1話 イトコが動き出した ★
表紙イラスト:あさぎかな様(TwitterID:@Chocolat02_1234)
第3章スタートです。
恋愛モノか? と突っ込まれそうなくらいにハード展開になる予定ですが、これもハッピーエンドまでの布石ですので、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
前話の翌朝の話です。
前日の寝不足が影響して、圭介は珍しく昼近くまで寝ていた。
顔を洗って台所に行くと、母親がこれまた珍しく、圭介より早く起きて食事を作っている。
「なんかあったのか?」
「さっき大家が来て、たたき起こされた」
母親はぶすっとした顔で、冷蔵庫の扉に貼ってある紙を指差した。
覗いてみると、『アパート閉鎖のお知らせ』と題されている。
「どういうこと?」
「なんか、このアパート、耐震基準を満たしてないらしいわ。古いこともあって、大家が建て直すことにしたんだって」
「いつ?」
「立ち退きは今月いっぱい」
「そんな急な話ってあるか? 簡単に引越し先、見つかるわけないだろ」
「まあ、このアパート、ずいぶん前から居住者が減って、今はうちを含めて三軒しか入ってないからねえ。大丈夫だと思ったんじゃない?」
「だからって、あと十日かそこらでって、ありえなくねえ?」
「仕方ない。この間払った更新手数料も返してもらったし、今日はこれから不動産屋さんを回ってみるわ」
「まさか、遠くに引越しなんてことになったりしないよな……?」
『呪い』のことを思い出して、圭介は背筋がぞっとした。
「バカねえ」と、母親は笑った。
「仕事は変わらないんだから、夜中に帰れるように、いいとこ自転車で通える範囲よ」
「そうだよな……」
「圭介、バイトは?」
「4時からだけど」
「昼間、時間があるなら、商店街を回って、段ボールもらってきてくれる? 詰められるものは、詰め始めておいて。引越し先が決まったらすぐに引越しできるように。
新学期になる前には、引越し先に落ち着いていたいでしょ?」
「わかった」
(貴頼とは関係なさそうだよな……?)
急に引越しとはいえ、せいぜい近所。
本気で圭介を排除しようと思えば、こんな生ぬるい手で来るはずがない。
それにしても、夏休み後半、バイトをしながら桜子と楽しいひと時を過ごす予定が、引越しという余計な手間が増えてしまった。
「ところで、圭介」
「なんだよ?」
圭介がちゃぶ台でコーヒーを飲みながら食事を待っていると、母親が包丁を持ったまま怖い顔で振り返った。
「あんた、あたしの留守をいいことに女の子を連れ込んでるの?」
ぶほっと、思わず飲みかけのコーヒーを吹き出してしまった。
「な、なにを藪から棒に!」
「しらばっくれるんじゃないわよ! お風呂場に長ーい髪の毛が1本落ちてたわよ。ネタは上がってるんだから、白状しなさい!」
(ここでロンゲの男友達が来たとか言っても、ムダだろうな……)
「来たのは確かだけど、雨でずぶ濡れだったから、うちで乾かしていっただけだよ。母ちゃんが想像するようなことは、断じてないから」
ふーん、と母親は疑わしい目で圭介を眺める。
「バイトの帰りってことは、相手は遠野涼香さん?」
「なんで遠野が出てくんだよ。桜子が来たんだよ。雨の中、バイト終わるの待ってたから、それで」
「無理やり連れ込んで、思い余ってやっちゃったの?」
「だから、やってねえって。自分の息子をちっとは信じろよ!」
「ああ、もう、あんた、なんてことしちゃったのよ。あの藍田音弥の娘に手を出したりして、下手したら婦女暴行で捕まるか、この世から抹殺されてもおかしくないのよ? 事の重大さがわかってるの?」
「母ちゃん、おれの話、ぜんっぜん聞いてないだろ……」
頭に血が上ってわめき散らす母親を見て、圭介はげんなりとため息をついた。
「こうなったら土下座してでも謝った方がいいのかしら。娘さんを傷物にして申し訳ありませんって。それで許してもらえるわけないわよね……」
「だから、おれ、桜子と付き合うようになったんだってば。やっと付き合えるようになったのに、無理やりやる理由はねえだろ」
母親はぷはっと笑ったが、その直後、難しい顔をして、変なことを耳にしたとでも言いたげに首を傾げる。
「あんた、妄想のし過ぎで夢と現実がごっちゃになってない? 1回、病院で診てもらった方がいいのかしら……」
「母ちゃん、おれが女を無理やりやるような男だって思い込めるくせに、なんで桜子と付き合ってるってことは疑うんだよ……」
「そっちの方がありえないからでしょ」
当然のことのように言われて、桜子と付き合うというのはそういうレベルだったのかと、圭介は愕然とした。
「……わかった。今度、紹介する時まで信じなくていいから。
それより、早くメシくれ。母ちゃんだって、不動産屋に行くんだろ? 時間なくなるぞ」
「あ、そうだった」と、母親は思い出したように背を向けて、料理の続きを始めた。
その午後、圭介は段ボールを探し歩いて、何度も家と往復したせいで、バイトを始める前にすでに疲れ切っているような気がした。
「おはようございます」
いつものようにあいさつをしながら店に入ると、先輩の杉本美咲が寄ってきた。
「瀬名くん、店長が呼んでるよ。出勤したら、すぐに店長室に来てほしいって」
「了解です」
店長室は面接の時に行った以来で、アルバイトの圭介が訪れることはまずない。
ドアをノックして応答があると、「失礼します」と声をかけながら中に入った。
「杉本さんに言われてきたんですけど」
「まあ、座って」と、店長が老眼鏡をはずしながらデスクを立って、応接セットの方へやってくる。
圭介は言われた通りに向かい側に座ったが、店長の硬い表情を見て、あまりいい話ではないと直感した。
「いやあ、実はこの夏の売り上げが今一つ伸びなくてね。本部から人員削減の通達が来てしまったんだ」
「はい……」
「うちのアルバイトで1番新しいのは瀬名くんでねえ。1か月に満たないから、まだ試用期間中だよね? 申し訳ないけど、やめてもらうしかなくて。ほんと、申し訳ない」
店長はそう言って頭を下げた。
(おれ、バイトをクビになるんか……?)
ぐらりと地震が起きたかのように身体が揺れる。
「試用期間中って……? おれ、そんな話、聞いてませんけど」
圭介は呆然としながらも店長に聞き返した。
「入る時に説明したと思うけど、うちは本契約するまで1か月を試用期間としているんだ。もちろん、その間の給料は支払うけどね。
瀬名くんはよく働いてくれたから、普通だったらこのまま本採用になったと思うんだけど」
申し訳ない、と店長は再び頭を下げる。
「おれ、いつまで働けるんですか?」
「昨日でちょうど丸一か月になるから、残念ながら昨日で終わり、ということになるんだけど」
「そうですか……」と、圭介はそれしか言葉がなかった。
「昨日までの給料は全部清算が終わった後、銀行口座に振り込まれるから。来週の頭にでも確認してくれる?」
「わかりました」
バイトの金を当て込んで、この先も青蘭学園に通えると思っていたのに、得た金ではせいぜいひと月分の学費にしかならない。
桜子と付き合うようになったのだから、もう一緒の学校に通う必要はないのかもしれない。
それでも、あの学校に桜子ひとりが通うことを思うと不安にもなるし、彼女も圭介がいなくてはストレスをためるだけになるかもしれない。
こうなったら、別のバイトを探すしか残された道はない。
――それにしても、どこか腑に落ちない気がする。
アパートの立ち退きに加え、バイトがクビ。
桜子と付き合うようになったのが昨日で、その翌日にこうもイヤなことが立て続けに起こるものなのか。
「店長、ひとつ聞いてもいいですか?」
店長の差し出す書類に署名捺印を終えてから、圭介は口を開いた。
「なんだい?」
「本当はおれを名指しで辞めさせろって、言われたんじゃないですか?」
店長の顔が一瞬引きつるのを見て、それが真実なのだと圭介は悟った。
「……いや、まさか、そんなわけはないだろう。これは上からの指示で、誰かを選ばなくてはならなくて……」
「いえ、いいんです。変なことを聞いてすみませんでした。短い間でしたけど、お世話になりました」
圭介は丁寧に頭を下げてから、店長室を後にした。
イトコが裏で動いている。
そのことは疑いようのない事実だった。
バイトをクビになれば、学校はやめざるを得ない。
まずは桜子との実質的な距離を離しにかかったというわけだ。
他の3人と違って、圭介の場合は学校を変えるだけで済む。
(ちくしょう!)
貴頼が動き始めたのなら、これだけで終わるはずがない。
圭介は桜子と付き合っているのだ。
学校が違ったところで、付き合いをやめる必要はない。
桜子との付き合いができなくなるまで、何かを仕掛けてくるのは簡単に予想がつく。
圭介は唯一の肉親である母親を思い出して、一気に青ざめた。
前の3件は本人に何かが起こったというより、その家族がターゲットになってきたのだ。
(母ちゃん……!)
圭介はロッカーに置いてある荷物を片付け、少ない私物を紙袋に入れると、店を飛び出した。
圭介の心配は杞憂に終わるのか?
次話、この場面が続きます。




