第八話「衝突」
徹たち一行は、列を作って森の中を歩いていた。
先頭は唯一野営地の場所を把握しているクラウディア。その後ろに徹、シーズが横並びで歩き、殿は十匹以上の血塗れ狼を抱えるヴィルヘルミーネが勤める。
シーズは精神的にも肉体的にも傷つけられており無理は出来ない状況なので、列の進みはゆっくりだ。
森の中をまだあの騎士たちがいないとも限らないので、口数は少なく、ゆっくりと歩き続ける。
そして三十分は歩いたかと思ったその時、やがてそこに辿り着いた。
「みんな!」
「シ、シーズ!?」
「無事だったのか!」
森の中で少し開けた場所。そこには痩せこけ顔色を悪くした魔族たちが不安を払拭するように肌を寄せ合い集まっていた。
彼らはその少ない力を振り絞り、シーズの生存に歓喜し涙を流す。
彼女の話通りであれば、シーズは一時間近く野営地に帰っていないことになる。魔族を狙う騎士が蔓延るこの森でその長時間戻らなかったとなると、生存は絶望視されていただろう。そう考えれば彼たちの涙も理解できようというものだ。
「ごめんなさい、心配をかけてしまって…」
「そんなことどうだっていいさ!お前が無事で本当によかった…!」
「でも、何があったんだ?」
「騎士に襲われたの。でも、この方が救ってくれたのよ」
その言葉に、魔族たちの視線が徹に集まる。
魔族たちはとても驚いた表情をしていた。
しかし、それも無理は無いだろうと徹は思う。
魔族たちは一様にやせこけみすぼらしい恰好をしていた。一目で貧しい生活を強いられてきたことが分かるほどだった。
だが、徹は違う。
徹―ヴァルター・クルズ・オイゲンは180cm近い身長を持ち、この場で最も高価だと分かる漆黒のローブに身を包んでいる。それだけでなく、目の前にいる魔族たちよりも一際大きいツノに翼も持つ。それらは、徹と魔族たちは同じ種族であるが全く別次元の存在だということを嫌でも教えてくれていた。
だが、シーズが言うには、この魔族は彼女の命の恩人らしい。
よって、今魔族たちが徹を見つめる視線に混じるのは感謝と恐怖、畏怖であった。
しかし―
「紹介するわ!この方は魔王、ヴァルター・クルズ・オイゲン様よ!」
「――――」
シーズの爆弾発言とも言えるその言葉に、魔族たちの表情は固まってしまった。
シーズの言葉は聞こえてはいるが、その言葉の意味が理解できない、そんな表情だった。
「紹介に与った。この我こそが魔王、ヴァルター・クルズ・オイゲンである」
いきなり自分に出番が振られたことに少し驚く徹だったが、第一印象が肝心という事でしっかりと脳内でシミュレーションしていた通りの自己紹介を行う。
シーズに加え徹自らも自分の正体を明かしたからか、魔族たちはようやく目の前の魔族が何者か把握したようだった。
「――え」
しかし、魔族たちが見せた行動は徹の予想を大きく裏切るものだった。
シーズの帰還に喜びの表情を見せていた彼らのほとんどは顔を真顔にして地に伏せ始めたのだ。
「ま、魔王様…!」
「我々をお救いになるために復活されたのだ!」
「ああ…!この日をどれだけ待ち続けたことか…!」
ある者は地に伏せ、ある者はその人生で見せたことのない笑顔で呟き、ある者は滝のように涙を流す。
まるで、目の前に神が現れた敬虔な信奉者のようだった。
(え、えーーーー!魔王って存在が魔族に伝説みたいに広がっているってのは聞いてたけど、こ、これほどのものだったのか!?)
無論、そんな彼らの視線の先にいる徹は困惑を隠せない。
だが、僅かに残った徹の冷静な思考がそれも無理からぬことかと納得していた。
魔族たちは見てわかる通り貧しい生活を強いられてきた。それに耐えきれず村から逃げ出し、挙句の果てにこの昏い森で全滅しようとしていたのだ。
そんな状況下で伝説に謳われる魔王が現れたのなら、この狂ったような彼らの感情も推して図るべしというものだ。
「みんな、魔王様は私たちが魔王様の興された国の民になることを期待されているわ!」
「もちろんだ!」
「この身全て捧げます、魔王様!」
「やっと、自分たちの国で暮らせるんだ!」
「お、おお……」
シーズの言葉に全力で乗っかる魔族たち。
本来嬉しいはずのその言葉だが、徹の浮かべる表情は微妙なものだった。
(…俺、シーズたちが言う『魔王』とは別の存在だからなぁ…)
かつてこの地を統べ、封印されたと言う魔族たちの希望の星、『魔王』。
しかし、自らを魔王と名乗る徹には勿論その『魔王』としての記憶などあるはずもない。
ヴァルター・クルズ・オイゲンという人物は、あくまで『ミレナリズム』というゲームに存在する魔王であって、この世界にかつて君臨していた『魔王』とは違うのだ。
つまり、魔族たちが信奉する『魔王』と、ヴァルターという皮を被り魔王として行動する徹は全く別の存在。
これでは、自分は魔族たちの信じる『魔王』を僭称し、彼らを騙して自分の市民にしようとする悪人だ。
(ちょっと、このままだと後味が悪いと言うかなんというか……)
「少し、お待ち頂きたい」
「?」
果たしてこのまま魔族たちを『グリントリンゲン』に連れて行っていいものか。そう思案する徹の耳に、低い男性の声が届いた。
声の持ち主の方に視線を向けると、そこにいたのは妙齢の魔族の男性だった。くたびれたような表情に眼鏡を付けた彼は、一見頼りなさそうな雰囲気を纏っているように見えるが、畏れの混じった視線で徹を見つめる他の魔族とは違い、真正面から強い視線でもって徹を見つめている。
「…カールさん」
「あん?てめぇ、ヴァルター様の決定になんか異があるのか?」
「……少し、聞きたいことがあるのです」
血塗れ狼を抱えつつ凄むヴィルヘルミーネの視線に少し怯みながらも、シーズにカールと呼ばれた男性は徹の方へ歩み寄る。
彼はシーズ程謙ることはないものの、丁寧な仕草で礼をした。
「オイゲン殿。私はカールと申します」
「丁寧な自己紹介、感謝しよう。それで、聞きたいこととは?」
「…貴方が本当に私たちに伝わるあの魔王様なのか、と」
「!」
カールの言葉に、魔族たちは一斉にざわつく。
そんなわけない、この方こそが魔王様だ。そういった言葉が多くを占めているが、中にはカールの言葉に頷く者もいる。
「カールさん!馬鹿なことを言わないで!この方こそ、私たちが仰ぐべき君、魔王様に他ならないわ!」
しかし、カールの言葉に強く反発する者もいた。シーズだ。
「…シーズ。私は君の父親に請われたのだよ。娘を頼むとね」
「そ、それは今関係ないでしょう!?」
「あるさ。君は今、間違いを犯しているかもしれないのだから」
「間違い…ですって?」
「ああ」
カールは徹に背を向けて、魔族たちの方へ振り向く。どうなっているんだと、困惑の表情を浮かべる魔族たちへ。
「確かに、このお方は僕らたちとは違う高貴な装いをしているし、確かに君を騎士たちから救ってくれたのだろう。だからといって、彼を魔王様だと断定するのは早計だ。…当事者の前で言う事ではないかもしれないが」
そう言って、カールは申し訳なさそうな表情を浮かべちらりと徹へ振り返る。
そんな彼の態度に、徹は罪悪感を覚える。何故なら、カールの言葉が正しいことを他ならぬ徹が理解しており、彼のその表情は本来不必要なものだからだ。
しかし、ここで自分が魔王ではないと言えば、彼らを『グリントリンゲン』の市民にする可能性は頓挫してしまうかもしれない。『グリントリンゲン』を発展させるうえで、それはマズイ。
だが、自分を彼らが信じる魔王と騙って彼らを連れて行くのは気が引ける。
そんな二つの考えに板挟みになった徹は―
「…構わないとも。君の不安はごく当たり前のこと。当人たちでじっくり話し合うがいい」
少しでも寛大な魔王に見えるような言葉を吐く。無論、この状況で悪いのは自分であるという自覚はあるが、徹にとっても魔王がここまで神格化されているのは計算外であり、こうするしかなかったと言える。
カールは少し驚いた顔を見せるが、すぐに表情を戻すと再度魔族たちの方へ振り返った。
「私は、この方の興したという国へ赴くのは反対だ。不安要素が大きすぎる」
「何を言っているの、カールさん!?この方こそ私たち魔族に伝わる救世主、魔王様よ!?」
「だから、早計だと言っているんだよ。この方が魔王様である証はあるのか?」
「私を身を挺して守ってくれたわ!」
「…私だって、君のためならそれくらいしたとも。もし君の言う通りなら、僕も魔王様ということにならないか!?」
「……!カールさん、あなた…それは不敬よ!」
「大体、君は結果を求めるのが早すぎるんだよ!この方が魔王様であるという確証もないまま雛のように付いて行くなんてあまりに性急が過ぎる!」
「この方は魔王様よ!私がそう感じたんだもの!」
「感じたって……君ねぇ!」
シーズとカールの議論に熱が入る。それを見ていた魔族たちははらはらとその行く末を見守っているものの、彼らの表情を見れば彼らの立ち位置も分かる。
四割ほどはシーズの言う通り徹を『魔王』と信じており、三割ほどはカールの言う通り訝し気な目で徹を見ており、残りの三割はどっちつかず、といった印象だ。
二人の会話が激化し、そろそろ怒鳴り合いになりそうだと思ったその時。
グゥ~~~~
と、間の抜けた音が野営地に響く。
「…何の音だ?」
「……シーズ、お前腹減ったからって…」
「ちょ、私じゃないわよ!」
一人の魔族の言葉に、シーズは顔を赤らめながらも首を横に振る。
それは徹としても意外な反応だった。確かに、彼女の方から音は聞こえたのだと思ったが…。
「…すまない、私だ」
静寂を破り、カールが居心地の悪そうな表情で手を挙げる。どうやら、音の出所は彼の腹の虫だったようだ。
「はぁ…。ヴィルヘルミーネ」
「あいよ」
徹の一声で全てを理解したヴィルヘルミーネが、どさっと重く響く音と共に抱えていた血塗れ狼を地面に落とす。
その音の出所に自然と視線が向いた魔族たちは、このタイミングで初めて彼女の抱えていた大量の血塗れ狼に気付いたようだ。血塗れ狼を初めて見るが、一目でそれが「肉」であることに気付いた魔族たちの多くは口から零れる涎を隠そうともしない。
「オ、オイゲン殿、これは…?」
「なに、君たちが腹を空かせているとシーズから聞いていたのでな。少ないが、私からの心づけ、というやつだ」
徹の言葉に、魔族たちの瞳に光が灯る。彼らにとっては久しぶりのまともな食事、いや、この世に生を受けてから最も豪華な食材を前にしては仕方のないことだ。
「空腹では議論にも結論は出まい。まずは腹ごしらえからでも遅くないと思うが、どうだ?」
その言葉に異を唱える者は、いなかった。