第四話 これを未来ではヒーローショーと呼ぶ
リュクレース王国南にあるシャルトナー王国は、国家規模や歴史こそリュクレース王国に及ばないものの、科学分野では近年は目覚ましい発展を遂げている。比較的良好な関係にあるため、王侯貴族から平民まで交流が盛んだ。
それゆえに、ド・モラクス公爵家嫡子と第三王女の婚約は諸手を挙げて喜ばれており、誰もが結婚を疑わなかった、のだが——第三王女イングリットは一方的に婚約破棄を宣言してしまった。
こうなっては、シャルトナー王国国王は怒る。当然である。宮廷の片隅、国王の趣味である植物園に呼び出されたイングリットは、顔を真っ赤にして、国王のお叱りを受けていた。
「その程度で婚約破棄? お前は何を考えている、恥知らずはお前のほうではないか」
やれやれ、とばかりに中年の国王は薔薇の世話に勤しむ。娘に顔を向けてはいない、あまりにも呆れているからだ。
「な、なぜです、父上! あの男は、大勢の前で奇妙なポーズを取って笑いを誘い、婚約者である私の体面を傷つけたのですよ!」
「道化師を気取っただけだろう? 放蕩息子にこれ以上傷など付かんし、お前がやったわけではないのだから誰もお前を責めはせんよ。まったく、下らんことで問題を起こして……ド・モラクス公爵には謝罪の手紙を書いておくから、持っていって謝ってくるのだぞ、大至急だ」
ぱちん、と薔薇を鋏で剪定しながら、国王は侍従の一人に手紙の用意を申し付けた。
そこまでされては、イングリットも逆らうわけにはいかない。シャルトナー王国では誰もがイングリットの愛らしさとピンクゴールドの髪に注目して、これほど愛らしい子にふさわしい結婚相手などいるのだろうか、と褒められてきただけに、今回のことはまったく納得できない。よりによって自分の婚約者が、舞台上で奇妙なポーズと光魔法で登場するなんて、貴族にあるまじき行為を平気でする軽挙妄動を厭わない青年だなどと信じたくない。
イングリットは拳を握りしめる。
「なぜ、私がそのようなことを……!」
そうは思っても、国王の命令に従わない道はない。仕方なく、イングリットはド・モラクス公爵領へと向かうこととなった。
数日の馬車での旅路は、ただひたすらに苦痛だった。あのレナトゥスに頭を下げることを想像するだけでも嫌なのに、現実は残酷にも、着実に馬車はド・モラクス公爵領へと近づいている。
「はあ、気が重いですわ。ド・モラクス公爵夫妻はいい人なだけに、あのレナトゥスの馬鹿さが鼻につくというか」
あれさえなければ、家格も頭脳も何もかも理想的な青年なのに、と誰もが思う嘆きに、イングリットも非常に共感する。神はレナトゥスへ余計なものを与えた、光魔法だ。あれのせいでレナトゥスはきっと自分は何でもできると思い込んでいるに違いない、そうだきっとそうだ。イングリットはついには神を呪っていた。
ド・モラクス公爵領領都バルテルヌに辿り着き、公爵邸まであとわずか、というところで、馬車が止まった。
イングリットは御者へ何事かと尋ねる。
「何をしていますの?」
「この先で人だかりができていて、馬車が進めません。申し訳ございません、すでに公爵家の敷地には入っておりますので、ここからは徒歩でお願いいたします」
「もう、仕方ありませんわね」
イングリットは従者たちへ、荷物を運び出すよう命じる。先に自分は公爵邸へ向かおう、そう思って馬車を降りたときだった。
馬車の前を遮っていたのは、まさしく、人だかりだ。その多さに、イングリットは驚きを隠せない。子供を中心として、その親たちもお祭り騒ぎを楽しむかのようにしている。彼らの視線の先を追っていくと、そこには舞台があった。大規模な歌劇でも開催可能な、大理石で作られた立派な屋外劇場だ。
普通の劇と違うのは、幼い子供たちが最前列からびっしりと並び、輝くような目を舞台上へ向けていることだ。
つまり、舞台では何やら劇をやっていて——イングリットが舞台上を目にしたとき、見覚えのある青年がキラキラした衣装を着て、古ぼけた剣を構えてポーズを決めていた。光魔法で空中からスポットライトをいくつも自分へ向けて、子供たちの目を釘付けにしている。
「待って、あれは……レナトゥス?」
そう、ド・モラクス公爵嫡子レナトゥスが、高らかに宣言する。
「闇あるところに光あり! 最強光の剣士、レナトゥス参上!」
わああ、と子供たちが競うように熱狂の歓声を上げる。どうやら、相当人気らしい。イングリットは元婚約者の有り様に、あんぐり口を開けて見ているしかない。
ところが、レナトゥスへ襲いかかるように、舞台上には黒い波濤が押し寄せた。その波の中から、いかにも悪役とばかりに黒いドレス姿の一人の少女が現れる。待って、あの少女、宙に浮いている、とイングリットは目を擦って凝視していたが、それが『闇に質量を持たせる』魔法だとは分からない。
「ふふふ……今日こそお前が闇に呑まれる日よ、レナトゥス。この闇の魔女ギネヴィアの手にかかれば、光など容易く消し去ってしまうわ」
役名は闇の魔女らしいギネヴィアは、妙に凄みがあった。完全に役に没頭している。
レナトゥスは闇の中でも自分をしっかり光らせながら、小さな観客たちに声をかけた。
「みんな! 光は闇に負けない! 応援してくれ!」
その声に応えるように、真剣に小さな観客たちは応援の声を張り上げる。
「頑張れ、レナトゥス!」
「負けるなー!」
「ピカってやってー!」
甲高い子供たちの声は、舞台の周囲にまで響き渡った。
そして、レナトゥスは古ぼけた剣を大仰に光らせる。これには大人たちも大歓声である。エンターテインメントとは、観客を楽しませることだ。これほど派手な演出と王道の物語は、世界のどこの劇場でも見られない、大衆的ではあるが観客の心を鷲掴みにするだけの勢いがあった。
「ひぃ!? 何ですの、この演出!? やりすぎでは!?」
イングリットは悲鳴が出るほど引いていたが、他の観客たちは拳を突き上げて劇に熱中している。
舞台上のレナトゥスは、剣を振り上げて、ギネヴィアへと突進する。
「はあああ! 食らえ、神剣スケイヴニング!」
実はただの古ぼけた剣ではなく、北の古代遺跡で見つかった神話級の宝剣スケイヴニングなのだが、そんなことはレナトゥスはお構いなしだ。ただデザインが好きだったから小道具にしている。
それを、ギネヴィアへ思いっきり振るった。対して、ギネヴィアは黒い波を高く持ち上げて巨大な檻を作り上げ、光を纏った剣を防ぐ。
「あ、あいつ、本気で剣振ってませんこと!?」
イングリットが見抜いたとおり、レナトゥスは一切手加減はしていない。何せ、相手はギネヴィアだ。闇魔法の強力さは折り紙付きで、レナトゥスの光魔法に比肩する。
空中で光る剣を止め、ギネヴィアは悪そうな笑みを浮かべる。
「舐めているのかしら? 撫でた程度で、この災厄の檻は破れないわ……!」
「いや、これでいい!」
「何?」
「光れ、神剣! 隙間さえあれば、光は届く!」
その言葉のとおり、レナトゥスが剣から発した光は、舞台上どころか観客席まで眩く照らし、子供たちが楽しそうな悲鳴を上げていた。歓喜の声すら聞こえる。レナトゥス優勢が確定し、楽団による勇壮な音楽まで流れる。どれほどこの劇に資金と魔法とアイディアを詰め込んだのか、とばかりだ。
巨大な檻の隙間から、ギネヴィアははっきりと光に包まれ、すぐに自分の身を闇の中へ引き下げた。後ろに移動し、捨て台詞を吐く。
「くっ、今日のところはこれで引き上げてやるわ……覚えていなさい」
いかにこれが演劇と分かっていても、ギネヴィアは闇の魔女になりきりすぎて、本物にしか見えない。少なくとも、イングリットにはそう映った。本当に闇の魔女がいるのではないか、と信じかけている。
黒い波を消して逃げようとしたギネヴィアへ、剣の光を解いたレナトゥスが叫ぶ。
「待て、魔女ギネヴィア!」
「何かしら?」
「もう争いは終わりにして、結婚しよう!」
レナトゥスの明朗な声は、観客席の最後列にいたイングリットの耳にもはっきり届いた。黄色い声がそこかしこから上がって、レナトゥスとギネヴィアは見つめ合っている。
イングリットは——我慢ならなかった。結婚? 自分を差し置いて? 確かに自分が婚約破棄を言い出したけど、追いかけてくるのが普通じゃない、大体レナトゥスが悪いんだから!
その思いは、イングリットを動かした。ドレスの裾を摘み、イングリットは観客席の階段を駆け降りていく。
舞台上へ向けて、イングリットは大声で抗議の声を上げた。
「ちょっと待ったぁ!」
舞台俳優も観客たちも、突然の乱入者へ視線を奪われ、思考が停止する。その中で、レナトゥスが真っ先にイングリットの存在に気付き、舞台上から気安く挨拶した。
「イングリット、久しぶりだな!」
「馬鹿! やっぱり馬鹿! 私と破局したからって、すぐ次の女に手を出すなんて、この甲斐性なし!」
このときイングリットは気付いていなかったが、すでにイングリットはすっかり劇中にはまっていた。レナトゥスが、本当にどこの誰かも知れないギネヴィアという闇の魔女へ結婚を申し込んだ、と思い込み、体面も何もかなぐり捨てての乱入だ。
怒り心頭のイングリットは、劇の話だ、などと思い至らない。
「イングリット……これ、舞台だぞ? そういうセリフなんだが……」
劇は中断し、レナトゥスは困惑し、誰もがイングリットを見る。
そこへ、ギネヴィアが機転を利かせて、劇に引き戻した。闇魔法を駆使し、イングリットを攫っていったのだ。
「こ、この女は預かったわ! 返してほしければ屋敷まで来なさい!」
その言葉とともに、イングリットとギネヴィアは劇場から消え去った。あとに残ったのは、まだ光っているレナトゥスと大観衆だけだ。
とりあえず、レナトゥスは叫んでおいた。
「イングリットー!」
この日の劇はバルテルヌ中で話題となり、新たなストーリー展開に皆が興奮していたことは、イングリットは知らないほうがいいだろう。
昔は娯楽が少なかったから、劇に熱中する人ばかりですよ猿渡さん
あとBGMの概念が生まれたのは割と最近なので、調べてみると面白いです