12話 どうも歓迎されていないようですが?
母親が戻るまでという約束で閉められていた圭介の部屋の鍵は、開きっぱなしになっている。
源蔵の部屋から戻る時も、誰かに付き添われるということもなかった。
つまり、母親が戻った今、圭介はこの家の中を自由に動き回れることになったのだ。
しかし、この大きな屋敷の敷地の外に出る自由はない。
それは行動範囲が広くなっただけのことで、部屋の中に軟禁されていた時と、精神的には何の変わりなかった。
ほんの束の間の源蔵との会談だったが、圭介は疲れ切って、ベッドに転がっていた。
圭介でさえこの状態なのだから、留置所で3日を過ごして帰ってきたばかりの母親は、さらに疲れていることだろう。
しかも、離婚届をいきなり突き付けられて、精神的にも参っていることは容易に想像がつく。
本当は母親に聞きたいことがたくさんあったが、それは明日にした方がよさそうだ。
ノックの音に返事をすると、藤原が部屋に入ってきた。
「圭介様、本日の夕食は食堂の方でと、大旦那様から言付かりました。神泉家の皆様に圭介様をご紹介されるそうです」
「母も一緒にですか?」
「いえ、百合子様から正式に離婚の返事をいただいていない現在、ご出席はかないません」
「それなら、僕も出席しない方がいいんじゃないですか?」
「圭介様はすでに大旦那様のお孫様として認められておりますので、ご出席いただきます」
神泉家の食堂は1階に位置し、藤原に連れられて入ったそこは、豪奢極まりない大広間だった。
(食堂っていうより、ダンスホールって感じじゃねえ?)
真っ白なテーブルクロスの敷かれた長テーブルには、レストランのように食器とグラスがきれいに並べられている。
壁の一面は鏡張りで、天井からはシャンデリアがきらきらと光を降り注いでいた。
さながら城の晩餐会のようだ。
ところが、長テーブルに着席しているのはたった3人。
用意された食器の数は5人分で、テーブルの半分以上がムダに余っている。
(ていうか、この空間そのものがムダなんじゃないか?)
圭介はその末席、老齢の女性の隣、若い男の向かいに座らされた。彼の隣には恰幅のいい中年男が座っている。
空席の上座に座るのは、源蔵なのだろう。
源蔵が来るまでの間、ここに集う3人の間に会話はない。
無表情に座っている面々を前に、圭介もまた声を出すのがためらわれて、ただ黙って座っていた。
(一応、家族なんだよな……? なんで、こんな緊張感が漂ってんだよ!?)
圭介は正直、居心地が悪かった。
しんと静まり返る中、源蔵は杖を突きながら食堂に入ってきて、残っていた上座に着席した。
「今宵、皆に集まってもらったのは、ここにいる百合子の息子、圭介を紹介するためだ。これからこの家で一緒に暮らすことになった」
4人の視線が向けられる中、圭介はとりあえずペコリと頭を下げた。
「初めまして。よろしくお願いします」
そして、源蔵は圭介の隣にいる女性が妻の琴絵、その向かいに座る四十代半ばの男性が長男の智之と、続いて紹介した。
そして、圭介の向かい側に座る青年が、智之の息子の一樹だった。色白の細面に切れ長の目が智之に似ている。
白髪を結った着物姿の琴絵は、ほっそりと小柄で、源蔵より年上に見える。
圭介に向ける瞳はやさしく、母親の目とよく似ていた。
「生きているうちに会えてうれしいですよ」
琴絵にやんわりと声をかけられ、圭介はこの家に来て、初めて血のつながった家族に会えた気がした。
(おれのバアちゃん、かあ……)
ただ、『バアちゃん』と呼ぶには上品な感じで、『おばあ様』の方がふさわしく思える。
一方、智之の方は硬い表情で、圭介を見る目が冷たく感じられた。
「お父さん、百合子はどうしたんです? 今頃になって、子育て放棄ですか? うちを出て行った娘の子供を引き取る必要はないと思いますが」
その一言で、圭介が歓迎されていないことはすぐにわかった。
「百合子が戻るかどうかはともかく、圭介は神泉の血を引くわしの孫に違いない。圭介が求めれば、親族になる権利はある」
「それは後継者になる権利もあるということですか?」
「そういうことだ」と、源蔵がうなずく。
「一樹の時にも同じことをおっしゃいましたが、圭介くんも引き取るということは、一樹では気に入らないということでしょうか」
「神泉の血を残すのにふさわしい者を選びたい、それだけだ」
「神泉家次期当主である私の意見はどうでもいいと」
「わしの目が黒いうちは、わしが当主だ。会社はおまえに任せたが、家のことはすべてわしが決める。異議は認めん」
(なんか、仲の悪そうな親子だよな……ていうか、母ちゃんもジイさんとうまくいってないんだから、家族崩壊してんのか)
なんだか、このままここに居続けることが、すでに間違いだったような気がしてきた。
そして、1度、ここを訪れてしまった今、逃げ出すこともできない。
(この家族が仲よく暮らせるようになるきっかけみたいなのはないんかな……。そうなれば、ちっとは居心地よくなるのにさあ)
圭介はそんなことをぼんやりと思った。
源蔵と智之のやり取りを黙って聞いていた一樹は、二人の話が収まったところで、圭介に人懐っこい笑顔を向けてきた。
「僕とはイトコってことだよね。よろしく、圭介くん」
「こちらこそ」
人当たりのいい笑顔を浮かべながら、一樹の目は笑っていない。
圭介を値踏みする視線の裏で、本当の感情を上手に隠しているつもりらしい。
それは圭介にしても同じだ。
初めて顔を合わせるイトコがどういう人間なのか、やはり気になる。
「一樹さんはいつからここで暮らしているんですか?」
「この春からだよ。一つ年上の異母兄が亡くなって、おじい様に呼ばれたんだ」
「それまでは?」
「高校までは母と暮らしていたよ」
「今、お母さんは? 寂しがっているんじゃないですか?」
「そんなことないよ。もともと大学に入ったら一人暮らしをするつもりだったからね。都内だからいつでも会えるし。子育てが終わって、一人で気ままに過ごしているよ」
「そうなんですか」
当たり障りのない会話の中に『後継者』の言葉が入ってこない。
葵が死んだ後にここへ呼ばれたということは、源蔵は一樹を後継者にするつもりだったのだろう。
一樹もおそらくそのつもりでいた。
圭介の出現は予定外の出来事だったはずだ。
一樹が後継者になりたいと思っているとしたら、圭介の存在はありがたくない。
そして、それを裏付けるように、智之は圭介に対して冷たい態度をとる。
次期後継者として、妹の息子より自分の息子を考えているのだろう。
どうやら、圭介を後継者の候補として考えているのは源蔵のみ。
源蔵と智之の会話に無言で耳を傾けていただけの琴絵は、意見を言う立場ではないのかもしれない。
圭介自身は神泉家の後継者に興味はないので、智之や一樹と敵対する必要はない。
しかし、ここでは源蔵の発言権が大きすぎて、3人が結託したところで、源蔵の意思を変えることは難しそうだ。
メイドたちが給仕する豪勢な夕食も、どこか冷たい空気の流れる中、ゆっくりと味わう気分にもなれない。
こんなことなら、部屋で一人で食べる方がマシだと思ってしまった。
次話もこの場面が続きます。
新キャラ登場!