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9話 『呪い』を甘く見過ぎていた

 圭介は母親が戻るまでランニングでもしていようかと、マシーンのところへ向かうと、部屋の外からイノシシが突進してくるような足音が響いてきた。


「ちょっと、圭介はどこよ!?」という母親の声も聞こえる。


 続いて、ドアノブをガチャガチャと回す音。


「なんで、鍵がかかってるのよ!? 圭介を閉じ込めておいたの!?」


「大旦那様のお言いつけですので」


 そう答える声は藤原のものだった。


「とっとと鍵を開けなさい!」


 母親の命令口調とともに鍵の開く音がし、蹴破(けやぶ)られたかのようにドアが勢いよく開いた。


 そこには3日前と同じ仕事用の黒いドレスを着た母親が立っていた。


「母ちゃん……」


 この3日、あまりよく眠れなかったのか、母親はやつれた顔をしていたが、それでも怒鳴り声を上げるだけの元気はあるらしい。


「このバカ! なんで、お父さんに助けを求めたりしたのよ!?」


 母親の無事な姿を見てホッとしたのも束の間、その鬼のような形相に圭介は思わず後ずさってしまった。

 ここまで恐ろしい顔は、今まで見たことがない。


「そ……それは、ほかに方法が思いつかなくて……」


「とにかく、話は後よ。藤原、すぐに熱いバスの用意!」


 母親は藤原を怒鳴りつけながら、部屋を出て行ってしまった。


(藤原さん、怒鳴られるようなこと何もしてないのに……)


「かしこまりました」と、返答する執事がなんだかかわいそうに思えた。




 1時間ほどして、バスローブをまとった母親が圭介のいる部屋に戻ってきた。


 圭介の目の前で母親は慣れたようにソファに座り、雪乃に頼んでおいたのか、運ばれてきたビールを一気に飲み干した。


「ぷはーっ」と気持ちよさそうに息を吐く。


「はー、やっとひと心地着いた。さすがのあたしも留置場で3日も暮らすなんて、考えてもみなかったわ。もう人生最悪の体験」


「母ちゃん、あの後、どうなったんだ? 逮捕されて」


 母親はお替りのビールを飲みながら、何があったのかを説明してくれた。




 麻薬は所持しているだけですでに犯罪。

 母親は取り調べで自分のものではないと訴えたものの、現行犯逮捕ということもあって、聞き入れてもらえなかったという。


 そのまま検察官(けんさつかん)送致(そうち)されたが、夜遅くに神泉家の顧問弁護士が警察に出向き、母親と面会。

 そこで母親は改めて無実を訴え、弁護士は証拠の提出を要求した。


 再捜査の結果、母親のバッグから見つかった麻薬入りのケースに彼女の指紋が付いていないことがわかった。

 同時に誰の指紋も検出されなかったことから、第三者がバッグに(まぎ)れ込ませた可能性が出てきた。そちらの方は現在も捜査が続いているらしい。


 経営者の霧島夏希――ママの方はというと、いまだ留置場にいるという。

 彼女はみかじめを安くするために、麻薬の隠し場所として店の2階を提供していたのだ。

 もちろん、母親はまったくその事実を知らされていなかった。


 ママが無関係だと証言してくれたおかげもあって、母親の方は嫌疑(けんぎ)不十分で不起訴処分になった、という経緯だった。




「なあ、母ちゃん。本当にあのクスリ、母ちゃんのじゃなかったんだよな?」


「あんたまで疑うの?」と、母親の眉が不機嫌そうに上がる。


「ちげえよ。いつから入ってたんだ?」


「さあ」と、母親は肩をすくめた。


「警察でも言ったけど、朝化粧した時には気づかなかったのよ。だから、家を出て店に着くまでの間だと思うけど」


「不動産屋を回って歩いた日だよな?」


「そう。だから、不動産屋の中か、外を歩いてる時のどっちかってこと。店に着いてからは、入れられる(すき)なんてなかったでしょ?」


 圭介は「確かに」とうなずいた。


 母親は店に入ってきてすぐに圭介と話を始め、その間、バッグはずっとカウンターの上に乗っていた。

 ママですら近づいていない。


「外で誰かに会ったりしなかったのか?」

「不動産屋以外は、知ってる人には会わなかったけど」


「そっか……。通りがかりに誰かに入れられたか、不動産屋の誰かが母ちゃんが目を離した隙に忍ばせたか。店から見つかったクスリと同じものだったのか?」


「そうよ。だから、警察もあたしが共犯者だって、鼻から思い込んでたのよね」


「母ちゃんは、そんなことする人間に心当たりなんてないよな……?」


「さあねえ。あたしの知らないところでヤクザ屋さんとのつながりがあったみたいだから、何かに巻き込まれたのかも」


 そう言って、母親は憂鬱(ゆううつ)そうなため息を吐いた。


(やっぱり、どう考えても貴頼の仕業だよな。あいつ、マジでクスリやヤクザ屋なんかとつながりあるのかよ)


 『呪い』のレベルが圭介の想像をはるかに超えていて、背筋がぞっと寒くなった。


(おれが甘かったのか……? すでに人が死んでるんだもんな。クスリレベルでビビッてる場合じゃねえのか?)


「――とにかく、母ちゃんが無事に戻ってこられて、本当によかった」


 圭介はとりあえず今回の件を乗り越えられたことに安堵(あんど)の息をもらした。


「それより、圭介!」と、母親の目がキッと吊り上がった。


「なんで勝手にここに来たのよ!? あたしがお父さんの世話になってうれしいと思う!? あたしが嫌な思いをするって、思わなかったの!?」


 再び恐ろしい形相で睨まれたが、今度ばかりは圭介も負けずに睨み返した。


「けど、あのまま放っておいたら、母ちゃん、起訴されて、裁判で判決が出るまで留置所暮らしだったんだぞ! もしも有罪判決が出たら、最悪刑務所暮らし。そっちの方がマシだったって言うのかよ!?」


「ここに来るよりは、ずっとマシだったかもね」


 母親の開き直ったような言い方に、圭介はカッと頭に血が上った。


「冗談でもそんなこと言うなよ! おれがどれだけ心配したのかわかってんのか?

 母ちゃんが捕まっても、おれにはどうしていいかわかんなくて……どうしたらいいかわかっても、おれにはどうすることもできなくて……。

 必死の思いでここまで来たけど、神泉のジイさんが会ってくれる保証も、手を貸してくれる保証もなかったんだぞ! せめて母ちゃんを助けたいって思ったおれの気持ちが、わかんないのかよ……!」


 圭介はそこまで言い切って、自分の目に涙が浮かぶのを感じた。


 すべては自分が桜子と付き合うことに発したことかと思うと、悲しかった。

 自分のせいで母親が捕まり、完全に縁を切ったはずの実家に世話になることになってしまった。

 この件で被害を受けたのは圭介ではなく、母親の方。

 その事実が余計に(こた)える。


 その一方で、桜子との付き合いをやめようとほんの少しも思えない自分の身勝手さが、どうしようもなくもどかしかった。


「ごめん、圭介。あたしも言い過ぎたから、泣かないで」


 母親にやさしく頭を撫でてもらっている自分がさらに情けなくて、1度出てしまった涙をなかなか止めることができなかった。


 いつ以来だろうか、母親の前で涙を見せるのは。

 物心ついた頃から、母親を困らせないように、心配させないように、泣きたくてもガマンしてきた。

 そして、一人で頑張っている母親を守れる強い男になりたくて、泣くことを自分に(いまし)めてきた。


 この歳になって、いまさら涙が出てくるとは思ってもみなかった。


「……母ちゃん、ジイさんと仲直りして、これからはもっと楽に生きろよ。もう充分一人で頑張ってきたんだから」


「あんたが思うほど、単純な話じゃないのよ」


 母親が困ったようにかすかに笑った時、ドアがノックされた。

 圭介が慌てて涙を拭きながら「どうぞ」と返事をすると、藤原が戸口に姿を現した。


「百合子様、お着替えを。大旦那様がお帰りになって、お話をしたいとのことです。圭介様もご一緒に」


 母親がゴクリと息を飲む音が、圭介の耳にも聞こえた。

次話、祖父と母親の確執はどこから来るのか。

圭介も源蔵から意外な話を聞かされて……。

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