2話 逮捕されるとかアリかよ?
圭介の母親は普段ならば、この時間はまだ家にいるはずだが、今日は不動産屋を回り、直接仕事場に行くと言っていた。
圭介はすぐにスマホをポケットから出して、母親に電話をかけた――が、お話し中なのか、ツーツーという機械音が聞こえるだけ。
(こんな時に誰と話してやがる!?)
苛立ちながら電話を切ると、画面の片隅に『圏外』と表示されていることに気づいた。
(圏外?)
圭介がいるのは完全に屋外。圏外になるはずはなかった。
そして、思い当たった。
このスマホは貴頼が契約したものだ。
昨日、契約を打ち切りにした時点で、スマホも解約されたのだろう。
手元に残されたのは、知り合いの連絡先がつまった電子手帳でしかない。
ネットもつながらない。
(やられた……!)
スマホを持ち始めてから、初めてそれがない不便さを身に染みて感じる。
今すぐに母親の居場所を確認したいのに、それができない。
こうなったらネットカフェだと、駅前の店に飛び込んだ。
――が、パソコンでLINEは使えないし、公衆電話もなし。
意味はなかった。
これなら、出勤時間を待って、母親の仕事場まで行った方が早い。
それまで無事でいてくれと、ただ祈ることしかできないのが歯がゆかった。
せっかく料金を払ったので、圭介は新しいバイトを検索しながら時間をつぶして、5時半を回ってからネットカフェを出た。
母親の勤めるスナックは商店街の狭い裏通りにあって、歩いて5分とかからない。
小料理屋やスナックのネオンが立ち並ぶ猥雑な通りに来るのは、久しぶりだった。
小学校低学年の頃までは一人で留守番をすることができず、母親が仕事をしている間、スナックの上の階にあるママの自宅で過ごしていた。
通りから聞こえる酔っぱらいの声や、下の階から聞こえるけたたましい笑い声を子守唄に、圭介は寝ていた。
そして、目が覚める頃には、自分の家に戻っている。
そういう毎日だったことを思い出す。
店の看板にはまだ電気はついていなかったが、圭介は構わず店のドアを開けた。
「まだ準備中……やだあ、圭ちゃん!?」
黒のピチピチのドレスを着た小太りな中年女性が圭介に気づいて、笑顔で飛び出してくる。
「お久しぶりです――」
あいさつもそこそこに、圭介はその女性、ママの豊満な胸に抱きしめられて、窒息するかと思った。
「圭ちゃん、大きくなって。しかも、いいオトコになったじゃないのー」
がしっと顔を掴まれ、至近距離で覗き込まれる。
その迫りくる厚化粧の顔が恐ろしい。
「あ、あの、母はまだ……?」
「ユリちゃん? もうじき来る頃だと思うけど」
圭介はようやく解放され、陰ながらぜーぜーと深呼吸をする。
「ちょっと用事があるんで、待たせてもらってもいいですか?」
「遠慮しないで。何か飲む?」
「いえ、お構いなく」
圭介は1番端のスツールに座って母親が来るのを待った。
それからじきにドアベルが鳴って、仕事用の派手なワンピースを着た母親が駆け込んでくる。
「ごめーん、遅くなって。あら、圭介。何してるの?」
母親の無事な姿にとりあえず圭介はほっとする。
「話があって」
「何よ、深刻な顔して」
「母ちゃん、変わったことなかった?」
「ないわよ。どうして?」
「なけりゃいいんだけど」
「話はそれだけ? わざわざ来なくても、電話すれば済むでしょうが」
「変な子ねえ」と、母親は首を傾げる。
「スマホ、止められちまったんだよ」
「止められたって? イトコが払ってくれてたんじゃないの?」
「だから、イトコともめたって言っただろ。で、ついにスマホも解約されちまったんだ」
「まったく、何をもめることがあるんだか。せっかく学費から何から面倒見てくれてたってのに、もったいない」
「……もめた原因、聞かないのか?」
「子供同士のケンカに、親が口出す必要はないでしょ」
「あ、そう……で、不動産屋、どうだったんだ? いい物件見つかったのか?」
「それがぜーんぜん。この近辺だと高いところしかなくて。駅から離れても全然ないのよ」
「どうすんだよ? 十日後に住む家、なくなっちまうじゃねえか」
「心配しないの。こういうのは縁なんだから、そのうちポッといい物件が出てきたりするものよ」
「そんなノンキな……」
「そういえば、圭介。今日、バイトじゃなかったの?」と、母親が思いついたように聞いてきた。
「……クビになった」
「何やったの!?」と、母親の形相が変わる。
「何にもしてねえよ。ただ人員削減にあっただけ」
「じゃあ、学校どうするの? やめるの?」
「一応、新しいバイト探してるとこ」
「もうあきらめたら? 家も引越し、学校も変えて心機一転、人生のやり直し」
「この歳で人生やり直してたまるか! 母ちゃんと一緒にすんな!」
「それ、あたしがオバサンだって言いたいの!?」と、母親が目を吊り上げる。
軽快な笑い声が聞こえて振り返ると、ママがカウンターの中で笑っていた。
「仲いいわねえ。ユリちゃん、家を探してるの?」
「そうなのよ。いきなり立ち退きになっちゃって」
「上の階、ひと部屋空いてるけど、二人で住むには狭いしねえ」
「最悪はお願いするかもー。ママ、その時はお願いね」
「了解」
再びドアベルが鳴って、今度は黒いスーツの男が二人入ってきた。
「まだ準備中で」
ママが笑顔を向けたが、二人のコワモテの男は構わず奥まで入ってきて、懐から黒い手帳と紙を1枚見せてきた。
「霧島夏希、麻薬取締法違反の疑いで家宅捜査する」
ママの顔が強張った。
(何が起こった……?)
呆然とする圭介の目の前で、一人の男が外に待機していたと思われる人たちを招き入れる。
ぞろぞろと列をなして入って来たスーツの男たちは、店の中をひっかき回し始めた。
「田島さん、見つかりました!」
2階に上がっていた一人の男が手に包みを持って、駆け下りてくる。
田島と呼ばれた中年男がそれを受け取り、中を確認する。
ビニールに入った白い粉――すぐに『麻薬』の文字が圭介の頭に浮かんだ。
「ちょ、ちょっとママ、どういうこと?」
母親も同じことに気づいたのか、青ざめた顔をしている。
「ごめんね、ユリちゃん……」と、ママはすまなそうに母親を見た。
「霧島夏希、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕する。署まで同行してもらおう」
圭介はなんだかテレビのドラマを見ている気分だった。
目の前で起こっていることなのに、まるで現実味がない。
「このバッグは誰のものだ?」
別の男の声に振り返ると、母親が持ってきたバッグを掲げていた。
「あたしのですけど」と、母親が答える。
「従業員の瀬名百合子だな。おまえも覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕だ」
「ちょっと、あたし、麻薬なんて持ってないわよ!」
「これは何だ? おまえのバッグから出てきたぞ」
男はそう言って、バッグの中からプラスチックの筒状のものを出して見せた。
「そんなの知らないわ!」
「詳しい話は署で聞く。連行しろ」
母親が警察に連れて行かれそうになって、圭介は初めて我に返った。
母親の腕をつかんでいる男に、慌てて飛びつく。
「何かの間違いです! 母がそんなことするはずありません!」
「なんだ君は。被疑者の息子か? 邪魔をすると公務執行妨害で、おまえも逮捕するぞ」
「圭介、心配しないで。すぐに帰ってくるから。家のこと、お願いね」と、母親は無理やり貼り付けたような笑顔で言った。
そう言われても、圭介には母親がすぐに帰ってくるとは思えなかった。
だからといって、ここで警察相手にわめいたところで、逮捕が撤回されるわけがない。
事態が変わるわけでもない。
「……わかった」と、圭介は身を引いた。
裏通りを出たところで、パトカーに乗せられる母親とママを見送り、圭介は再びネットカフェに向かった。
母親が覚せい剤所持で逮捕されたというのに、どうしたらいいのかわからないのだ。
ネットでまず情報を集めたかった。
スマホが使えない今、ネットカフェしかない。
逮捕されてしまった母親に圭介ができることは何なのか。
次話もこの場面が続きます。




