第三話 同志よ!
レナトゥスの叫びに応じるように、闇は急速に収縮していった。ギネヴィアが突如立ち入ってきたレナトゥスへ影響を与えないよう、急いで闇魔法を解除したのだろう。
別棟の中は、明かり一つなく、部屋の真ん中に毛皮の絨毯があって、毛布が何枚か置かれている。食事の痕跡も見受けられ、食事を載せてきたと思われるカートが部屋の隅にあった。大量の本と執務机から、ここが書斎だったと想像させる。
さて、当のギネヴィアは、毛皮の絨毯の上にぺたんと座り込んでいた。ウェーブのかかった黒髪に、光の加減で色が変わる虹色の瞳、だいぶ痩せてはいるが無気力ということはなく、厚めのゆったりとしたチェック柄のチュニックとスカートを着ていた。ミュジニーとよく似て、美少女と呼べるくらい顔立ちは整っている。
笑顔のレナトゥスを当惑の目で見つめるギネヴィアは、やっと声を絞り出した。
「……だ、誰?」
「俺はレナトゥス! リュクレース王国から来た、光を背負った最強剣士になる予定の人間だ!」
それはあまりにも大層な話で、普通の人間ならば呆気に取られて声も出ないだろう。しかし、間髪入れず誰何の声にはっきりと答えたレナトゥスの言葉が、自分の敵となるものではない、と分かったのか、ギネヴィアはおどおどしながらも自己紹介をする。
「わ、わたし、ギネヴィア」
「よろしくな!」
レナトゥスは右手を差し出す。ギネヴィアがゆっくり持ち上げた手を強引に握り、何度か上下に振る。小枝のように細い腕を痛めてしまわないよう、力加減はしていた。
ああそうだ、とレナトゥスは光魔法を解除しようとした。このままでは眩しいだろう、闇の中で目が慣れたギネヴィアにとっては目に悪い。
しかし、ギネヴィアの虹色の目は、レナトゥスをしっかりと捉えていた。
「どうして……あなた、そんなに光っているの?」
心底不思議そうに、ギネヴィアはそう尋ねてきた。レナトゥスは解除の手を止め、いいだろう、とばかりに再度ポーズを決めた。
「知らん! 母も光魔法の使い手だから、受け継いだんだろう! あっ、こんなこと言うと妹に怒られるな。妹はちょっと光魔法の出力が足りなくて、悩んでるらしくてだな」
レナトゥスは双子の妹のエスターにしょっちゅう世話を焼かれているが、それは妹が負い目を感じないように、という思いもあってのことだ。兄が公爵令息として期待されるほどに完璧だと気に病むだろうし、光魔法の話題は細心の注意を払って、エスターが気にしないようにと気遣っていた。それが伝わっているのかどうかはさておき、とにかくレナトゥスは妹エスターをとても可愛がっている。本人はそのつもりだった。
それを、レナトゥスは毛皮の絨毯に座り込んで、ギネヴィアへ話す。最初は緊張の面持ちだったギネヴィアも、少しすれば話に乗り気になって、興味を示すようになった。長く人と会話してこなかった分、実は人恋しいのかもしれない。属性は違えど同じ魔法の使い手であることがギネヴィアの警戒心を解いたのかもしれないし、自身の闇魔法の中を歩いてくるほどの力量を持った相手となれば、一体全体何者なのかと気になるものだろう。
レナトゥスは、自分がド・モラクス公爵家の嫡子であり、双子の妹がいてさらに妹には恋人がいて、王都でテネブラエ捕獲作戦に参加しその後仲良くなって、マルダウ公国で再会して——といった話を、ギネヴィアへ面白おかしく語る。その語り口は軽妙で、ときに大真面目で、それでいて愉快だ。それはレナトゥスがカッコいいポーズwith光魔法を世間に広めるために習得した舞台俳優の朗読術の賜物で、寂しい少女一人を話の虜にするにはわけなかった。
そして、ぽつぽつと、ギネヴィアも自身のことを語るようになった。
「わたし、怖かった。闇魔法のことを分かってくれる友達もいなくて、大人だって誰も分かってくれなくて……唯一理解者だったお祖父様が死んで、誰も守ってくれないと思ったら、怖くてたまらなくなったの。闇魔法の中で眠ったら、そんなことは忘れられて、ずっと寝てばかりだった。起きていたら、怖いから」
祖父の死は深窓の令嬢であり、狭い世界で生きてきたギネヴィアにとって、途轍もない衝撃を与えたことだろう。魔法は使い手の精神状態が極端に乱れると、暴走することがある。ギネヴィアほどの闇魔法の使い手なら、その暴走は一歩間違えれば人命にも関わっていただろう。だが、ギネヴィアは自分が閉じこもる方向へと舵を切り、闇魔法の範囲はトランヴィーユ家の屋敷の別棟だけで済んでいた。不幸中の幸いであり、眠ることで精神を安定させてきたからこそ、ギネヴィアは少し幼いながらもこうしてレナトゥスを受け入れている。
レナトゥスは、ギネヴィアを案じる言葉が、自然と口を突いて出た。
「今はどうだ? よければ、俺が守ろうか?」
すると、ギネヴィアは頬を少し上気させて、笑った。
「何、それ。告白みたい」
「え? そうか? でも俺は最強剣士になる予定の人間だからな、そのくらいできるできる」
やると言ったらやる、妹や剣術の師匠を振り回すレナトゥスの気質は、普段なら傍迷惑にも程があるが、誰かを思えばこれほど頼りになる人間もいない。
そろそろ本題、もといレナトゥスにとってはもっとも大事な——提案に入る。
「なあヴィー、提案があるんだが、聞くだけ聞いてくれ」
「な、何?」
一気に緊張したギネヴィアは、真剣なレナトゥスを見つめる。何を言われるのだろう、その疑問に対する恐怖の色も若干見える。
だが、レナトゥスはすぐにその恐怖を払拭した。
「俺と一緒に、舞台をやらないか?」
さすがにギネヴィアも、ぽかんとしている。レナトゥスは力説する。
「光魔法と闇魔法の使い手がいれば……派手な舞台ができる! 今まで炎や氷や風で試してみたんだが、いまいちでな! それで文献を漁ったら、古の戦争で光魔法と闇魔法が空でぶつかったとき、空の端から端まで閃光と衝撃が鳴り響いた、とあった。これを応用すれば、世界を驚かせる派手な演出ができる……!」
それについては対消滅や空気中の原子の励起による電荷の発生などといった科学的な説明はできるのだが、はっきりと解明されるのはこののち約二百年後のことだ。とにかく、レナトゥスは古の戦争での恐ろしい出来事を、劇の舞台の演出に利用しようと考えていた。決して価値を低く見積もっているのではなく、今のレナトゥスにとってはそれが最大の関心事だというだけだ。
あまりにも真剣に言うものだから、ギネヴィアは笑いを堪えきれなかった。
「そんなことに魔法を使うの? おかしいわ、ふふっ」
「おかしくなんかない。あと、基本的に光の剣士役は俺で、俺が悪役をぶった斬る勧善懲悪ストーリーだ」
「それ、わたしが悪役なの?」
「そこだ、そこだよ! よく聞いてくれた!」
意を得たレナトゥスはさらに上機嫌で語る。
「光の剣士である俺が、闇の魔女であるお前と戦っていくうちに恋に落ちる! そういう筋立てにすれば、観客の層が広まる。子供だけじゃなく、ロマンス劇に興味のあるその母親や姉まで観劇に来るだろう! 人気急上昇、耳目を集めに集め、世界公演も夢じゃないぞ!」
夢を語るのはタダだ。しかし、レナトゥスはその夢を実現しようとする。真面目に考え、叶うよう努力をする。その姿勢は人々の共感や賛同を得て、今ではレナトゥス主催のヒーロー舞台劇の劇団があるほどだ。ちなみに父のド・モラクス公爵は、次期公爵として領地の芸術文化の発展に寄与する行動を積極的に取っている、として容認している。
ギネヴィアもまた、心惹かれるものがあったようだが、同時にしゅんと目をうつむかせる。
「楽しそう、だけど……わたし、外に、出られるかしら」
ギネヴィアの気持ちは最優先だ、レナトゥスは無理に説得しようとはしなかった。
「無理にとは言わん、だが、出たくなったら言ってくれ。一緒にド・モラクス公爵領に行こう。うちの屋敷の庭なら広いから、いくらでも魔法を撃っていいぞ。俺はやり過ぎてしょっちゅう剣術の練習で剣を光らせても怒られないところを探して転々としているんだが」
「待って、剣術なのに、剣を光らせるの?」
「ああ! これぞ光を背負った剣士だけが使える技、目眩し剣!」
興奮して語るレナトゥスへ、ギネヴィアは一言。
「……言っていい?」
「何だ?」
「その名前は、さすがにセンスが悪いと思う」
自分が自信満々に付けた技名を一刀両断され、レナトゥスはあからさまにショックを受けていた。しかし、すぐに立ち直る。
「そのうち新しく考えるか……まあ、今のところはこれで行こう。うん」
レナトゥスはそれで納得、していたのだが——ギネヴィアは、何か思うところがあったのだろう。
ギネヴィアは、こうつぶやいた。
「闇魔法、災厄の檻」
それはおそらく、この別棟を覆っている闇のことで、ギネヴィアもまた技名を思いついてしまったのだ。それも、レナトゥスよりもずっと上級者だ。
レナトゥスはぐっとギネヴィアの手を握る。
「ヴィー……俺たちはきっと分かり合えるぞ」
「う、うん」
「師匠と呼ばせてくれ」
「それはやめてほしいわ……」
こうして、レナトゥスはギネヴィアの信を得た。
さらに、ギネヴィアが自分からド・モラクス公爵領に行きたいと言い出し、ギネヴィアの母ミュジニーはおろおろしていたが、結局はギネヴィアを救い出したレナトゥスを信じるということで許可を出すこととなった。
お付きのメイドと護衛を従えて、ギネヴィアはレナトゥスとともに初めてニュクサブルクを離れ、ド・モラクス公爵領へと向かう。
一方、そのころ。シャルトナー王国宮廷では、国王のお叱りが飛んでいた。