俺のことを少年呼びする黒髪ロングのお姉さんしかいらねえ
「ステータスオープン」
異世界転生でおなじみのワードを唱えると、コールの目の前に半透明の水色ウィンドウが浮かび上がる。
コールのくりくりした丸い目が、それを興味深げに凝視する。
『アバターネーム:コール
クラス:カードテイマー
レベル:12
チャンネル登録者数:1000(ランクF)』
後にはつらつらとステータスの数値と習得スキルなんかが、初心者が読む気失せ
ほどびっしりと書き込まれている。
が、それはおいおい読めば良いだろう。
良くわからん数字は無視する。
これが、ゲーム序盤を乗り切るコツだ。
とはいえ、一つだけある他のゲームでは絶対に見ることのない特異な記述。
さすがに気になってしまうのが、人情というものだ。
「あの……なんでステータス画面にチャンネル登録者数なんかが?」
こういう時は、先人の知恵を借りるに限る。
一緒にパーティを組んでいるエコーに問いかければ、
「ああ良い質問だね、少年」
回答はすぐに得られた。
桃色のロングヘアを風に揺らしながら、エコーの赤い口紅を引いた麗しい唇が開く。
「ここが、配信者専用のダンジョンだからだよ」
時は少し遡って2024年4月12日 10:00。
場所は、リアルでの神奈川県横浜市港南区⬜️⬜️⬜️⬜️。
横浜駅周辺は観光客向けの観覧車やら巨大ロボットやらが華やかに林立してるが、
郊外ともなれば寂しいもの。
閑静な住宅街と言えば聞こえが良いが、首都圏であるこの土地も人口減少による空き家の増加を免れていない。
「えっとエコーさんに指定された場所はっと……」
スマホの地図アプリを頼りに、人の気配が希薄な住宅街を彷徨う。
あまりにも閑散としてるので、なんだか不安になってきたところで。
「あった」
目当ての建物に到着した。
白塗りの壁に三角屋根の、やや大きめのサイズの……
「ガレージ……本当にこんなとこで働いてるんだ」
影ニは、やや不安げにエコーがオフィスと主張するガレージを見上げた。
アメリカの某大企業はガレージで創業されたとかいう神話に踊らされたクチだろうか?
しっかりしているように見えて、エコーは意外とミーハーなのかもしれないなと失礼すぎることを思いながらガレージのシャッターをやわな右手で叩く。
「すみませーん! コー……じゃない、影ニです! 依田影ニ!!」
チャイムがついていないので、こうするしかない。
ご近所さんに不審がられて通報でもされやしないかと不安になりながら、やや待つと。
「はーい! 今開けます! 開けます!」
春のスギ花粉の舞う、もったりと生ぬるい空気をきゅっと引き締めるような冷涼な発声が耳に届く。
そうして間もなく、ガラガラと工業的な音をたてながらシャッターが上がっていく。
シャッターとコンクリの地面の僅かな隙間からのぞく、骨ばった足の甲を乗せた、真っ赤なハイヒールがやけに目についた。
もったいぶった速度でシャッターが上がる。
やや待って、影ニに応対する女性の姿がようやくあらわれる。
最も特徴的なのは、腰まで届く長く艶やかな黒髪。
次いで、世界に挑みかかるような力強い瞳。
豊かな胸。
すらりと伸びた長い脚は日本人離れした長身を実現している。
顔も、自分と同じ人類とは思えないほどちっちゃい。骨格どうなってんのと思う。
年齢は二十代前半といったところか。
十代ほどには無思慮ではないが、三十代ほどには枯れておらず燃えるような若さと力強さを引きずっている。そんな印象だ。
「えっとエコーさんは……」
「あー、わかんないか。私って地声低いから」
目の前の美しい女性は二回咳払いすると、
「始めましてって言うのはちょっと変かな? エコーこと琴浦 観音だよ。よろしくね」
VR空間で出会った少女の幼さの残る高い声で、そう自己紹介した。
4月13日11:00。
VR空間内。
「配信者専用ダンジョンって、どういう意味?」
コールは、ステータスウィンドウをいじくりながらエコーに質問する。
PTを組んでる仲間のステータスもどうやら見ることができるらしい。
タブを切り替えると、お目当ての情報が出てきた。
『アバターネーム:エコー
クラス:アーチャー
レベル:15
チャンネル登録者数:4700(ランクF)』
「4700人! 凄いな……でもこんなに集まってるのにFなんだ」
「こらこら。いくらVRだからって、ながら聞きは良くないんじゃない?」
「あっ! すみません! すぐ閉じます!」
エコーに嗜められて、すっかり恐縮してしまったコールはペコリと深く頭を下げた。
「よろしい。バーチャル空間でも、礼儀は大切にね」
そう言ってイタズラっぽくウィンクする様子は、完全にティーンエイジャーそのもので、リアルでのお姉さんっぷりが嘘だったんじゃないかと思えてしまう。
「で、配信者ダンジョンってなんぞやって質問だけど、運営に答えてもらった方が手取り早いか」
「は? 運営?」
「ヘイ、シュリー!」
戸惑うコールをよそ目に、エコーが虚空に声を響かせる。
そうして間も無く、草原の風景にヴンッ!と思いっきり場違いなSF風電子音を鳴らしながら、水色の肌をした女性キャラクターが唐突に出現した。
サファイアの頭飾りで華美さを足した豊かな青い髪は、ゆるやかに結い上げられ、その身をゆったりと包む白いドレスはどこかオリエンタルな雰囲気。
人間、というよりも上位の魔法系クリーチャーといった様相だ。
全身を寒色系でカラーコーディネートしてるせいか、その美しさは氷の彫像のようで、温度を感じない。
見てるだけで、体感温度が下がり、コールはぶるりと震えてしまう。
ちなみに、胸は中くらいだ。
で、第一声が。
「呼びましたか? 愚かな人類」
これである。
「はいはい。愚かな人類が呼びましたよ、賢いAI様」
「何の用です? 早く言いなさい。時間は最重要リソースなのです」
不遜な言い様のシュリーに、もう慣れたといった感じでエコーは用件だけを簡潔に伝える。
「初心者用のエントランスムービーを、もう一回、このコール君に見せてあげて」
「お目が高い。かなり予算を食ったリッチなムービーなのに、作中一回しか見られないアレを所望するとは」
「ムービーにばっか力入れられたら、プレイヤーは困るんだけどね。映画じゃなくてゲームやりに来たんだし」
「それは仕方ありません。ムービーゲーは、映画業界に食い込めずゲーム業界に流れたスタッフたちの夢の跡なのです」
好き勝手な業界評を吐き捨てたシュリーは、すうっと飛んでコールに寄る。
「え? え?」
「では、超絶美麗なオープニングムービーいきます。起動のたびに飛ばせなくなっちゃえ」
シュリーがコールの頭を、両腕で抱き込む。
氷を押し付けられたような痛いほどの冷気を肌に一瞬だけ感じた後、コールの視界は暗転。
やがて、なんか有名なオーケストラを使ったっぽい壮大な音楽と共に、滅茶苦茶通信容量を食う高解像度の動画データが視覚に流し込まれた。
『ようこそ、“現世”(うつしよ)へ』
ナレーションの声は、毒気を抜いてシステマチックに語るシュリーそのものだ。
『現世は、全世界約45億人のユーザーを抱える超巨大VRメタバース空間です』
地球に無数の光の網が張り巡らされる映像。
そこからグッと寄って、アバター化された大量の人々が街を行き交う場面へと切り替わる。街中で頭を抱える男性を、シュリーが優しく背中を撫でながら心配そうに顔をのぞきこんでいる。
「お困りのことがありましたら、 スーパー量子コンピューターによって演算された、超高性能のAIシュリーがあなたをサポートします。」
ムービー中のシュリーは、優しく献身的なまさに理想的な女神といった感じ。
理想と現実のギャップがえげつない。
『チュートリアルはもちろん、各種公共サービスの申請もシュリーにお任せ下さい。現世は全世界の政府機関と連携しており、住民票の写しの申請、生活保護の申請、そして、長年にわたり人類を苦しめてきた確定申告も全てシュリーにお任せできます』
(シュリー、神か?)
年末近くに保険会社から送られてくるちっちゃい払い込み証明書をうっかり捨ててしまったり、なんだか良くわからない数字を計算して記入する手間が完全に消滅したのだ。
エクセレント。
と、まあここまではある種前提情報。
ここからが、肝心のゲーム部分の話だ。
『最高の冒険をお求めですか? でしたら、動画配信者専用ダンジョン“六道”(りくどう)に挑んでみてはいかがでしょう?』
ようやく話が本題に進み、コールは前屈みになる。
天を突き、雲の高度すら超えてそびえたつ超絶巨大な仏塔メガストラクチャーが大写しになる。
『六道は、人間がその業の結果として輪廻転生する六つの世界をモチーフにした多階層型ダンジョンです』
視界が切り替わり、仏塔の内部を映したと思しき映像に切り替わる。
『天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道からなる六道を登り、最上位階層である至高のニルヴァーナへと至ってください』
雲の上、まばゆい光が祝福する蓮の湖。
ニルヴァーナをイメージしているのだろうか。
『最高の報酬も用意しております。最初にニルヴァーナへと至ったプレイヤーには、現世の絶対的運営権が譲渡されるのです。現世というもう一つの現実に、あなたの望む形の極楽浄土を作り上げてください』
ニルヴァーナに至ったプレイヤーを示しているであろう巨大な人間の手のひらの上に、豆粒サイズの 人々が蠢く。その手のひらの大地に根ざして、ぐんぐんと多数の高層ビルが伸びていく。文字通り、世界を手に入れるということか。
『現在、現世の管理を任されているスーパー量子コンピューター、そしてその擬人化端末であるシュリーは現世に蓄積された各種ビッグデータの解析および分割仮想人格討論によって、世界を導くのは最も多くの支持者を集めた最強の個人であるべきという結論に至りました』
またもや場面は切り替わり、今度は武器防具を身につけた冒険者スタイルの多くの人々の姿。モンスターと戦う彼らの周囲には動画モードを起動したスマホがぴゅんぴゅんと飛び回り、その勇姿を全世界に配信している。
『六道では、全ステータスにチャンネル登録者数に応じた乗算バフが適用されます。あなたの冒険を全世界に配信し、多くのフォロワーを得てください』
(千人登録者がいたら単純にステータス千倍ってこと? バカのダメージ計算式か? いや、さすがにそこまで単純じゃないか)
なんだかいきなり説明がゲームゲームしてきたが、これが今のコールに必要なコア情報なので真面目に聞いておく。
『なお、各階層に設けられたチャンネル登録者数ノルマ不達成のプレイヤーは入場を禁止させていただきます。通信負荷低減のため、よろしくお願いいたします』
(報酬の話からの落差がひどい……世知辛いな)
壮大な夢の話からいきなりミニマムな現実へとスケールダウンしたところに、運営の苦労が偲ばれた。
『では、ニルヴァーナで再びお会いしましょう。なお、現世での倫理規定違反行為を働いたプレイヤーには、シュリーによる凍結処理が適用されます。ご了承ください』
プレイヤーへ釘を刺す一言を締めにして、オープニングムービーは終わりを告げた。
「どうだった、少年?」
「なんだかインドっぽい世界観なのはわかりました」
「プログラミングはインドに一日の長があるからね。開発の中枢メンバーに多かったんじゃない? 二桁の掛け算もできるっていうし、インド人すごいよね。君は7の段ちゃんと言える?」
「さすがに言えますよ。しちいちがしち、しににじゅうし、しちさんにじゅういち、しちし……ってか言いにくい。これ計算とか記憶とかじゃなくて“しち”がめっちゃ言いにくい。早口言葉の世界だ」
愚にもつかない雑談を始める人類にシュリーは露骨に嫌そうな顔をする。
「用が済んだなら帰っても?」
「ああ、忘れてた。ありがとね、シュリー」
「ふんっ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすと、シュリーの姿ぱっとかき消えた。
「なんというかAIって感じじゃないですよね、シュリー。なんというか、ラフというか……」
「SNSの投稿ビッグデータを学習したらああなったみたい。みんなネットだと口が悪くなるからね」
「あー」
この会話もシュリーが監視しているのだろうかと、ぼんやり考えながらコールは生返事を返すのであった。