第一話 婚約破棄されたらテネブラエに頼みごとされたんだが?
例によって続編です。前作と前々作の感想欄で言っただろ? レナトゥスのカッコいいポーズの件をよ……!
約束を果たしに来た! 全四話くらいです!
リュクレース王国で第一の貴族と言えば、ド・モラクス公爵家の名が真っ先に挙がる。
広大な領地、国内外を結ぶ活発な経済、税は安く領民は安全な暮らしが保証され、公平公正な法が敷かれている。それは代々ド・モラクス公爵が最善の統治を求めて心血を注いできた結果であり、誰もが憧れる土地がそこにある。
だが、次代のド・モラクス公爵は——誰もがその将来を心配する青年だった。
リュクレース王国北西、マルダウ公国。
歴史ある大劇場で開かれた、諸国の貴族を集めた晩餐会で、それは起きた。
「これほど恥をかかされたのは初めてです!」
甲高い声で怒りをあらわにする純白のドレス姿の少女は、独り、広い舞台上にいる——一応は礼服を着た——青年を罵倒する。
「いくらド・モラクス公爵の嫡子だからって、いえ、だからこそその場をわきまえない下らない振る舞い! まったくもって私にふさわしくありません! 何を考えてらっしゃるの? 私に恥をかかせたいのですか!」
それらの言葉を投げかけられた青年は、舞台俳優のように大きく両腕を伸ばし、跪くギリギリの角度で地面に膝がつかないところを踏ん張り、まるでダンスの締めのポーズのような体勢だった。天井と背後から彼には色とりどりのスポットライトが幾筋も当てられ、それは彼の強力な光魔法による演出は、王侯貴族だけでなく劇場にいる演劇関係者を大いに驚かせていた。
それはそれで劇場という会場を沸かせるには十分なのだが、あろうことか彼は舞台俳優ではなく、ド・モラクス公爵家の嫡子レナトゥスだ。父譲りで顔は非常にいいのだが、左半分を後ろに流したブラウンの髪と礼服の上に羽織った舞台用マントで、売り出し中の新人俳優には見えても、とても大貴族のようには見えない。普通の貴族なら芸人ごときと一緒にするなと怒るが、レナトゥスはそんな偏見など一切ない。むしろなりたいとすら考えている。
やがてレナトゥスの背後にいた楽団による曲が終わり、劇場は静まり返る。ある人物はレナトゥスへ感嘆の拍手をしようかどうか迷い、ある人物は癇癪を起こした少女イングリット・シャルトナーを本人のためにも見なかったことにしてビュッフェの料理に集中する。何せ、レナトゥスも大貴族の嫡子だが、イングリットもシャルトナー王国の第三王女だ。上流どころか、超上流階級の子女であり、節度さえあれば好き勝手しても誰も文句を言えない。もっとも、レナトゥスはそんなことなど考えずに、主催者のマルダウ公に直接交渉して自分の出番を作ったのだが。
『光魔法での舞台上のカッコいい演出』。今、レナトゥスのマイブーム的なそれは、諸侯の集まる晩餐会ですらもお披露目会にしてしまっている。彼は十五歳、カッコいいことにこだわりたいお年頃なのだから。
諸侯が息をひそめ、固唾を飲んで見守る空気の中、レナトゥスはやおら立ち上がり、何と——照れた。
「落ち着けよイングリット。俺のカッコいいポーズでそんなに興奮するなんて、照れるだろ」
「この馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
もはやイングリットに王女の威厳も何もない。年相応の少女どころか子供っぽい語彙で精一杯罵る。
ぜえぜえと肩で息をして、イングリットは最後にこう言い残した。
「もう頭に来た! あなたとの婚約は破棄します! さようなら!」
お付きの者を置いていくかのごとく、イングリットは大股で走って、劇場から飛び出していった。
もちろん、レナトゥスにその心が理解できているわけはなく、彼は役が終わったことで舞台上から降りて、自分もビュッフェのサーモンマリネを手に賓客に混じる。すれ違う愉快な貴族たちやワインで酔っ払った貴族たちが、イングリットがいなくなったことで、レナトゥスに遠慮なく賞賛の言葉や仕草を投げかける。それに品よく手を振ったりお辞儀をして応じながら、レナトゥスは疑問をつぶやいた。
「イングリット、何で怒ってたんだろうなぁ……うーん?」
レナトゥスは、自分の行動がイングリットの怒りを誘発した、とは微塵も考えていない。なぜならカッコいいからだ。イングリットだってそれは分かるだろう、と本気で思っている。だとすれば、怒りはどこから来たのか。レナトゥスは決して馬鹿ではない、ただちょっと常人とは思考の道筋がズレているだけだ。
悩むレナトゥスがジンジャーエールを探していると、声をかけられた。
「今、よろしいですか?」
「ん? ああ」
レナトゥスは声のした背後へと振り返る。
そこには、金の長い髪を束ねた男性がいた。若い貴族、という風体だが、レナトゥスはすぐに正体を見抜く。
「あ、お前」
「ふふっ、気付かれましたか。勘のいい方だ」
「テネブラエ、こんなところにも潜り込んでたのか」
公爵家の嫡子と外国の密偵が知り合い、というのはなかなかないだろう。
テネブラエの名を持つ北国ニュクサブルクの密偵が、この晩餐会にも紛れ込んでいた。レナトゥスは王都で一度、領地で何度かテネブラエに遭遇している。最初こそ妹エスターを助けるために敵対したが、あとはなあなあで何だかんだ仲良くしている。テネブラエ側も敵対の意思などなく、次期ド・モラクス公爵と縁を作っておきたいという思惑だろうが、特に取り入ったりといった行動は取っていなかった。やったところでレナトゥスには大して意味がない、と分かっているのだろう。
髪を金に染めて若い貴族に擬態したテネブラエへ、レナトゥスは軽口を叩いてみる。
「何かまた企んでるんじゃないだろうな。まあ、俺には関係ないんだが」
「そうですね。あなたがそういう気質だと分かっていたから、声をおかけしたのですよ」
「ふーん?」
「どうです? 私の頼みを引き受けてはいただけませんか?」
うん? とレナトゥスは首を傾げる。テネブラエはすかさず話を続けた。
「大丈夫ですよ。あなたの名誉を傷つけたりはしませんし、今回のことはリュクレース王国には関係ありません」
「俺が何かできるのか?」
「ええ、むしろあなたでなければできません。リュクレース王国のみならず、大陸中の光魔法の使い手でもっとも強大な力を有するであろうあなたでなければ、ね」
テネブラエは少しばかり大袈裟に褒めたが、実際のところレナトゥスの光魔法は強力だ。母オーレリアの才能を受け継ぎ、出力だけならすでに上回っている。ただでさえ光魔法の使い手は希少で、さらにレナトゥスに比肩するほどとなれば、大陸中探してもまずいないだろう。
褒められ慣れているレナトゥスは、テネブラエの世辞を受け流しつつも話を聞く態勢に入る。
「そこまで褒められちゃ、話くらいは聞かないとな」
「そうおっしゃると思っていました。何、簡単な話です。ニュクサブルクにいる、とある令嬢と会っていただきたいのです」
レナトゥスは、テネブラエの顔を思わず見た。まさかお見合いではないだろう、しかも遠方のニュクサブルク。別にリュクレース王国と仲が悪いわけではないが、ド・モラクス公爵領からはリュクレース王国を縦断しての旅となる。さすがに領地をそれほど空けるわけには、とレナトゥスが難色を示す前に、テネブラエは、レナトゥスの興味を引く単語を出した。
「名前はギネヴィア・トランヴィーユ。北の商業都市国家ニュクサブルクを建国した三大名家の一つ、トランヴィーユ家の令嬢であり、闇魔法の使い手です」
闇魔法。
滅多に聞かない響き、光魔法の対となる属性の魔法。
レナトゥスは食いついた。
「詳しく!」
「闇魔法についてはご存じですか?」
「光魔法の反対だろう? 暗くする魔法だ」
「大まかには合っています。その魔法で作った暗闇の中に、ギネヴィア様は閉じこもっているのです。先年、心に傷を負ってから、ずっとです」
ふむ、とレナトゥスは考えた。心の機微には疎いが、魔法で作った暗闇に閉じこもるほどのこととなれば、きっと何か大変なことがあったに違いない、とは想像がつく。
何よりも、テネブラエがわざわざ頼んできたのだ。そのギネヴィアという令嬢を何とかしてくれ、ということだろうが——。
「分かった、会うだけでいいんだな?」
テネブラエは微笑み、目を細めた。
「意外ですね。有無を言わさず引きずり出そうとするかと思いましたが」
「本人が望んで閉じこもってるなら、俺がどうこう言う筋合いじゃないさ。だが、会ってくれ、と頼まれたなら、とりあえず会ってみればいい。ニュクサブルクの密偵が、俺に遠路の無駄足を踏ませて何の得があるか分からん、ってこともあるがな」
レナトゥスは通りがかった給仕を止め、待望のジンジャーエールをもらう。テネブラエにもどうか、と勧めたが、丁重に断られた。
テネブラエは、ジャケットの内ポケットから取り出した一枚のカードを、レナトゥスへ手渡す。そこにはニュクサブルクの住所と、テネブラエのサインが入っていた。
「すでに話は通してあります。このカードを見せれば、屋敷に上げてくれるでしょう。そして報酬は……北の古代遺跡で見つかった神剣でいかがでしょう?」
テネブラエはレナトゥスのカッコいいものが大好きな性分をすっかり把握している。
こうして、知人の頼みだからか報酬に釣られたのかよく分からないものの、レナトゥスはすぐさま領地に帰り、両親の許可を得てニュクサブルクへ向かった。
旅の名目は——人助けだ。