プロローグ 不老不死殺し
――不老不死
誰もが魅せられ追い求めたこの力は人類が誕生して初めての幻想だと言える。なぜならこの幻想は人が「死」、という最も理解する事が簡単な恐怖を感じた時に生まれるからだ。ただしこの強大な力を求め、狂った人間は空想の力を手にすること無く犠牲を払わされ、たとえ得たとしても幸せな人生など歩めない。
――例えば母親は最愛の子を殺し、子は最愛の母親に殺さなければならない。
「なんでだよ! なんで今なんだ! もう何十年何百年も経ったんだぞ! もう終わりじゃ......ない......のか」
17歳ぐらいの短い黒髪、月明かりしか光源がない暗闇では、このくらいしか分からないが、間違いなくこの少年は命の危機真っ只中だ。それに余りに追手のスピードが早く取り出せた武器も一刀だけという絶望的な状況だった。
――せめて銃だけでも取り出せれば
という思いに支配されながらも彼は前に進む。すると目の前に突然崖が現れる。いつもならここが崖に続く道だと気付けただろうが、慌てていたせいで気付けなかった。高さ10mもありそうな崖から飛び降りる勇気は到底ない。
そして振り返る。
「ふざけてるの? ――。 今まで私があなたを捕まえなかったのはただ見つけられなかったから。 旦那様を殺したあなたを許すわけ無いでしょ」
桃色の髪を伸ばした同じく17歳ぐらいの少女が今にも殺さんとする目つきで剣を突きつける。なぜか奇妙な感慨を味わいながらも玄は睨み返す。
「あなたか君としか言わなかったお前が今になって――か? 笑えるな。 殺そうとしてるのによ!」
「話を逸らすの?」
ふざけるな、と言ってやりたい。復讐心が500年も続くなど玄は思ってもいなかった。もう大丈夫だろうと油断していたのだ。
玄は気力を振り絞って立ち上がる。全てはこの少女への思いのためだ。
「ちげぇよ。 ただお前の言うとおりにはなりたくねぇんだ!」
「――ッ!」
そう言って少女へと斬りかかる。少女は咄嗟に剣を構え玄の一撃を阻止する。17歳の少女とは思えない経験から繰り出される防御に、玄は盛大に舌打ちする。
「さすがだなぁ。 2000年以上生きているだけはある! 俺の負けだよ......」
「じゃあ早く剣を捨て...... 何をやってるんだ!」
驚く少女の前には剣で自分の首の脈を掻っ切る玄の姿があった。
「こ......れが俺の......抵抗だ!」
声を振り絞って少女に叫ぶ。少女は唖然として、動けずに膝を折ってこちらを見ている。
――死ぬのか
死は怖くない。それどころかいつ終わるのか分からない呪縛が無くなってくれて嬉しいぐらいだ。だけどやっぱり玄は怖かった。実際自分は泣いているのかもしれない。ただそんな事を実感するほどの余裕も余命も無い。
ただ何のために生まれて、なんのために生きたのか。そう言うものに乏しい無駄な人生だった。「不老不死」という特権を無意味に500年間も享受し、遠い遠い片田舎で目の前の少女、母から逃げ続けた。罪を犯して償いもせず逃げたんだ。これなら死ぬために不老不死を授かったようなものだ。
玄は死にいく自分に鞭打って眼をこじ開ける。ぼやけて見えるが、その黒い瞳には少女が泣いて自分を介抱しているのが見える。
――なんで......だよ
考える時間も残されていない玄は薄れた声で言う。
「それは君の、――の母親だからだ!」
泣いてる顔も可愛いな、という場違いすぎる言葉が最後に頭に浮かんだ言葉だった。
――の人生は終わった。
少女が死体を抱いている。
死体は呼吸などしていない。
少女の目の前には血の付いた剣がある。
少女は死体を前に慟哭している。
誰が何をしたかは明らかである。
ただ誰も見ていない。
誰も知らない。
深夜の平原はあまりに静かだった。
11月5日、オーストリア帝国 セバストポリで大量の血痕を住民が発見。その量からすでに被害者は死亡していると見られた。即座に警察は事件、事故の両面で捜査を開始するが、近くに長く住み住民から尊敬され崇められている「仙人」の不興を恐れた地元警察、住民が協力を拒否。結果、これは事故として処理された。
またこの「仙人」はこの事故の前、住民に旅に出る、と語っており実際、彼の家に彼の姿は無かった。ただその家には入れ替わるように少女が住み始めた。
端的に言いこれは事故などでは無い、事件である。
少しだけ追加しました。