19話 まぼろしの家柄
本日(2022/07/29)は二話投稿します。
『呪いに関してわかったことがある』
帰りの電車の中で、圭介は桜子にメッセージを送った。
返事が来たのは、家に着く直前。
今日、桜子は施設の子供たちを連れてプールに行っていて、日中はゆっくり話ができないらしい。
その代り、バイトが終わった後、何時でもいいから電話をしてほしいとのことだった。
圭介は『了解』と返しながらアパートの階段を上り、「ただいま」と自分の家に入った。
「おかえり。どこ行ってたの?」と、台所に立っていた母親が振り返る。
時間は昼過ぎ。母親にとっての朝食の支度をしているらしい。
「バイト、夕方からって、言ってなかったっけ?」
「その前にちょっと人に会ってきた。てか、腹減った。なんか食うもんある?」
朝は気もそぞろで何か食べるという気になれず、朝食を抜いてしまった。
おかげで落ち着いた今、玉ねぎを刻んだ匂いで空腹が刺激される。
「チャーハン作ってるところだけど、あんたも食べる?」
「うん。食えれば、何でもいい」
「張り合いのない子ねえ」
圭介が手を洗ってから食卓に着くと、母親が作ったばかりのチャーハンを運んできた。
「いただきます」と食べ始めながら、圭介は向かい側で同じく食べている母親を見る。
寝起きで化粧もまだしてない顔。
寝間着代わりの下着のスリップは、見慣れている姿だ。
(これが大企業の元社長令嬢? なんかの間違いじゃねえのか?)
「なあ、母ちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「なによ、改まって」
「母ちゃんの旧姓って、『神泉』っていうのか?」
「何をいまさら。あんた、知らなかったの?」
怪訝そうに眉をひそめる母親を見て、圭介は軽く恐慌状態に陥った。
「知るわけねえだろ! 母ちゃん、言ったことねえ!」
「えー、そう? あんたが保育園か小学校の時に聞かれて、答えた記憶があるけど」
「覚えてねえ!」
「あんたの記憶力のなさをあたしのせいにして、八つ当たりしないでよ」
うー、と圭介は返す言葉が見つからなかった。
「……『神泉』って、本当にあのシンセン製薬の『神泉』なのか?」
「あんまりない苗字だからねえ」
「母ちゃん、普通にお嬢だったのか?」
今は見る影もない、という言葉は飲み込んでおいた。
「そんな頃もあったわね」と、母親もどこか他人事のように答える。
「それがなんで今、こんな生活してんだよ? いいとこのボンボンと結婚して、働かなくったって、遊んで暮らせたんじゃねえのか?」
「そうしたかったら、実家と縁なんて切ってないわよ。あたし、あの家が大嫌いだったの」
「なんで?」
「なんで、ねえ……」
母親はモグモグと口を動かしながら、考え込んでいるというより、言葉を選んでいるように見えた。
圭介が答えを待って見守る中、母親はごくりと飲み下してから口を開いた。
「あんたに詳しい話をしたところで、関係ない家の話だからね。簡単に言うと、自由がない家だったのよ」
「自由がない?」
「あの家では当主であるお父さんが絶対なの。家族を家族とも思ってない人でね、特に娘なんて家と会社を大きくするための道具よ。
あたしも多感な時期だったから、そういう父親に反発して、何度も家出を繰り返したのよね。そのたびに連れ戻されてたんだけど。
で、ある時、あんたのお父さんに出会って、あんたを身ごもって、ようやくあの家とおさらばできたというわけ」
「駆け落ちして?」
「じゃなかったら、あんた、殺されてたもの」
「それって、まさか……」
「無理やり病院に連れていかれたわよ。だったら、こっちからこんな家は捨ててやるって縁切り宣言してやったの」
「母ちゃん、あっさり言ってるけど、かなり大騒ぎだったんじゃないのか……?」
「当時はともかく、もう昔の話だし、関係ない人たちだし」
母親は肩をすくめて言う。
「母ちゃんは1度も後悔したことないのか? それまでと全然違う生活になって、苦労したんじゃないのか?」
「そりゃまあ、家事なんて一切したことなかったし、おまけにお腹にあんたがいて、苦労がなかったって言ったらウソになるけど。自分の選んだ人生だから、後悔しないように生きようとは思ったわよ」
「それって、幸せってことなのか?」
「もちろん」と、母親は朗らかに笑った。
「人から不幸に見えても、幸せの尺度なんて自分の中にしかないものでしょ?」
「そうかも……」
「しっかしまあ、子供って成長が早いわねえ。圭介とこんな話をする日が来るなんて、驚きだわ。
それもこれも、恋したせい?」
「……恋したせいで、今まで知らなかったことがどんどん発覚したせいだよ」
「そういうわけだから、桜子さんと付き合うために、神泉の名前は使えないわよ」
圭介の考えていたことなどとうにお見通しだったのか、母親に先手を打たれた。
この母親がシンセン製薬会長次女だと知った時、圭介の頭を真っ先によぎったのは『桜子と釣り合う家柄』だった。
イトコの貴頼と同じレベルとは言い難いが、それでも『どこの馬の骨』とは言われずに済むのではないかと――。
「……やっぱ、ダメなのか?」
「当たり前でしょ。あんた、お父さんの孫の数に入ってないんだから。ひょっこり顔を出したところで、『知らん』で終わり」
「うん……なんかそんな気がした」
「それに釣り合う家柄ってのは、血じゃなくて育ちなんだから、あんたが今さら『神泉』を名乗ったところで、どこの馬の骨ともわからない男には変わりないってこと。よーく理解しておきなさいよ」
「自分はそういう男と結婚したくせに」
「二人の間に愛があるなら、話は別でしょうが。あんたの場合、付き合ってもいないんだから、それ以前の問題。
それに、彼女は後を継ぐ者でしょ。オマケの次女とは立場が全然違うんだから、あたしと比べること自体間違ってるわよ」
「……はい、その通りです」と、圭介の頭は下がった。
もしも桜子が家柄の釣り合わない男に恋をして、家族の反対を押し切って結婚に至ったら、母親と同じような道をたどるのだろうか。
好きな男と一緒になって、子供を産んで、それはそれで幸せな人生になるのかもしれない。
それでも、もしも相手の男が自分だったら、やはりそんな道は歩ませたくないと圭介は思ってしまう。
家族を大事にしている桜子は、家を出たがっていた母親とは違うのだ。
(まあ、あの家族は桜子の選んだ相手なら誰でも受け入れるつもりみたいだから、母ちゃんの時みたいな大騒動にはならないだろうけど)
それにしても、一瞬でも桜子と釣り合う家柄が自分にもあると思ったせいで、余計にみじめな気分だった。
(神泉がバックにつかないんじゃ、ほんと、名前だけでなんの価値もないもんな……)
次話、【赤い宝石編】の最終話になります。
桜子との電話トークです。
お時間ありましたら、続けてどうぞ!