第九話「頼れる配下に気付かされる魔王」
「あぁ…美味い…!」
「肉ってのはこんなに美味かったのか!」
魔王を名乗る男が持って来た血塗れ狼と言う名の魔物の肉。魔族たちは笑顔を浮かべ焼いたそれを貪っている。
(肉とは…斯様に弾力があり柔らかく…そしてここまで腹に響くものだったのか…!)
それはカールも同じだった。
ここにいる魔族たちは肉という物を食したことがなかった。小作人であった自分たちの地主である人族が牛や鹿などの肉を食べているのを目撃したことはあるものの、そんな贅沢は自分たち魔族に許されたものでは無かった。
その村の魔族の食事と言えば、黒く固いパンと水に少しの野菜を煮たスープと呼ぶのもお粗末なもののみ。
そんな生活を考えれば、自分の周りの魔族が涙を流しながら血塗れ狼の肉を食っているのも頷けるというものだ。
「やはり、魔王様とは偉大な方だ!俺たちにこんな美味いモンを食わせてくれるんだから!」
「確かに!」
「ああ、先程まであの方が魔王様では無いと疑っていた自分が恥ずかしいよ…!」
人生で初めて食べる肉の味に感動した魔族たちが一斉に魔王を名乗る男―ヴァルターに対する賛辞を口にし始める。
それだけではない。先ほどまでカールの言葉に賛同していた者ですら、ヴァルターを魔王だと認め始めたのだ。
だがそれも無理はない、とカールは考える。
ヴァルターの下につき、彼が興したという国の民となればもしかして定期的にこんな豪華な食事にありつけるのかもしれない。そんな妄想が膨らめば、彼の民になることは決して悪いことでは無いだろう。
「ふふん…。どう?カールさん。そろそろヴァルター様を魔王様と認める気になった?」
「シーズ……」
肉を頬ぶりながら自慢げな表情を見せるシーズ。
まだ幼いとはいえ、この魔族たちの纏め役となった彼女に相応しくない浮き足の立ちようだ。
自分は、託されたのだ。かつての自分たちの纏め役であり彼女の父親に。自分が亡き後、娘を頼むと。
だとすれば、自分がするべきことは疑う事だ。
シーズがヴァルターを魔王と信じるなら、自分は慎重に疑う。それが決して自分たち、ここに集まった魔族たちの益になるのかと。
ヴァルターに従うか、否か。その決断で自分たちの行く末は大きく決まるだろう。
「…シーズ。私はまだ、彼について行くのは反対だよ」
「どうして!?魔王様は私たちのために御身自らこの血塗れ狼とかいう魔物たちを狩ってくれたのよ?私たちの食料がつき、飢えていると知ってね」
「だが、それが罠とは限らない。彼は何らかの理由で私たちの命を狙い、どこかに誘いこみ一網打尽にしようとしているのやも」
「…そんなわけないじゃない。そもそも、あの方が私たちを全滅させようとするならそんな面倒なことをする必要は無い。私は見たもの。あの方たちの力を」
「そんなに強かったのか…?」
「ええ。あの騎士たちがまるで赤子のように殺されていたわ。信じられないかもしれないけど」
シリース神聖国の騎士団と言えば、大陸で最も精強な軍と謳われる程の実力者だ。そんな者たちがあっさりと殺されるなど、カールにはとても想像がつかなかった。
「……だとすれば、更に不安だね私は。力を持つ者はそれだけで恐怖だし、それに魔王様にあんな二人の従者がいるなんて聞いたことも無い」
カールはちらりとヴァルターの側に控える二人の魔族を見やる。
彼女たちはそれぞれ魔族以外の種族の特徴も持ち合わせる美女だが、二人ともがヴァルターに絶対の忠誠を見せており、今でも自分たちを油断なく警戒している。もし誰かがヴァルターに襲い掛かろうものなら即座に殺されるだろう。
しかし、魔族に伝わる魔王の伝説に、彼女たちのような従者の描写は無い。カールがヴァルターを魔王だと信じられない要因の一つだ。
「…それは、そうだけど。きっと復活されてから従えたのよ」
シーズとカールの言葉は、腹が膨れた後も平行線だ。このままだと、二人の意見が交わることは無く、最悪この魔族の集団が分裂してしまうかもしれない。
(それはマズイ!そうなれば私はアイツの最期の願いすら叶えてやれない。しかし、彼女の言う通りあの方について行くのも疑問が残る…!)
カールの脳内の処理能力が限界を迎えようとしたその時。
「みな、腹は膨れたかな?」
カールを最も悩ませる者の、優しい声が響いた。
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時は数分前に遡る。
魔族たちが涙ながらに血塗れ狼の肉に食らいついている光景を、徹は焦燥感とともに見つめていた。
(あ~まずいな…。さくっとここにいる魔族たちを『グリントリンゲン』の民にできると思ってたのに…!)
焦りの原因は、魔族たちの対立だった。
徹がこの世界に来て初めて会った魔族、シーズ。彼女は徹が魔王と名乗るや否や、すぐに徹の興した『グリントリンゲン』の民になることを誓ってくれた。
それならば、他の魔族もきっと『グリントリンゲン』の民になることを了承してくれるだろう―。
しかし、その甘い考えはすぐに捨て去られることになる。
徹に付いて行き『グリントリンゲン』の民となろうとするシーズ。
徹を彼らの信じる『魔王』と信じられず簡単に付いて行くのは出来ないカール。
今でこそ両者ともに無言になって夢中で肉に貪りついているが、満腹になれば先ほどの言い争いを再開するだろう。
それに、問題は彼らだけではない。
他の魔族もそれぞれシーズ派とカール派に分かれ意見が対立している。
このままでは、最悪彼らは仲違いし分裂してしまうだろう。
それは徹の望むところではない。
徹は彼らを自分の文明の民にするためにここに来たので会って、争わせるためにここに来た訳では無いのだ。
「はぁ…」
「大丈夫か?ヴァルター様」
思わず溜め息をこぼす徹の下に、ヴィルヘルミーネが心配そうな顔で近づく。
隣には同じような顔をしたクラウディアも立っていた。
「ん…ああ、大丈夫だとも」
「…ヴァルター様が命じれば、力尽くでもあいつらを連れて行くぜ?」
「無論、私も助力しましょう」
徹の痩せ我慢を早々に見破ったヴィルヘルミーネは鋭い目付きで魔族たちを睨み、その横ではクラウディアが首を縦に振っていた。
(ヴィルヘルミーネたちの好意…というか忠誠心は嬉しいんだが、ちょっといきすぎなきらいがあるなぁ…)
徹の助けになろうとしてくれるのは嬉しいが、もしかすると『グリントリンゲン』の民になってくれるかもしれない者たちなのだ。もう少し優しい目で見てあげて欲しい。
「…いや、それには及ばないさ。結局、我に付いてくるかどうかを選ぶのは彼らだ。彼らの答えがどんなものでも、我は尊重しよう」
先ほどまでの焦りが嘘のような答えだが、しかしそれも徹の本心だった。
確かに、徹は魔族たちに『グリントリンゲン』の民になって欲しい。
しかし、結局の所それは徹のエゴだ。自分の文明―『グリントリンゲン』を繁栄させるための生産力、労働力欲しさに魔族が欲しいに過ぎない。
そんなエゴのために、五十を越える人間を無理矢理連れて行くのは魔王として、人間としてよろしくない。
それに、『グリントリンゲン』の民になってくれると言っているシーズも、徹のことを彼女たちの信じる『魔王様』だと思っているからだ。
無論、徹としては彼女たちを騙しているつもりは一切ないが、傍目からみれば徹は甘い言葉で少女を誑かす誘拐犯のようなものだろう。
このまま首尾よく魔族たちが徹に付いてくることになっても、きっと彼の心のどこかには罪悪感があり続ける。
「は~しっかし、もしこいつらがヴァルター様に付いてこないとなると、いっそ哀れだな」
「ああ、本当に。我が主の慈悲をむざむざ断るなど…馬鹿げているとしか言えん」
ヴィルヘルミーネとクラウディアは憐憫のこもった目で魔族たちを見つめる。その表情から、今の言葉は本心からのものだと分かった。
「お前たち…そこまで『グリントリンゲン』が好きだったのか?」
「ああ、当たり前だろ?」
「ええ。『グリントリンゲン』以外の文明、国で生きるなど…考えたくもないですね」
「……まぁ、お前ら『グリントリンゲン』のユニットだもんな」
冷静に考えれば当たり前のことだ。ヴィルヘルミーネとクラウディア。両者ともに『ミレナリズム』によって『グリントリンゲン』のユニットであるべしと設定されたユニット。
それならば彼女たちが他の文明を羨む道理などない。
「は?いやいや、違うぜ」
「ん?」
「オレは、貴方の…トオル様の『グリントリンゲン』だから、好きなんだ」
「私もです、我が主。確かに私たちは『グリントリンゲン』に仕えるようにつくられたモノ…。しかし、だからといって『グリントリンゲン』であれば全てが好ましいという訳ではないのです」
その言葉は、徹を瞠目させるのには充分過ぎるものだった。
彼女たちは『ミレナリズム』に存在する文明の一つ、『魔王文明グリントリンゲン』が好きなのではない。
一ノ瀬徹という一人のプレイヤーが運営する『魔王文明グリントリンゲン』が好きなのだ。
「なん、で…?別に俺のプレイってそう変わってる訳じゃないだろ…?」
徹は魔王口調を忘れ、そう問いかける。
徹の『ミレナリズム』でのプレイ方針はごく普通のものだと自分では思っている。
文明を興し、科学を研究し、施設を建設し、時には戦争をし他文明を自分の勢力下におく。
徹最愛のユニットヴィルヘルミーネを最大限に生かすため戦争が多いプレイではあるものの、徹のプレイングは然程他のプレイヤーと変わったところはないように思える。
しかし、徹の配下たちは揃って首を横に振る。
「ヴァルター様はオレを思う存分暴れさせてくれるし」
「普通であれば、終盤になると用済みになる私のような斥候でも、最後まで愛用してくれています」
二人は感謝の表情でそう言うが、それは徹にとって当たり前のことだ。
ヴィルヘルミーネは徹最愛のユニット。いわば彼女のために『グリントリンゲン』をプレイしている。そんな彼女のために戦争相手を作ることは全く面倒ではない。
クラウディアは最序盤から徹を助けてくれる優秀な斥候ユニットだ。中には終盤になると斥候ユニットを解体させるプレイヤーもいるらしいが、徹はそんな恩を返すためにも最後まで使う。
たかがゲーム。そう言われても仕方が無いが、徹はゲームのキャラにも情が湧く性分だ。
それであれば、戦闘狂と設定されたヴィルヘルミーネにはなるべく戦闘をさせてあげたいし、斥候ユニットとして設定されたクラウディアには最後までその責務をはたさせてあげたい。
だから、それは徹のエゴだ。やりたくてやっているだけ。
しかし、配下の二人はそれでも感謝を続ける。
「だからオレはそんなトオル様に感謝しているし、これからも仕えたいと思う」
「それに、主は民たちのことも大事に考えておられます」
「ああ!民たち全員が将来を不安に思わず、今の幸せを噛み締め笑顔でいられる。そんな『グリントリンゲン』…いや、文明、他には無いぜ!」
「いや、それは当たり前のこと……」
民たちの幸福度が下がれば、都市の生産度は落ちてしまうし、最悪反乱が起きる。
それに、結局の所それも徹のエゴにいきつく。
そう。
―王であるからには、民を幸福にしたい。
そんな我儘に。
「ははは!だからオレはトオル様が好きなんだ!」
「動機はどうあれ、民を幸福にさせる。果たしてソレを第一に優先させることのできる君主がどれだけいましょうか。我が主。私はそんな慈悲深い貴方を尊敬しております」
「――――」
そうだ。
今も、そのエゴの続きではないか。
この世界に自分の文明を築き上げ、魔王としてそれを繁栄させる。
自分がシーズたちの信じる『魔王様』であるかなんて関係ない。
もとより、自分は彼たちを―――
「あ、あれ?トオル様?」
「いきなり黙り込んでしまっていかが―!も、もしかして私たち、何か失礼を!?」
「…ヴィルヘルミーネ、クラウディア、ありがとう」
「え?」
「は、はい…?」
驚いた表情をする配下二人を尻目に、徹は一歩前に歩き出す。
何を言うべきか、いや、どうするべきか。
それが今ようやくわかったのだ。
(全く…ヴィルヘルミーネもクラウディアも、ゲームの中だけじゃなくて現実世界でも頼りになるな……)
「みな、腹は膨れたかな?」