3 隠し部屋の扉を開ける時
「お酒……」
「酒蔵……」
ドン、と圧倒されるような部屋を見てティティリーヌとリュリュミーゼは言葉につまった。美女は懐かしげに目を細めている。
『ここは彼の部屋でしたか……』
『彼は頭の切れる有能な男だったのですが、趣味がお酒を集めることでして。彼は酒を生命の水と呼んでこよなく愛していたのです』
圧巻であった。
今までは狭い部屋ばかりだったのに、この部屋はとてつもなく広い。そこに大量の樽や瓶の、おびただしい量の酒が整然と綺羅星のごとく並べられているのだ。
『彼は神殿の調停員として地方にも他国にも赴いて尽力する人でしたから、自分で買いつけもしましたが彼を慕う多くの人々から献上されることも多々あって。本当に神官としては立派な人物だったのです』
美女が、ふふ、と笑みをこぼす。蠱惑的な唇が花が咲くようにほころんだ。
『彼の仕事は危険も多かったので、わたしも影ながら助けたりしましてね。幽霊でも下級魔法ならば使えますから。彼も何となくわたしの存在を感じてくれていましたから、ひとりで酒を飲む時はわたしの分のグラスも用意してくれて、ーーとても嬉しかったのです』
思い出を噛みしめ頬をゆるめる美女にリュリュミーゼが、
「その方もセイリス様を大切に想われていたようです」
と棚を指さす。そこには保存魔法に守られた金箔銀箔を散らしたカードが。
【名も姿も知らぬ優しい友へ 僕の一番大事なものを君に贈る。受け取ってくれ、ここにある全ての美酒を】
カードの隣には酒を収納するための魔法袋も置いてあった。
海の潮に交わった真水が再び河に戻るみたいに過去が甦る。生者と死者。交わるはずのない境界線を持つ者同士が出会って。
冬の雪見酒。
夏の夜の夜光の杯。
秋の満月に照らされた酒宴。
春うららの、ふたりだけの花野の花見酒。
老いた彼は、その人生にふさわしく天寿を全うするはずであった。
なのに。
それなのに。
穏やかな死ではなく、毒をもられて血を吐いて死んだ。
守れなかった。
ずっと守ってきたのに。最後の最後で守れなかった。
彼の死後、近寄ることのなかったこの部屋。近寄ることのできなかった部屋に、リュリュミーゼの温かい手に引かれ、自分が禁じた扉であることも忘れ、その扉を開いた。
セイリスはリュリュミーゼを見た。憑依しているティティリーヌを想った。
今度こそは守ろう。
セイリスは心密かに決意した。
逃がしてやるのではなくて、守りきるのだ。
父親の侯爵が疎んじるならば、わたしがもらってしまおう。
自分の娘として世界一愛して、幸福な娘に育てよう。
彼とは姿が見えなくても友になれたのだ。
幽霊でも父親になることができるだろう。
決心に燃えるセイリスであるが、保護してくれる親鳥をなくした雛鳥が獣や虫の餌となるのは自然の摂理である。
幽霊だろうとセイリスの庇護下に入れたことは、子どものティティリーヌとリュリュミーゼにとって幸運なことであった。
『さて、あまり長時間の憑依も問題があるやも。まだまだ隠し部屋はありますが、今日はここまでにしましょう』
朧な月光のように美女のなよやかな身体が光り、10歳のティティリーヌの姿に戻る。
「ティティリーヌ」
リュリュミーゼが安堵の息を吐く。きゅゅぅっと抱きあう双子を半透明なセイリスが愛しげに見つめた。
『リュリュミーゼ、時間停止付きの魔法袋に食糧や水は入っていませんか? あの大神官は抜け目のない男だったので、あらゆる場面を想定して逃亡用に色々準備していると思うのですが』
「はい。えと、目録みたいな紙がありました」
『あの男は几帳面で細かい性格でしたから、収納した物品をリストにして残していたのでしょう』
ティティリーヌとリュリュミーゼが真剣に紙をふたりで覗き込む。
「シチューがある!」
「パンや水も、毛布も!」
きゃあ、と額をあわせて喜びに手を取り合う。
しかし。
「でも、100年前のシチュー……」
「うん、100年前のパンと水……」
腕輪から取り出したシチューとパンを前に、ティティリーヌとリュリュミーゼは額を寄せあい悩む。
シチューは湯気が立っているし、パンは焼きたての香ばしい匂いが空腹を刺激してくる。
「た、食べられるよね?」
「お、美味しそうだよね?」
くるる、と双子のお腹がそろって鳴った。
ごくん、と唾を飲み込むのも同時だった。
ティティリーヌとリュリュミーゼはスプーンを握りしめ、
「「いただきます!」」
と今日一番の勇気をだしてシチューをパクンと口に入れた。
一方セイリスは、ティティリーヌとリュリュミーゼが食事中に棚にあった魔法袋に魔力を流して自身を登録すると、酒の棚を保存魔法をかけたまま収納していった。
量が量なので半分ほど収納してティティリーヌとリュリュミーゼのところに戻ると、双子が困り顔で待っていた。
「「セイリス様、トイレ……」」
一呼吸、躊躇してセイリスは、
『リストにトイレ壺はありませんか?』
と言うと双子は大急ぎでリストに視線を走らせた。
「「あります! あひるさんのオマルが!」」
……何故あひるさん、セイリスは少し遠い目をしたが、双子は嬉々としてあひるのオマルをかかえて棚の後方へ消えていった。
『女の子ですから、きちんとしたトイレが必要ですね。それから女の子の服も』
リストを拾って熱心に読みながらセイリスはぶつぶつ呟く。
『リストには女の子のものが無いですね。ふふふ、侯爵家にはティティリーヌとリュリュミーゼのものがあるはずですよね』
『侯爵家へ挨拶に行こうかな』
セイリスが口角をニヤリとあげる。
二重奏のように重なる可愛い足音が聞こえて、セイリスは表情を引き締めた。
美しくふわりと微笑み振り返る。
「「セイリス様」」
林檎のように頬を染めてもじもじと上目遣いをする双子。
可愛いすぎる、セイリスは右手でティティリーヌの左手でリュリュミーゼの小さな頭を撫でた。なでなで。半透明なので感触はないが気分の問題である。
『子どもなのですから、子兎のように駆けてトイレに行っても恥ずかしいことではないのですよ』
『リストに洗面具がありましたから、リュリュミーゼ、桶とタオルと歯ブラシと櫛を2つずつ出して下さい。桶にはわたしが温かい湯を魔法で満たすので、顔や手足を洗って下さいね』
「「はい、セイリス様」」
ティティリーヌとリュリュミーゼは筆頭侯爵家の令嬢なのに、専属侍女をつけられていなかったので自分の身の回りのことは自分でできた。
「温かいね」
「うん、温かい」
冬でも冷たい水で洗っていたので、温かいお湯にうきうきしてパチャパチャ足湯をしたり、温かいタオルでお互いの顔を拭きっこしたりしてはしゃぐティティリーヌとリュリュミーゼ。
セイリスは魔法で櫛を器用に動かして、黒髪と金髪を梳いて整える。
『ティティリーヌとリュリュミーゼは逃げるしか選択肢がなかったので、誤解のないように説明をしますけれども、ティティリーヌとリュリュミーゼの祝福は希有なものです』
「「え?」」
『神官たちが愚かなだけです。思慮のある者ならば理解できます、草を生やす祝福を荒地に使えば牧草地になり国土が豊かになることを、石を生み出す祝福は錬金術ともなり黄金すら出現させられることを』
『祝福はいずれも利用価値が高い。過去の者たちも権力に翻弄されました。ティティリーヌとリュリュミーゼはどうしたいですか? 侯爵家に帰りたいですか?』
「いいえ、父は私たちを愛してくれず、侯爵家では結婚という名の政略の道具でした」
「処分される危険性が無くなれば、権力の道具にされるだけです。セイリス様、お願いです。いっしょにいさせて下さい」
「「侯爵家に未練はありません。助けていただいてばかりで重荷になっているのは承知していますけど、頑張りますから。私たちは何も持っていませんけど、何もないですけど、お、お願いします!」」
『お願いなどいりませんよ。わたしが助けたかっただけなのですから。ティティリーヌとリュリュミーゼが望む限り側にいます。それに何もないことはないのですよ、全てが無くなってもティティリーヌとリュリュミーゼには、未来がその手に残っていますから』
「「ありがとうございます、セイリス様」」
『お礼もいりません、いっしょにいたいのはわたしも同じですから。さぁ、そろそろ子どもは寝る時間ですよ』
セイリスに促され、コロン、と猫だんごみたいにティティリーヌとリュリュミーゼは床の上に毛布を敷いて身を寄せあった。
「「おやすみなさい」」
セイリスと離れなくていい安心感に一気に眠気が襲ってきて、ふにゃふにゃとした声のティティリーヌとリュリュミーゼに、
『おやすみなさい、楽しい夢を』
とセイリスが、小鳥がついばむように蝶がとまるように、額に口付けを落とす。触れることはできない、それでも。床の上で眠る、かわいそうで可愛くて哀れな双子の健やかな夢路を祈るセイリスであった。
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