15話 無理をしなくても幸せにはなれる
九嶋祐希の通う開星高校に行くには、圭介の家からだと私鉄と地下鉄を乗り換えて、1時間は優にかかる。
夕方からのバイトに遅れるわけにはいかないので、圭介は朝早めに家を出発した。
呪いが解けるまでは誰とも付き合わない、好きになっても相手に伝えないと言い切った桜子。
圭介が告白すると決めている今、うまくいくにしろフラれるにしろ、桜子の本心を聞くためには『呪い』を解くのが先決だ。
以前のように桜子に1番近い友達という男でいるために、『呪い』が解けないでほしいとはもう願えない。
九嶋に会うことで『呪い』が解ける。
そう思うと圭介は気がはやり、約束の時間を決めてあるわけでもなかったので、朝も早々に出かけることになったのだ。
ゴテゴテと装飾された城のような青蘭学園と違い、開星高校はコンクリート製の簡素な建物が並ぶ、いかにも学校らしい校舎だ。
正門を入った右手には、敷地の案内図が掲げられていた。
九嶋がいるはずのテニスコートは、校舎と校庭の間の道をまっすぐ進んだ先、敷地のはずれだった。
夏休み中とはいえ、部活のために来る生徒が大勢いて、かなりの活気がある。
校庭に沿って歩けば、大声を上げて部活にいそしむ生徒が見えた。
(高校生の夏休みって感じだよなー。どっかのお嬢やボンボンとは大違い……)
部活に懸命になる高校生たちを見て、圭介はうらやましいと思わずにはいられなかった。
青蘭学園はろくな部活動もなく、文化祭といったような学校行事もない。
みんな個々に習い事をしているため、そもそも部活動に参加する生徒がいないらしい。
中学の時にサッカー部だった圭介は、高校に入っても続けるつもりだった。
が、青蘭を選んだ時点でそれは断念せざるを得なかったのだ。
校舎と塀に囲まれたテニスコートはすぐに見つかった。
圭介はフェンス越しに部員らしき男子に声をかけ、九嶋を呼んでもらう。
コートでラリーをしていた一人が九嶋だった。
その切れ間に声をかけられた彼は、フェンスの外にいる圭介の方をちらりと見て、それからコートを出てきた。
マネージャーと思しき女子がタオルを持って九嶋に駆け寄る。
彼はそれを笑顔で受け取ってからフェンスを出て、圭介の方に歩いてきた。
(ちくしょー。やっぱり文句なしのイケメンじゃねえか……!)
眉がキリリとした顔つきで、日焼けした小麦色の肌が精悍さを際立たせている。
背も高いし、スポーツで鍛えた体がほっそりとしていながらもたくましく見える。
(こいつ、相当モテるだろうな。あのマネージャーがカノジョか? それとも狙ってる一人か?)
「瀬名くん?」
声をかけられて、圭介は「どうも」と軽く頭を下げた。
「藤原さんから聞いてるけど、おれに聞きたいことがあるんだって?」
「部活、抜けても大丈夫か?」
「長時間は無理だけど、少しなら。話なら、あっちに行こうか」
圭介は九嶋に連れられて、塀際の木陰にあるベンチに座った。
「藍田桜子の件なんだけど――」
「桜ちゃんのクラスメートなんだって? 青蘭に行ってる話は聞いてるよ」
(『桜ちゃん』か。幼なじみってのは本当なんだな……)
「中1の時、桜子に告白したって聞いたんだけど。桜子のこと、好きだったんだよな?」
初対面でいきなりこの質問はどうかと思ったが、圭介は別に九嶋の友達になりに来たわけではない。
とにかく必要な情報を多く集めるのが目的。
とはいえ、九嶋がどんな人間かもわからない状態で、素直に話してくれるかどうかは甚だ疑問だが。
圭介の心配をよそに九嶋はあっさりうなずいて、「好きだったよ」と答えた。
「小さい頃から仲良くしてて、恋とかわからないうちに好きになってた。
てっきり桜ちゃんも同じ気持ちでいてくれてると思って告白したけど、すぐに返事をもらえなくて、けっこうショックだったな」
九嶋の口調は軽かったが、自嘲気味な笑みを見ていると、当時はかなり落ち込んだことを想像させる。
圭介もうまくいくと思って告白した結果、フラれた経験をしているので、そのつらさは理解できるつもりだ。
「それでその後、実家の薬屋がつぶれて、転校したって聞いたんだけど。
それって、桜子と何か関係あるのか?」
正直、圭介は『ない』という答えを期待していたのに、九嶋は「あるよ」と答えた。
「あるって……どう?」
「告白した日、藍田家の使いって男が来たんだ」
何をしに来たかは想像がつく。
それでも、圭介はあえて「何をしに?」と先をうながした。
「桜ちゃんをあきらめてくれって。彼女に2度と会わないって約束するなら、都内に新しい店舗と住む場所を用意するって。不動産契約書を持ってきた。あとは『うん』て言って、判を押すだけになってた」
「つまり、店はつぶれたわけじゃないのか?」
「正確には移転だよ。ただ、つぶれたことにしておくことも条件の一つだったんだ」
「何のために?」
「さあ。移転だとすぐに行方がわかるから、不都合だったんじゃないかと思うけど」
「それで判を押したのか?」と、圭介は思わずなじるように聞いてしまった。
九嶋もそれに気づいたのか、顔をゆがめた。
「桜ちゃんがお金持ちのお嬢様だってことは知ってたよ。でも、彼女はいたって普通の子だったんだ」
「それは、うん。おれも知ってる」
「けど、中1のガキだったおれは、彼女の置かれてる立場なんて全然わかっていなかった。それがわかったのが、藍田家の使いが来た時。
結局、彼女の相手は『普通』じゃダメだったんだ。おれみたいなどこにでもいる男は、大金をはたいてでも近づけさせたくないってことなんだよ。
逆に断ったらどうなるんだろうって思ったら、何をされるのか、正直怖くなった。
うちの親も同じことを思ったみたいで、実るかどうかわからない初恋より、これから先の人生の安全の方が大事だって。だから、判を押したんだ」
「それで……納得できたのか?」
「心の底から納得したわけじゃないけど、決め手は桜ちゃんに返事をすぐにもらえなかったことだったよ。
おれは彼女にふさわしくないって、彼女自身からも藍田家からも思われたんだ。
だったら、彼女のことなんて忘れて、彼女のいない人生をやり直そうって思った。それだけ」
「今、後悔することはないのか?」
圭介の問いに九嶋は静かにかぶりを振った。
「たとえ会えなくても、子供の頃に一緒に遊んで楽しかった思い出はちゃんと胸に残っているからね。今思い返しても、あんな巨大グループのトップに立つ器がおれにあるとは思えないし。
それに、今の生活が気に入ってるんだ。頑張ってこの学校に入って、将来の夢があって、桜ちゃんほどとは言えないけど、付き合ってるカノジョもいて――。
無理をしなくても幸せだって思える毎日がここにはあるから」
九嶋の言葉は圭介の胸をグサリと突き刺す。
無理をしなくても幸せになれる道は確かにある。
桜子を得ようとすれば、この先、苦難ばかりだと藍田音弥も言っていた。
(おれは理解していたつもりで、実はわかっていなかったのか……?)
そんな自分への問いかけに、圭介は「それは違う」とはっきり言い聞かせる。
桜子への思いは九嶋の比ではない。
大金を積まれようが、どんな目にあわされようが、この恋をあきらめたくない。
圭介も藍田グループを率いる力があるかと問われれば、正直、自信などゼロだ。
それでも、桜子を得るための努力なら、どんなことでも惜しまない。
(無理をしたからこそ得られる幸せも、きっとあるはずだろ?)
次話、この場面が続いて、『藍田家の使い』についての話です。いよいよ『呪い』の核心に迫っていきます。




