13話 フライングしそう
外は蒸し暑い空気が漂っていた。
朝から冷房の効いた室内でバイトしていた圭介には、かなりこたえる環境。
気分転換になるどころか、この暑さで逆に疲労が増しそうだ。
「なんか、散歩するって気温じゃねえな……」
「公園とか近くにないの? 木陰とかだったら涼しいんじゃない?」
「ああ、そういやあったっけ。小学校の時に行ったきりだったけど」
「じゃあ、そこに行こう」
隣を歩く桜子は、白いノースリーブのミニのワンピースを涼しげに着こなしている。
ファッション誌にそのまま掲載されてもなんら遜色がない。
一方、圭介の姿はというと、バイトの行き帰りに着る服なので、洗いざらしたTシャツとバミューダパンツ。
桜子の隣を歩くにはあまりにみすぼらしい。
(学校の制服ならまだマシなのに……)
がっかりしている圭介とは裏腹に、桜子は興味深げに辺りを見回して歩いていた。
「なんか面白いものでもあるか?」
「うーん、面白いっていうか、この駅で降りるの初めてだから、何があるのかなーって見てるの」
「物心ついてからずっと住んでるけど、駅前はずいぶん変わったな。おれの働いてるファミレスだって、ここ1、2年ってとこだし」
「それでも、ここが圭介の育ってきた街には変わりないんだね」
「ところで、話って? わざわざ寄り道までして、重要な話なのか?」
「電話でもよかったんだけど、1週間も音沙汰なかったから、せっかくなら顔見て話したいなーと思って。ちょうど会えてよかった」
桜子の向けてくる笑顔がまぶしく、圭介も自然に笑みがこぼれていた。
「おれも。うれしいサプライズだった」
(なんか、いい感じ?)
一緒に歩くのにお似合いかどうかは別として、こうして休みに二人で散歩しているとデートみたいだ。
学校の帰りに歩いているのと気分が違う。
桜子の様子もいつもと変わりないので、話というのも悪いものではなさそうだ。
「でね、圭介、来週の月曜日から3日間、空いてる?」
予定を聞いてくるということは、何かの誘いに違いない。
(泊りでデート、とかだったら、絶対に休みを取ってやるぞ!)
もっともまだ告白もしていないし、デートもしたことがないのに、そんなうまい話があるわけない。
わかっていても、圭介の頭は勝手に暴走して期待してしまう。
「月曜日は休みで、火水は今のところバイト入ってるけど。休みにしようと思えば、何とかなるかも」
「ほんと? その3日間で、伊豆にあるうちの保養所に行くことになってるの」
「家族で?」
「家族もいるけど、あとはお母さんの財団が支援している施設の職員や子供たちも一緒。
大人の手が足りなさそうだから、圭介が興味あれば一緒にどうかなって思ったんだけど。まあ、いわゆるボランティアってやつ」
「ボランティアで子供の世話……」
(金のないおれがバイトを休んでボランティアするって、どうなんだろう……)
「交通費、宿泊費、食費は全部財団持ちだし、3日間ずっと子供の面倒見てるわけじゃないから、交代しながら遊ぶ時間もあるんだけど。
うちの保養所、温泉付きだし、ビーチは目の前。いいところだよ」
(温泉にビーチ……)
ボランティアで子供の相手をするだけで、金を全然かけないで海に行ける。
しかも、外野がいるとしても、桜子と3日間、1日中一緒にいられるのもおいしい。
「それは、かなりありがたいお誘いかも」
「でしょ? お金があんまりかからないイベントがあったら誘ってって言ってたから、ちょうどいいと思って」
こっちの懐具合が明らかに筒抜けなのは、情けないことこの上ない。
しかし、桜子がきちんと圭介のことを考えた上で提案してくれたことは、純粋にうれしいと思う。
「今夜、バイトの時に頼んでくるから、予定がはっきり決まり次第連絡するよ」
そんなことを話しながら公園に入って、日陰になっているベンチを探す。
ようやくたどり着いた時には汗だくになっていて、圭介はぐったりと座り込んでしまっていた。
木陰とはいえ、わずかに涼しいだけだ。
圭介はTシャツの胸元をパタパタ扇いで、せめてもの涼を取る。
涼し気な顔をしている桜子も「暑いねー」と、圭介と同じように隣で胸元を扇いでいた。
(ヤバい、この角度だとブラが見える……)
このまま内緒で胸の谷間を拝んでいたいところだが、後でバレた時に『ヘンタイ』の称号はもらいたくない。
圭介は名残惜しくもグイっと視線を前に向けて、いったん忘れることにした。
「そういや、『呪い』については何か調べたのか?」
「休みに入ってネットでいろいろ調べているんだけど、なかなか報告できるような情報もなくて」
「それで音沙汰なかったのか?」
「何かわかったら連絡してって言ったのは圭介だし」
「それ、気にするところか? 『何にも見つからないー!』って、グチ電話でも何でもしてくれてかまわねえのに」
「ほんと? だったら、最初からそう言ってくれればいいのに。ガマンして損したー!」
口をとがらせる桜子がこの上なくかわいい。
あまりにかわいくて抱きしめたくなってしまう。
『友達』である以上、圭介には許されないのが悔しかった。
「なんかイベントがあったら誘って、とも言ってあったけど。何にもなかったのか? 昨日は映画の制作発表会だったみたいだけど」
「ああ、あれ? 事前にわかってたら誘えたのにね。文句はお父さんに言ってあげて」
「なんで?」
「だって、もともと行くのはお父さんだったんだもん。ていうか、ちょっと聞いてよっ」
桜子は少し目を吊り上げて、圭介の腕をポンと叩く。
「昨日の朝、お母さんが『仕事がひと段落したから、今日は1日のんびりするわ』って言ったの。そしたら、お父さんが『おれもー』って、1日の予定、全部ドタキャン。制作発表会はあたしが代わりに行ってくれって。
まあ、『森の音』は観たかったし、ドレスも何でも好きなのを借りていいって言うから、承諾したんだけど。まさか舞台でひと言あいさつしなくちゃいけないなんて、聞いてなかったのー!」
「なんでおまえが?」
「あの映画、うちのグループがメインスポンサーなの。小道具の貸し出しから、ロケ地の提供まで全面バックアップ。そんなわけで、スポンサーからのあいさつっていう落とし穴があったんだよ」
「なるほどなー。緊張した?」
「当たり前だよ。人前で話すのはともかく、あんなにバシバシ、フラッシュを浴びるの、初めてだったんだもん」
「てことは、テレビに映ったり、雑誌とかに載るってこと?」
「今朝のワイドショーでやってるのはチラっと見たけど、恥ずかしいから途中でやめた」
「えー、おれ、見たかったのに。朝からバイトだったから、テレビ見てるヒマなかった」
「いいよー、見なくて」と、桜子は真顔で言う。
「芸能界から声がかかったり、とかないのか?」
「あるわけないよー。だいたい芸能界とか興味ないし。ウソっこお嬢様演技は学校だけで充分」
「基本的にウソつくの嫌いだしなあ。けど、そういうおまえが薫子のウソをどうして許せるのか、おれには前々から謎なんだけど」
「薫子のウソ?」と、桜子はキョトンとした顔で問い返してくる。
「もともと付き合ってるフリすること自体がウソだし、そのウソを本当らしくするために、ウソにウソを重ねてるだろ。
さっきも遠野の手前、おれがデートしてたと思ってひと晩中眠れなかったとか、ちゃっかりウソついてたし」
「ああ、それは、ねえ……」
桜子は顔をうっすら赤くして、困ったように言葉を選んでいる。
(自分でもその矛盾に気づいてたのか?)
桜子自身はウソが嫌いでも、妹はついつい甘やかしてしまう。
そんなところなのだろう。
実際、圭介も薫子に頼まれると、もちろんいろいろな弱みもあるから断れないというのもあるが、そうでなくとも何でも聞いてやりたくなる。
「ま、かわいい妹のすることだから、仕方ないか。悪気があるわけじゃないし」
「そ、そうよね! で、圭介は休みに入ってどうしてたの? ずっとバイト?」
明らかに話をそらしたい様子の桜子に苦笑しながら、圭介はうなずいた。
「ほんと、同窓会に昨日行っただけ。金ねえし、家にいても暑いからなあ。エアコンの効いたところでバイトしてる方がよっぽど天国」
「友達と海に行くとか言ってたけど、予定は立った?」
「いや、まだ。伊豆に行けるなら、誰かに誘われない限り、別に行かなくてもいいかも」
もともと海に行くというのはバイトをしている口実だったので、この夏に行けるはずもなかった。
それが桜子からの提案のおかげで、たった3日とはいえ、夏休みの楽しみができた。それだけでも圭介にとっては充分ありがたいことだった。
「そういうもの? あたしだったら、海は何回行ってもいいけどなー」
そう言って桜子はキラキラした笑顔を向けてくる。
この1週間モヤモヤしていたのがウソのように、圭介の顔はさっきから緩みっぱなしだった。
学校に行っている時は当たり前のように毎日見ていた笑顔、交わされる他愛のない会話。
今さらながら圭介は、それらがどれだけ貴重なものだったかに気づいた。
隣に桜子がいるだけで心が弾んで、何の話をしていても楽しくてたまらない。
(おれ、マジで恋してるんだ)
告白の日を25日に設定したが、こんな風に二人きりになれるチャンスはあまりない。
(今、告白したら、どうなる……?)
それよりも、今すぐ『好きだ』と言いたくてたまらなかった。
次話、圭介はこのまま告白するのか? ……と聞いても、第2章が完結していない今、答えは予想できると思いますね。




