モルガナイトが好き
石と誰かの物語です。
年金で暮らすというのは結構大変なこと。今までは給料で友だちと飲みに行ったり、好きな通販で買ったりしていたことができない。今までの収入からほぼ三割減。
それでも専業主婦の友だちから言わせたら羨ましいことだと。自由に使える金があるということ。その金とは退職金。それは三十年も働いたから当然だ。
本当はもっともらえると計算していたが、昔のように働いていけば給料は上がり続けるということはなく、五十を過ぎる頃から下降線となった。両親は二人でボケる前にケアハウスで食事も出してもらう生活がいいと入居した。幸い公務員生活だった父の年金は、私の年金と比べるとはるかに多いため、ケアマネージャーは希望通りの施設を探してくれた。
家も主がいなくなると劣化が進み、寂しいことだが売ることにすると父から聞いた。何よりも空き家とわかると不審者が入りやすい。庭には陶器のテーブルとイスが置いていたが、そこに弁当の食べた形跡が二度三度。昼休みに庭で寛ぐ見知らぬ人。車庫には煙草の吸った跡。火事でも出したら大変だと不動産屋に頼むことにした。
実家はバイパスに面しているし、築山のある家なんて結構高値で売れると昔は話していた。しかし、今は高台でない実家は浸水地域だからと評価が低い。
両親が若い頃は津波や液状化という心配は全くしなかった。
兄は九州の大学を卒業するとすぐに同級生と結婚しそのまま永住。妹は昔からモテる子で短大卒業し、保険会社に入るとこれまたすぐに見初められて結婚し専業主婦となった。兄も妹も子宝に恵まれて、今は学資に青息吐息。私は見初められることもなく、素晴らしい恋愛もなく、ひっかかった男には妻がいて、妻と取り合うほどの男でもなくてすぐに別れた。
独身で困ることは今のところない。もちろん子どもがほしかったり寂しかったりはあるが、買い物を止められることもなく学資に四苦八苦することもない。テレビ通販やカタログでほしいものは手に入れて、痩せるはずもないサプリメントを買っても叱る人はいない。
十年前に自分のマンションを手に入れた。中古の2LDKで私には十分だった。必要なのはパソコンと、通販を買うためのテレビ。キーボードに触れる指に光るモルガナイトのリング。先日妹に見せたら欲しがる欲しがる。
「ねえねえ、私はもう結婚リングしかないのよ。あとは安いのばっかり。子どもの学校にお金かかって。こういう本物がほしいの。お姉さんはいつでも買えるんだからちょうだい」
「だって、高かったのよ。私だってそう買えないわよ」
「いいじゃない、サイズはおんなじだし。これ私の方が似合う」
「失礼ね。でも、子どももいないし、いずれはあなたのものよ」
「やだあ、八十ぐらいにもらってもつまんない」
この子って、五十にもなって子どもみたいな言い方をするんだから。
でも、届いて一週間のリングをやりたくはない。仕方ないから去年買ったシトリンのリングを妹に渡した。
「これもいいわね。でも、いつかそのリングもちょうだいね」
「はいはい。いずれね」
妹が帰ると早速テレビ通販を見る。
出た、モルガナイトのペンダント。
ツタの葉がモチーフとなり、しずくの形のモルガナイトが葉に揺れている。
「素敵」
一応、番号を書きとめる。すぐに電話してはダメよ。今月はモルガナイトのリング買ったんだから。
テレビに後ろ髪を引かれながらもパソコンを開く。
株が上がってる。売ろう。今ならペンダントが買える。
この決断力は速いの。
あの男と別れるには三年もかかったけど、買う決断は速い私。即株を売却。
「おお、ペンダント買ってもまだ余る。すごいじゃん。こういうこともあるのね」
喜んだのもつかの間。株はさらに上がりペンダントが三つ買えそうになった。
「そうよ、そうなの。私っていつもそうだわ。運がない」
ピンクのモルガナイトは心の癒しになるとか。
だから欲しいのね。
ふと、テレビに目を向けるとまたモルガナイト。
「先ほどのペンダントに合うブレスレット。いかがでしょうか」
MCが細い手に載せる。画面に吸い寄せられる。
素敵よ。
でも、ペンダントにブレスレットの二つは無理。だが、MCは続ける。
「ほら、先日出たモルガナイトの指輪にも合わせてみましょう」
出た。私と同じリング。
確かに合うわ。そうよね、デザイナーが同じ人だって。
すると、電話が鳴った。
「お父さんが転んで骨折したって」
妹の慌てる声。
「どこを骨折したの?」
「足の付け根」
これは大変、通販どころではない。病院へ向かう。母も一緒に行くと言ったそうだが、完全介護だからと病院が断ったようだ。
白いベッドに寝る父。
「悪いな、ベッドにつまづいて転んだら骨折だ」
自嘲気味に話す父。
「私は暇だから気にしないで。それより痛かったでしょう」
「動かせば痛いが、寝てれば何ともないさ」
「完全介護だっていうから、お父さんは心配しないで」
「そうか、母さんじゃトイレに私を連れていくこともできないさ。力がないから。歳をとるのは嫌だなあ」
「そう言わずに命の洗濯よ。ゆっくり休んで」
「休みっぱなしだよ、おれは」
「私もよ」
「お前も定年か」
「そう」
「一人で優雅に暮らしてるか?」
「うん、まあね」
父は昔から言葉は少なく娘に優しい。
「そこの引き出しをあけてごらん」
あけると、封筒が入っている。
「いつか死ぬと思うから、この前遺言書を書いた。母さんと一応相談したよ。金はあんまりないが、あの家が売れたらそれとあわせて三人で分けなさい。それと、形見に残すような財宝もない。母さんの着物で好きなものがあればどうぞと言ってたぞ」
「私の予想通りね。豪華な別荘もないわね。大丈夫よ、わかってるから」
「それと、これだ」
「なあに」
小さな箱。中には赤サンゴのリング。
「母さんが渡してくれって。母さんの厄年に買ったものだよ。赤いものが厄除けになるってね。随分昔だがいいものはこれしかないってさ。妹にはこの前に学資のカンパをしたから、これはお前にって」
そうか、そんなこと夫婦で話してるのね。妹はちゃっかりしてるから何も聞いてないけど。
意外と元気な父に安心したが、赤サンゴのリングは嬉しかった。
明日は母さんに会いに行こう。
その前にモルガナイトのブレスレット買おう。しばらくは父の看護にいくから自分へのご褒美。
電話しなくちゃ。
「