボトルのお茶をごくりと飲み込む。
渋味を持った茶色い液体と共に、この緊張が胃に押し流されてしまうことを期待して。
すうっと息を呑み込んでから、自分の想いを込めた言葉をなんとか吐き出す。
「ボクは、兄ちゃんが遺したコールをダンジョンの頂上に連れて行きたいんです」
「それなら、正直に中の人が亡くなり、交代したって言うべきだよ。告知無しの魂転生は、トラブルの種」
さすがは、この配信者事務所を預かる女社長。
反論がいちいち的確だ。
魂転生。
それはアバターの中の人を交代することを意味する。
アバターは人気なのに、中の人のリアル事情が絡んで続けられない。
そんな場合に執り行われる。
後任の声のイメージが違うだとか、先代の設定を引き継げていないなど、ディープな古参ファンの心情をかき乱すことこの上ない危険な儀式である。
そんな危ない橋をなぜ渡るのか。
わかってもらうには、言語化するしかない。
自分の中に渦巻く、ドロドロとした情動を。
「だって、兄ちゃん……コールのこと知ってるの千人っぽっちですよ。全然認知されてない。そんな人が死んだ、なんて言っても、世間は軽くスルーするだけです」
2022年の交通事故死者数は3,541人。
一日におよそ十人死んでる計算だ。
そんな冷徹な数字を構成するただの1。
それが、影一の死だ。
「ボクと母さんと父さんだけがこんな思いするなんて嫌だ。琴浦さんや尾形さんみたいに、みんな影一のことでもっと感情を乱されておかしくなってほしい」
およそまともとは言えない狂った言説を、琴浦と尾形は口を挟むことなくただ聞いた。
影ニの話が終わってしばらく、沈黙が続く。
重苦しい空気が脳天を圧迫し、陰鬱さが影を濃くするだけ。
そんな状況を、琴浦が破る。
「結論から言うと、ダメよ。リスクが大きい割に得るものが曖昧すぎる」
「そう……ですよね」
自分でもおかしいことを言ってる自覚があった影ニは、すんなりと反論を受け入れた。
琴浦に反対されたという免罪符のおかげで、常識的な次元に戻って来れたことに安堵を覚えている自分が情けない。
「あっさり飲み込んじゃうのね。もっと粘っても良いんじゃない?」
そんな甘えを、琴浦は許さなかった。
「え……だって、さっき反対して……」
「そりゃ反対するわよ。立場的に。でも、そこで引っ込んじゃダメでしょ?」
綺麗な女の人が凄むとこんなに怖いんだ。
影ニは、琴浦の熱っぽい狂気を孕んだ瞳に射すくめられて、ピンと背筋を伸ばした姿勢のままカチコチに固まる。
「若いんだから、正論を吐く大人にもガンガン突っかかりなさいってことよ。学校の窓を割って、バイクを盗んで走り出しなさい」
「いつの時代の不良だよそりゃあ?」
脇で黙ってた尾形がすかさずツッコミに入る。
話の流れがおかしくなる時を見逃さず、的確に水を差してくるあたり伊達に歳は重ねていないらしい。
「ごめん。言いすぎた。学校のガラスは割らないで。あとバイクも」
「ええまあ……わかりました。いや、最初からそんなことしないですけどね」
尾形が話に割って入ったことで、場に満ちた緊張感がようやく緩和されるのであった。
「良いのか? “コール”を続けちまっても」
「影ニくんの話を聞いて私、思っちゃったんだよね」
尾形に問いかけられた琴浦は、自らの想いを再確認するように胸元に視線を落とす。
「影一くんのことを知ったネットの人たちが『ご冥福をお祈りします』ってSNSに投稿するの。悪気は、無いんだろうけどさ……多分きっと、それを言うほとんどが無宗教で、死後の世界なんかも信じてない人たちで……」
尾形は、自分より遥かに歳下でありつつ社長を張る女傑の言葉をただ黙して待つ。
「そんな『ご冥福をお祈りします』を見て、私、どんな気持ちになるのかな?って」
「そうか……そうだな」
尾形は何かを確かめるようにゆっくりとうなずいた。
二人より遅れた形にはなったが、尾形の胸にもようやく覚悟が芽生えはじめていた。
「バカなことをやるわよ」
「望むところだ。それに、知ってんだろ?」
尾形はヒゲモジャの強面で、ニッと歯を見せて笑って見せて、こううそぶく。
「俺はバカなんだ」
今日この日、横浜郊外のガレージにてネットに導かれて出会った三人の奇妙な共犯関係が誰にも見守られることなく成立した。
なりすましという嘘で世を欺き、最後まで突き進む。
そんな罪深い覚悟と共に。
「じゃあ琴浦さんも尾形さんも、一緒にやってくれるんですね? とっても心強いです」
「ええ。でも、期限はしっかり意識して。今年度の末。2025年3月31日がタイムリミットよ」
くしくも、その日は影ニたちの誕生日。
「どうして、その日付けなんですか?」
「上位勢のダンジョン攻略が終わるのが、だいたいそんくらいになるんじゃねえかって予想なんだ。シュリーの計算でもそうなってる」
尾形の説明に琴浦が補足を加える。
「上位の攻略スピードによっては期限が前倒しになるかもしれない。私たち以外の踏破者が出た時点でゲームオーバー」
3月31日。
もう一年切ってる。
この限られたわずかな時間でチャンネル登録者を集め、六層からなるダンジョンを踏破しなくてはならない。
これからの道のりの過酷さを時間という視点で告げた琴浦は、改めて覚悟を問う。
「それでも、やる?」
「やります。やらせてください」
もはや、影ニに迷いは無かった。
「そっ。じゃあ、次は契約書ね」
琴浦はテーブルの上のタブレットを赤いマニキュアが鮮やかな指先で操り、電子契約書の画面を表示する。
「健さん、ペン」
「へいへい」
そして、歳上の部下を平然と使役してタブレット用ペンシルを持って来させると影ニに渡す。
「内容を良く読んで、納得できたらココにサイン」
配信者事務所と影ニを繋ぐ雇用契約書。
難解な漢字と言い回しに苦労させられながらも、なんとか読み終えた影ニは液晶画面にペンをゆっくりと下ろす。
依田 影ニ。
自分の意思表示を示すその署名を持って、ここに契約がなされた。
「うん。これで、君は私たちの仲間」
保護者の署名がまだだから正式というわけではないけどね、とイタズラっぽく微笑みながら琴浦はパイプ椅子から立ち上がる。
そして、影ニに向かって右手を差し出しながら、こう言う。
「ようこそ、私たちの事務所。ばずるねっとへ」
琴浦と握手を交わした後、
(母さん以外の女の人と手を繋いだの、初めてだ)
と、童貞丸出しの想いにぽうっとなっているところで。
「おい、十二時回ってんぞ! 板金屋!!」
「いっけない! 引き取り行かなきゃ! じゃ影ニくん、親御さんへの説明シクヨロ!」
(シクヨロって……古くないか?)
日常が押し付けてくる膨大な雑務をやっつけるため、琴浦は慌てて外へと飛び出して行った。
「あの……板金屋って?」
「ああ、琴浦のヤツ、駐車に手間取ったとかで社用車を擦っちまったんだよ。俺も金払ってんだから、大事にして欲しいよなあ?」
「へえ……」
尾形から説明を受けた影ニは、琴浦が出ていった出口を、暗く沈んだ瞳で見つめるのであった。
影ニには一つ疑問があった。
影一は交通事故で死んだのに、なぜ遺書を残していたのか?
まるで、自分が死ぬのをあらかじめ予見していたかのようだ。
影一を轢いた犯人は、まだ捕まっていない。
つまりは、轢き逃げ。
とりあえず、警察には影一の遺書を提出済みだし、捜査を待てば良いだけなのだがそれでも湧いてくる疑問を抑えられない。
影一の交通事故と近いタイミングでの琴浦の車のトラブル。
無関係なはずの二つの事象が猜疑心に彩られ、その間に不穏な糸が繋がれてるような気さえしてくる。
「ああ……どうして信じられないかなあ」
仲間を丸ごと信じることができない自分の小ささが嫌になりながら、ばずるねっと事務所を出て、トボトボと家路につく。
完全に上の空といった様子だったので。
「おっとゴメンよ」
「あっ、いえ。こっちこそボーとしてました」
道行くスーツの若い男性と体がドンとぶつかってしまった。
怒られたり絡まれたりしないで、あっさり離れられたのは幸いか。
そのスーツの男は、影ニとすれ違うように、ばずるねっとのガレージオフィスに入っていく。
(あの人も社員なのかな。外回りの営業とか?)
まあ、それもまた明日、琴浦たちに聞けばわかること。
影ニはただ、何が待つかわからない未来に向かって足を進めるだけだ。