13話 もう一人、イトコがいた
夕食はスープで始まり、魚料理、肉料理と食べ終わるたびに新しい皿が運ばれてくる。
いったいいつまで食べ続けるのかと圭介は思っていたが、デザートのケーキが運ばれてきて、ようやく終わりが来たのが分かった。
「うちの食事は口に合いましたか?」
琴絵に聞かれ、圭介は思わずうなずいた。
「……はい、おいしかったです」
「それはようございました」
琴絵のふんわりとした笑顔を見ると、「別室でもう1度食べ直したかったです」とは、さすがに言えなかった。
(こんな食卓で、味わうとかそういうレベルじゃねえよ……)
その時、突然食堂の扉が大きな音を立てて開き、そこにいた全員の視線が向けられた。
最初に目についたのは赤いものだった。
ゆらゆらと揺れるように入ってきたそれが一人の少女だと気づくのに、ずいぶん時間がかかったような気がする。
どこを見ているのかわからない視線と、精気のない空虚な瞳は、少女というより『人形』に近い。
年の頃は圭介と同じくらい。
真っ赤な着物を着ていた、というより羽織っていた。
腰ひも1本でかろうじて結ばれている着物は、胸元がはだけ、肩はむき出し。
背中を覆う長い黒髪はボサボサで、長いこと切っていないように見える。
その少女のあまりに異様な姿に、圭介は言葉もなく、失礼と思う余裕もなくただ見つめてしまった。
少女は食堂の中ほどまで入ってきたかと思うと、ぎこちなくそこに集う面々を見回した。
やがて、圭介を認めると、ゆっくりと小首を傾げる。
その仕草さえ、どこかカラクリ人形のようで、圭介は鳥肌が立った。
(人間、だよな……?)
智之が慌てたように立ち上がって、少女のところへ向かった。
「妃那、どうして部屋を出てきたんだ? 和代はどうした?」
妃那と呼ばれた少女は智之の質問に答えることなく、相変わらずビー玉のような瞳で圭介を見つめている。
「なんだ、圭介くんが気になるのか? 百合子叔母さんの息子だよ。おまえのイトコだ」
妃那はやはり返事をすることなく、ゆっくりと首をまっすぐに直すと、回れ右をしてフラフラと入口に戻っていく。
同時に食堂の扉が再び開き、二十歳ほどの若いメイドが息せき切って飛び込んできた。
「妃那様、こちらにいらっしゃったのですか!? 申し訳ありません。私が少し目を離した隙に――」
「和代、妃那を部屋に連れて行ってくれ」
智之の言葉に、少女を探していたと思しきメイドが応え、彼女を抱きかかえるように食堂を出て行った。
少女の姿が見えなくなって、圭介は改めて正面を見ると、一樹が探るような目で自分を見ていた。
(なんだ? 何か言いたいことでもあるのか?)
「驚かせてしまいましたね。あれは妃那といって、智之の別れた妻との間に生まれた娘なのですよ」
琴絵の声に、圭介は振り返った。
「高校生くらい、ですよね……?」
「あなたとは同い年になりますね。けれど、かわいそうなことに、あの子は3歳の時から言葉を紡がないのですよ。心の成長もその頃から止まってしまったみたいで」
「ずっとあんな風に表情もないんですか?」
「葵がいた頃は、たまに笑顔も見せていたんですけどね……。とても仲の良い兄妹だったのよ」
「じゃあ、お兄さんが亡くなったショックで……」
3歳から成長が止まっているとしたら、仲の良かった兄が亡くなったことも理解ができないのかもしれない。
ふらりとさまようように食堂に入っていたのも、いなくなってしまった兄を探していたのか。
そう思うとなんだかやりきれなかった。
「不憫な子なのよ。どうかやさしくしてやってちょうだい」
圭介の表情が曇るのが分かったのか、琴絵は圭介を元気づけるように微笑みかけてきた。
「はい」
何ができるのかはわからなかったが、血のつながった家族の一人として、圭介がそう答えるのは自然だった。
***
翌日の朝食の後、圭介は藤原に連れられて家の中をひと通り案内してもらった。
2階は家族が一人ひとり部屋を持ち、空き部屋もかなりの数があった。
1階には食堂のほかに、応接間や和室といった客を通す部屋に加え、大浴場や執事室、使用人たちの部屋が並んでいる。
外に出れば、青々とした芝生に覆われた庭が広がっている。塀のところには生け垣が作られ、鮮やかなピンクの花が満開に咲いていた。
家屋の裏には駐車場と、古い洋館には似合わない2階建てのコンクリートの白い建物。
神泉家に代々受け継がれてきた書物や、古い調度品を保管する蔵として使われているという。
オートロックで管理されたその建物に入ると、中は図書館のように整理されていた。
まるでどこかの美術館の様だ。
古い書物には歴史的価値があるものが多く、それらを保存するため、館内は酸素と湿度が管理されていて、人が入る時だけ通常の空調に変わる。
圭介は壁に掛けられる掛け軸や絵画を見ながら唖然としてしまった。
(蔵一つにどんだけ金かけてるんだよ……てか、この掛け軸とか、実はそれ以上に価値があるのか?)
骨とう品などまったく縁のない圭介にとって、正直、価値などさっぱりわからない。
「圭介様はこれから後継者となるべく、神泉家で所有するものに関しては、すべて勉強していただくのでご心配なく」
圭介の考えを見透かしたかのように藤原に言われ、ずしんと頭に重石を乗せられた気分だった。
「その勉強って、他にはどんなことをしなくちゃいけないんですか?」
「そうですねえ……シンセン製薬の社史、経営方針を含めた経営学はもちろん、政治、経済、歴史、語学、それから一般教養として幅広い知識をつけていただきます。
それから、社交界で必須となる茶道に華道、社交ダンス、最低限の身を守っていただくために武術一般。手始めとしては、それくらいでしょうかね」
(手始めにって……)
圭介は「山ほどじゃねえか」と、思わずうめき声を漏らしそうになる。
「一樹さんも春からここに住んでいるって聞いたんですけど、そういう勉強をしているんですか?」
「ええ、もちろん。とても興味がおありで、どれも熱心に取り組んでいらっしゃいますよ」
「ええと、そんなにいろいろやることがあると、遊びに行ったりとかする時間は……?」
「ご予定がある場合は、時間の調整は可能です。すべて個人レッスンになりますので」
(とはいっても、さすがに遊んでばっかいたら、ヤバいよな)
「あの……僕、いつになったら外に出てもいいんですか? 外の人と連絡取ったりとか」
「お決めになるのは大旦那様ですので。今のところまだ許可が下りておりません」
「そうですか……」と、圭介はがっくりと頭を落とした。
次話、圭介は母親から神泉家について詳しい話を聞きます。
異様にこだわる『神泉の血』の理由とは?




